鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.223『わざ(しるし)の源は父なる創造主』(14章13節)

2008年05月06日 | ヨハネ伝解読
本日の聖句はこれです。

                    
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=聖句=
 「諸君が私の名の内で求めることはなんでも、私は行います。
その結果、父が子の内で栄誉を受けられるためです
(, so that the Father may be glorified in the Son)」(14章、13節)
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<「イエスの名において」とは?>

 先に細かいところから。

 この聖句では、英語で言う、in my nameを、春平太は「私(イエス)の名の内で」と訳します。
ここはなにやらはっきりしないところです。
通常「名によって」と邦訳されています。「名を通して」と言う人もいます。

 しかし、春平太は、迷ったあげく、「名の内で」としています。
イエスの「名」というものを、一定の広がりを持った実体のように受け取るわけです。
理由はとても長くなりますので省略します。

 そしてイエスは、
~自分の名の内で、弟子たちが(創主に)求めることはすべて、自分が実現する~と言っています。
大変な約束ですが、この内容については後に考えましょう。

                    

<gloryは多義的な言葉>
 
 今回のポイントは(イエスがそうするのは)「それによって父が子のうちで
栄誉をお受けになるためだ」という言葉です。
イエスはどうしてこんなことを付け加えるのでしょうか。

 gloryというのは、複数の意味を持っています。

 もともとは創造主から発せる力(エネルギー)です。
だが、それは創造主のエネルギー特有の光
(創造の光:我々が目にしている光の実体は光子という素粒子であって、物質の光)
を放っています。
それを物質の光と区別するために日本では「栄光」と邦訳しているのでしょう。

 また、そのエネルギーによるわざを見たものは、それを賞賛するでしょう。
賞賛されるのは栄誉を与えられることですから、栄誉という意味も出てきます。

                    

<力の源は父なる創主>

 ここでの最終的な意味は栄誉です。

聖書では、
「イエスのわざは創主から出るいのちエネルギーがイエスを通して現れた結果だ」
という思想です。
地上で行ったわざも、天に昇ってからなすわざも、そうです。
だから、イエスは天に於いても「父にとりなす」のでして、
自分ですべて出来るのならば「とりなす」必要などありません。

 イエスはそれを明示すべく「父が栄誉を受けられるため」と付け加えている。
「諸君の求めに応じて私が力あるわざを行うそのエネルギーは、
父なる創造主から源を発していて、父がなしておられるのだよ」
といって、前もって父に栄誉を帰している、と解されます。

                    


<「祝福」は力の源でない人がすること>

 付言しておくと、このことは英語のblessという語の意味を明確にするにも役立ちます。
日本語では「祝福する」と訳されていますよね。
そしてこれは日常的には「恵みを与える」という意味で使われています。

 だけどこの言葉の正確な意味はそうではない。
「(聖職者らが)創主に対してその恵み、加護を祈る」というものです。
そこには恵みを供給する主体は、究極的には創造主だけ、と言う思想があります。

 イエスも究極的には、恵みを「与える」存在ではないのです。
彼もまた「創主が恵み下さるように」と祈ってくれる存在、
その意味でのbless(祝福)をする存在なのです。

 でもイエスは力あるわざを次々にしたではないか、これはどうだ~という疑問も生じます。
だがそれは彼の意識(霊)が創主の意識と同じであって、完全に協和するから、
いのちエネルギーがそのままイエスに流れ込み、イエスを通して流出し現れた
という論理になります。

  米国にGod bless America (創造主はアメリカを祝福している)という歌があります。
第二国歌という人もいる歌ですが、ここでのblessも日常的な、拡大された意味で使われています。
創造主は自ら「恵みを与えることのできる」別格な存在です。
blessする(恵みを祈り願ってあげる)必要などないのです。

 イエスが「父は私より偉大である」という根拠はここにもあります。

                    

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