前回、創造神の持つ深い奥義を追ってみた。
今回は「創造主はどうしてそんなに知っているのか?」を考えよう。
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創造主からしたら人間は被造物であって、五感でしか物事を認識できない。
だが、その限られた世界から「推論」することはできる。
<テレビの不思議>
今日ではみんなテレビ(受像機)をもっている。
これに電源(電流)を入れ、映像と音を出して楽しんでいる。
だが、その仕組みをわからないでいる。
<考案した人間は知っている>
けれども、わかっている人間もいる。
それを考案・設計した人物だ。
このことから、万物の創造主を推論理解できる。
「全被造物の考案・創造者」だから全てをわかっている、全知だと。
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<「信じる」と「知る」再論>
蛇足だが、前述した「信じる」と「知る」の奥義を再確認しておこう。
我々は生来、「五感で認識できるもの(物質界)だけの世界観」をもっている。
そこに万物の創造主のイメージを取り入れると、どうなるか。
「創ったもの」(創造神)と「創られたもの」(被造物)との「二つを含んだ世界観」が意識に生じる。
この合計二つになった世界観をどうするか。
<日本にはニッポンの伝統が!>
「信じよう!」とすると、一つを絶対の真理だと思わねばならなくなる。
わざわざ一方に~意味もないのに~しがみつく。
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「創造神と被造物?」それは西洋の考えだ。
日本人には日本人にふさわしい伝統的な考えがある!
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~という具合に陶酔してしまう。
こうして、わざわざ理性(理知)を殺してしまう。
聖書の思想を「知る」ことすら出来ないものにしてしまう。
ともに「知ればいい」だけの話なのに。
(続きます)
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