前回、文字資料をもとに、現存していない歴史上の人物(の心情)を認識する方法として、マックス・ウェーバーの「追体験」と「動機の意味理解」を考察した。
この方法は、大歴史学者だけでなく、原理的には、俳優も小説家も用いているとも示した。
だが実は、この方法は、彼らだけでなく、我々一般人も日常用いているものである。
<同情の心理>
我々は悲しむ人に同情するとき、その人の心に自分の心を寄り添わせて、その心理に共鳴・同化してわかろうとする。
類似の内的経験(波動)をもった共鳴箱が自分の心にもあることを期待して、共鳴するのを待つ。
共鳴・同化がなったと察知すると、自分の心の内にそれを内省感触して、相手の悲しみを認識する。
それを日常用語で言うと「同情(情を同じくする)」となるのだが、追体験とはそれと同じ原理の作業だ。
ウェーバーの追体験は、我々生身の人間が日頃生活の中でやっている心的作業でもある。
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彼は、この日常的作業を過去の歴史上の人物の心理認識に適用したのだ。
登場人物をめぐる背景の情報を収集し、自らがその中の主人公とイメージしてそれをおこなう。
前述した「シーザーを理解するのにシーザーになる必要はない」との彼の名言もその文脈で把握すべきだ。
ローマ史を認識する際、ジュリアス・シーザーになったとイメージし瞑想すれば、時とともに共感・同化がなっていく。
それを内省によって感知し、その知識を用いて歴史を理解する。
さすればその人と“近似的”な心理が自分の内に生成する、と彼はみた。
それをウェーバーは歴史学認識論として、確立したのだ。
(続きます)
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