連休ですね。
本を一冊ご紹介しましょう。
『隠された聖書の国・日本』徳間書店、ケン・ジョセフ、シニア&ジュニア著、です。
キリスト教関係者には衝撃的な本です。
著者は、アッシリア系アメリカ人の父と子です。
父は、22歳の時、戦後日本にキリスト教を伝道すべくやってきた牧師です。
「日本復興を助けるため1万人のボランティアが欲しい」という
マッカーサー元帥の呼びかけに応じて来日しましたが、そのまま日本に在住し、
日本における景教(ネストリウス派キリスト教)の遺跡を研究し続けた人です。
文字通りのライフワークである上に、息子さんもまたその研究を受け継いで、
成果をこの本に記しているわけです。
父子の研究によれば、古代日本は今のアメリカのような多民族社会であり、
奈良・京都は白人、アラブ人、中国人、朝鮮人など入り乱れた国際都市でした。
流入した人々には、景教徒も多数いて、この影響でキリスト教が全国的に普及していました。
聖徳太子も景教の人々を周りに置いて、その思想を取り入れて17条憲法を作った。
聖武天皇のお后、光明皇后は景教徒そのもので、8世紀に彼女が造った
無料の救護施設「施薬院」など、キリスト教の思想がなければあり得なかった・・
等々を示しています。
また、いま神社や寺になっているところには、教会があったケースが多いことを、
その遺跡を示して証明しています。
日本には、キリスト教がザビエルより遙かに昔から、広範囲に入り広がっていたこと、
そのルーツを知らないと、日本人は根無し草になってしまうこと、
等を根気よく説いています。
日本は仏教国で、キリスト教の考え方は根付きにくい、と
日頃思っている人々(鹿嶋も含めて)には、明るいニュースを提供する本です。
さて、『ヨハネ伝』に入ります。
前回の聖句~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
「まことにまことに諸君にいっておきます。
私を信じるものは、私がしているわざをします。
そればかりか、もっと大きいわざをします。
私が父のみもとに行くからです」(14章12節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
~のうち、最後の「私が父のみもとに行くからです」の解読が残りました。
今回はそれを・・・。
ここでイエスは「自分はこれから苦しみを受け、十字架上で死され、復活して、
父なる創造主のもとにいく」と弟子たちにいっています。
そして「イエスは父のみもとに行ったら、父に願って聖霊を諸君のもとに送ってもらう。
その聖霊は諸君の助け主であり、いつまでも諸君と友にいる」といっています
(14節16節)。
この聖霊が弟子たちの働きの決め手になるのです。
それを送ってもらうには、イエスが父なる創造主のもとにいくことが必要なのです。
『使徒行伝』には、使徒をはじめとするイエス信頼者たちに
初めて聖霊が下ったときの場面が記録されています。
彼らは異言を語り、力に満たされます。
その不思議を見た人たちから、一日に3000人が信じて集団に加わっています。
また、ペテロとヨハネはエルサレムの神殿に行って、足萎えを癒します。
するとその日一日で、2000人が新たに信じたと記録されています。
決め手は聖霊なのです。
これが下って信頼者たちの内に入ることが必要条件でありますが、そうなるためには
「自分(イエス)が父なる創造主のもとにいって父にお願いすることが必要なんだよ」と言っているわけです。
これからイエスは、すさまじい苦しみを受けて十字架上で息絶えるのですよ。
なのに、その先の先に起きることまで、弟子たちに告げている。
そしてその通りのことが起きていく・・・。
すごいなぁ~。
こういう振る舞いは、単なる宗教上の聖人にはできないですよね。
本を一冊ご紹介しましょう。
『隠された聖書の国・日本』徳間書店、ケン・ジョセフ、シニア&ジュニア著、です。
キリスト教関係者には衝撃的な本です。
著者は、アッシリア系アメリカ人の父と子です。
父は、22歳の時、戦後日本にキリスト教を伝道すべくやってきた牧師です。
「日本復興を助けるため1万人のボランティアが欲しい」という
マッカーサー元帥の呼びかけに応じて来日しましたが、そのまま日本に在住し、
日本における景教(ネストリウス派キリスト教)の遺跡を研究し続けた人です。
文字通りのライフワークである上に、息子さんもまたその研究を受け継いで、
成果をこの本に記しているわけです。
父子の研究によれば、古代日本は今のアメリカのような多民族社会であり、
奈良・京都は白人、アラブ人、中国人、朝鮮人など入り乱れた国際都市でした。
流入した人々には、景教徒も多数いて、この影響でキリスト教が全国的に普及していました。
聖徳太子も景教の人々を周りに置いて、その思想を取り入れて17条憲法を作った。
聖武天皇のお后、光明皇后は景教徒そのもので、8世紀に彼女が造った
無料の救護施設「施薬院」など、キリスト教の思想がなければあり得なかった・・
等々を示しています。
また、いま神社や寺になっているところには、教会があったケースが多いことを、
その遺跡を示して証明しています。
日本には、キリスト教がザビエルより遙かに昔から、広範囲に入り広がっていたこと、
そのルーツを知らないと、日本人は根無し草になってしまうこと、
等を根気よく説いています。
日本は仏教国で、キリスト教の考え方は根付きにくい、と
日頃思っている人々(鹿嶋も含めて)には、明るいニュースを提供する本です。
さて、『ヨハネ伝』に入ります。
前回の聖句~
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
=聖句=
「まことにまことに諸君にいっておきます。
私を信じるものは、私がしているわざをします。
そればかりか、もっと大きいわざをします。
私が父のみもとに行くからです」(14章12節)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
~のうち、最後の「私が父のみもとに行くからです」の解読が残りました。
今回はそれを・・・。
ここでイエスは「自分はこれから苦しみを受け、十字架上で死され、復活して、
父なる創造主のもとにいく」と弟子たちにいっています。
そして「イエスは父のみもとに行ったら、父に願って聖霊を諸君のもとに送ってもらう。
その聖霊は諸君の助け主であり、いつまでも諸君と友にいる」といっています
(14節16節)。
この聖霊が弟子たちの働きの決め手になるのです。
それを送ってもらうには、イエスが父なる創造主のもとにいくことが必要なのです。
『使徒行伝』には、使徒をはじめとするイエス信頼者たちに
初めて聖霊が下ったときの場面が記録されています。
彼らは異言を語り、力に満たされます。
その不思議を見た人たちから、一日に3000人が信じて集団に加わっています。
また、ペテロとヨハネはエルサレムの神殿に行って、足萎えを癒します。
するとその日一日で、2000人が新たに信じたと記録されています。
決め手は聖霊なのです。
これが下って信頼者たちの内に入ることが必要条件でありますが、そうなるためには
「自分(イエス)が父なる創造主のもとにいって父にお願いすることが必要なんだよ」と言っているわけです。
これからイエスは、すさまじい苦しみを受けて十字架上で息絶えるのですよ。
なのに、その先の先に起きることまで、弟子たちに告げている。
そしてその通りのことが起きていく・・・。
すごいなぁ~。
こういう振る舞いは、単なる宗教上の聖人にはできないですよね。
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