イエスはナザレという小さな村の一青年であった。
その彼が首都エルサレムに出てきて、画期的な教えをなし、それを自らの人生で実証した。
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イエスが昇天していなくなった後、弟子やその他の人々は、彼の教えを証言して回った。いわゆる口頭伝道だ。
だが、後に彼らは気づいていった。
イエスと同世代の自分たちがいなくなったら、後の世代の人々はそれを知ることができなくなるだろうことを。
そこでイエスのことを文字で書き残していこう動きが起きた。
<「伝記」になったのは>
そして結果的に、「教え」だけではなく、それも含めたイエス本人の言動記録、つまり伝記が記されることになった。
理由の一つは、彼の生涯それ自体が、人間に「永続の確信」と「永遠の幸福の希望」を与えるメッセージになっていたことである。
だが、一般的な理由もある。
ある人の教えを理解するには、それだけを聞くより、その人の生涯の物語のなかで聞いた方がよくわかる。
著者たちは書き始めて、それを悟っていったのだろう。
(続きます)
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