鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

悪魔、イブに働きかける

2005年09月13日 | 若者よ、聖書を知れ!






若者諸君、大変だ!
 悪魔はエデンの園にやってくるんだ。
そして、アダムではなく、イブに働きかけるんだ。

 「創造主が、“知識の木の実を食べるとあなたは死ぬ”と言われたそうだけど、そんなことありませんよ」
 「本当は、あなたが創造主のように賢くなって、自分で善悪の判断ができるようになるんですよ」
 「創造主は、それがいやなだけですよ・・・」

無垢なイブだ。
 悪魔が刷り込んでくるイメージに対して、対抗するイメージ世界が心にない。
 だんだん悪魔からのイメージが心の中でふくらんで、ついに、食べてしまう。
 そして、これを夫のアダムにもあげると、アダムも食べてしまった。

+++

 で、二人は創造主のように賢くなったか?
 全然ならなかった。
 つまり、だまされたんだね。

+++

 だが、気がついても“後の祭り”。
 とりかえしがつかない。

 なぜかというと、ここで、「いのちの霊」を入れて創られたことが効いてくるんだ。

 「いのちの霊」は、いのちエネルギーを充電できる、充電式乾電池だったよね。
 「いのち」は、創造主から放射されてくるエネルギーだったよね。

 乾電池は、常時少しずつ放電している。
 はじめ充電度が100%であっても、放っておけば時とともに低下していく。

 100%の完全充電状態にある中で、それを保つには、常時創造主に意識が向いていなければならない。そうして、創造主と意識が完全協和してなければならないんだ。

 ところが、今回、悪魔に働きかけられて、創造主から意識をそらしてしまった。
 その間、意識が創造主と協和状態でなくなった。
 そうして霊が不完全充電になってしまった。

 問題なのは、そうなると、もう完全充電に戻らない、ということだ。

+++

 、なぜか?
 これには前に紹介した~~

   「霊は意識の本体」

          ~~といったことが効いてくるんだ。
 
 創造主の意識の状態を「聖」という。
英語ではホーリー(holy)だね。
 富士山の頂上で朝を迎えたときのような、すがすがしい意識といったらいいかな・・・。
 創造主は、人間など被造物をしかったりもするけれども、その意識のベースはいつもホーリー。

