『創世記』では、モーセに天地が創られる様を幻で見せたのは万物の創造主ということになっている。
その創造主の登場はこう記されている~。
あるときモーセは羊の群れを率いてホレブという山に来た。
すると神が現れて、「エジプトで奴隷になっている彼の民(イスラエル人)を導き出せ」といい、モーセはこうこたえる。
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「そうします。だが、私が彼らに『あなた方の父祖の神が、私をあなた方のもとに遣わされました』といえば、彼らは『その名はなんですか』と聞くでしょう。私はなんと答えたらいいでしょうか。
神はモーセに仰せられた。『わたしはありてあるものである(I am who I am)』
(『出エジプト記』3章14節)
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~ここで「ありてあるもの」とは、自分が存在するのに、いかなる先行条件をも必要としなかった存在、いわば「自存者(じそんしゃ)」を意味している。
そういう方は、他の全てに先駆けて無限の過去から自ら存在し続けていたはずだ。
であれば他の万物は、何らかの形でこの自存者との関わりの中で出現しているはずだ。
すると~詳細は後述するがつまるところ~この自存者なる神は自分以外の万物を創造した唯一の創造神、ということになる。
そしてこの神が、以後聖書を一貫して流れる創造主の理念となるのであって、それがモーセにあかされたのがこの場面なのである。
(続きます)
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