+++

 人間の意識もホーリーになりうる。
だがホーリーになる度合いは、その霊がいのちエネルギーでどれほど充電されているかで決まるんだ。

 完全充電だと、完全ホーリーな意識が出てくる。
 不完全充電だと、不完全ホーリーな意識が出てくる。

 そして、不完全ホーリーだと、創造主の意識と完全協和しない。
 すると、いのちエネルギーを吸収し充電する力も不完全になる。

 だから、もう完全充電状態には戻らなくなってしまったんだね。

+++

 ややこしいから、まとめるね。

 要するに・・・
 
  アダムとイブの霊は不完全充電になってしまった。
→ そのために、意識が、不完全ホーリーになってしまった。
→ その結果、充電力が不完全になってしまった。
→ だからもう、完全充電に戻らない。
 
 ~~~こういうことになってしまったんだね。


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悪魔が登場する!

2005年09月13日 | 若者よ、聖書を知れ!




 若者諸君。
ドラマが始まるよ。
悪魔が登場するんだ。

 悪魔って言葉聞いたことあるよね。
 これはもともとは聖書の言葉のようだ。
 英語ではサタンという。

 これが早くもエデンの園に登場する。
 けど、悪魔ってなんだ?

 どうやって造られたんだ?
 実はこれは、天使として創られたことになっている。
 そして創造主に反抗することによって変質したものだと・・・。

 このあたりのドラマをのぞくと、聖書のイメージ世界が
予想外に壮大なものだとみえてくるよ。


+++

天使は、聖書の最初に出てくる「創世記」の話の前に造られているんだ。
だから、創世記にはそのあたりのことは記されていない。
創世記の「世」というのはこの地球上の「世」のことなんだよね。

 聖書の後の方を見ると、その話を推測できるようになっている。
 それで結論だけここで言うとね。
 天使は、いわゆる「天国」で造られている。
 
聖書に描かれている天国は、我々の住む宇宙や地球上の世と違う。
これがどういうところかをある程度イメージするために、次に、天国、宇宙、地球という三つの空間を示しておこう。

+++

 まず、三つの球体を想像してくれ。
 第一に、大きなアドバルーン。
 第二に、サッカーボール。
 第三に、ピンポン球だ。

 そして、アドバルーンの中にサッカーボールが浮かんでいて、さらにサッカーボールの中にピンポン球が浮かんでいるという状態を想像してくれるか。

 すると、こうなる・・・。
 天国はこの大きなアドバルーンだ。
 宇宙は、その中にあるサッカーボールだ。
 地球は、そのサッカーボールのさらに中にある、ピンポン球だ。

 ホントは、地球はもっともっと小さい。ピンポン球の変わりに、ビー玉をイメージしてもまだ、大きすぎる。
 だけど、まあ、イメージがしやすいように、ピンポン球としておこう。

+++

 この三つの空間のうち、一番最初に造られたのはアドバルーン、すなわち天国だ。
 天国は、創造主によって造られた空間だ。
 造られたのだから、被造空間といってもいい。
 一定の限られた範囲を持っているけど、とてつもなく壮大だ。

天国(Heaven)というのは、正確には、「創造主の王国」(Kingdom of Heaven)という。そこは創造主が王として統治する天の王国だ。それがまず最初に創られたんだ。

王国というのは、王様が統治する国だ。
民主国家ではないよ。
民主国家では人民に主権があり、人民が法を作って統治する。

 王国では王様に主権がある。
 かつてのフランス、ルイ王国のようにね。

そこでは王の口から出た言葉が、法律になる。
天国では王様は創造主だ。
だから、天国では創造主の論理が貫徹している。
 
+++

 天使はここにたくさん創られた。
天国に置かれた「創造主の名」を賛美するのがその使命だとして創られた。

 だが、ある天使長が、部下の天使に自分を賛美させようとした。
 そういう空間を作ろうとした。

 それは創造主の王国の中に、自分の王国を作ろうとすることだ。
 これすなわち、創造主への反抗だ。

+++





創造主は、これを自分の王国に置いておくわけにはいかない。
そこで天国の一すみに牢屋を造った。
そこは暗闇の空間だ。
そして、この空間が我々の住む宇宙ということになる。
アドバルーンの中にあるサッカーボールがこれだ。

ここは、光がほとんど無い、暗闇だ。
創造主は、反抗した天使をここに追い落とし、閉じこめた。

その天使が悪魔に変質して、いま、宇宙の中にあるピンポン球・地球上にやってきた。
エデンの園にやってきた。

もう、ドラマが始まらないわけないんだよね・・・。

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いのちの木と善悪の知識の木は食べるな

2005年09月13日 | 若者よ、聖書を知れ!





若者諸君。
 創造主はアダムに、食べるのによい木をいっぱい生えさせ、妻となる女まで造ってあげたよね。もうまるで猫っ可愛がりみたいだけど、反面そうでないところもするよ。

 創主はアダムとイブに厳しい戒めも与えているんだ。
 まず、エデンの園の中央の場所に、二本の木を生えさせる。

 「いのちの木」と「善悪の知識の木」がそれだ。
 
+++

 そして二人にこういう。
 「他のすべての木からは実をとって食べてもいいけれど、この二本からはとって食べてはいかんよ」

 「戒め」だね。
 恵まれた楽園でも、これがあると「ピリッ」とする。
「浮いた浮いた」の気分に流れることはなくなるよね。

+++

なお、この「善悪の知識の木」は、日本では「リンゴの木」になってしまっていることが多いようだ。
 「アダムとイブがリンゴを食べたんで・・・」とね。
 いつの間にやらそういう話になってしまっているが、正しくは「善悪の知識の木」だよ。

そして、この木を巡って、ドラマが展開するんだ。



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助け手、イブを造る

2005年09月12日 | 若者よ、聖書を知れ!



 若者よ。
 今回はたぶん君たちが知っているところもある話だよ。

 アダムに最高の環境を整えてあげた創造主は、それにとどまらない。
奥さんイブを造ってあげるんだ。
諸君もその名は聞いたことがあるだろう。エバと発音されるときもある。

 イブは女だ。
 創造主はこれを、「アダムにふさわしい助け手」としてつくった、と聖書に書いてある。
 どういう意味で「ふさわしい助け手」なんだろうね。
 とにかく、こうして、ご存じ、アダムとイブがエデンの園に誕生するわけ。

+++

 至れり尽くせりの環境を整えてもらったアダムも、このイブを与えてもらったときには歓喜するんだ。「これぞ私の分身・・・」とね。

 そりゃそうだろう。すばらしい環境として、鳥や獣を造ってもらっても、それらは自分とはかけ離れた姿をしているからね。
ところがこのイブときたら、頭が一つ、手が二本、二本足で立って歩く。
もう自分にそっくりだもんね。

 ともあれ、アダムはイブを見て歓喜する。
 そして、聖書はこういってるよ。
 
「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び会い、ふたりは一体となるのである」
(創世記、2章14節)

 現在、人類の多くは結婚して親元を離れ、家庭をもつよね。
 それは、この時点ですでにそうなるように造られていた、そうなっていた、と聖書は言っているわけだ。

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“いのち”はエネルギー

2005年09月11日 | 若者よ、聖書を知れ!




 若者よ。
 創造主が地球を創り、表面を海と陸とに分け、植物、動物をつくったんだったね。
そこに人間を創った。人間には、これらを支配せよ、といった。産めよ増えよ、地に満ちよ、といった。

 それから、ず~と時が流れた。そして今から6先年ほど前に、別の人間・アダムを創った。このアダムの身体には、「いのちの霊」を入れた。そして彼のいる地、エデンを楽園に造った。

 聖書のイメージ世界を、そこまで紹介し、前回は、霊のことを話したよね。

 今回は、「いのちの霊」のうちの「いのち」を説明するよ。

+++

 「いのちと」いうのは、創造主から発射されているエネルギーだと思ったらいい。創造主は、いのちエネルギーの源・総元締めだね。

 エネルギーは波を打ってやってくるけどいのちエネルギーもそうだ。つまり、波動をもっている。

アダムの霊は、この「いのちエネルギー」を吸収し蓄積できるように造られたんだ。
このあたりは、充電式の乾電池をイメージしたらいいだろう。

乾電池って、内部に電気を蓄積しているよね。そして、この電気を放電して、ウオークマンやパソコンを動かしたり、最近は自動車まで動かすようになってきた。

でも、使っていると、だんだんと蓄積されていた電気の量が少なくなる。
けれども、充電式は、コンセントにつないでまた充電することができるよね。

+++

 「いのち」というのは、この電気のようにイメージしたらいいよ。
 で「いのちの霊」は、この電気を内部に蓄積できる充電式乾電池だ。

+++

 「いのち」というエネルギーを蓄積すると、いいことあるか?
 あるんだよね。
 これが霊の内部にあると、創造主から発せられるいのちの「波動」がよく共鳴する。
すると、創造主の思いがよくキャッチできる。

 また、自分のうちにあるいのちエネルギーの波動を発信して、創造主と交信することもできるんだ。 この発信が「祈り」だね。

 アダムは、そういうことができる、特別な人間として造られたんだね。

+++

 では、それよりズ~と前に造られた人間はどうかというと、これにも霊はある。
だけど、この霊は、創造主の思いを受信したり、自分の思いを発信したり(これが祈ること)は、できない。

 だって、「いのち」エネルギーがないんだから。
 創造主と同じ種類のエネルギーをもってないから、その波形の波動を発信することはできないわけ。

 人間同士でも、こういうこと多少はあるよね。
 愛し合っているもの同士は以心伝心という。

お互いに言わなくてもある程度、波動でわかっちゃう。
波の形が同じ波動を発信してるんだろうね。

♪ むーごん(無言)、色っぽい ♪

~~なーんちゃってね。


+++

 人間だけでなく、動物にも霊はあるよ。
 かわいがっていたペットが死ぬよね。
 その後、そのペット(の霊)を見たという証言は、た~くさんあるよ。
 こういうことを研究する科学も盛んだ。

 で、こちらの霊も、身体が死ぬとそこから出るんだ。
 正確に言うと、霊が出ると、身体は死ぬし、霊が戻るとまた生き返る。
 生き物はそういう風になっている。

 霊が出ると、肉体のなかの血液循環運動が停止する。
 すると、肉体は、腐り始める。
 そして、崩壊して消滅する。

 腐ると言うことは、崩壊していくことなんだよね。

+++

 動物は、霊があっても、自分を造った創造主なんて全然意識にないよね。
 その状態で、仲間うちで無邪気に生きている。

 アダムの前に造られた人間も、そうだったんだ。
しかし、アダムは創造主の思い、創造主の意識に感応する。
ビンビン感応する。

 そして、この人間の子孫が、現在の我々人類につながっている、と聖書は言うんだ。
さ~あ、どうやってつながってきていると、聖書は言うのか・・・・・。


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アダムは創造主と交信できる人間として創られた

2005年09月10日 | 若者よ、聖書を知れ!





 若者諸君。
「聖書を知れ!」というのは、「アリガタヤ、アリガタヤ」とやるためではないよ。
いわゆる宗教を持つため、信者になるためでもないよ。

 世の中について、人間について、とにかく一つの考え方を、イメージを心に持つためだ。
それで、こころを、とにかく充たすためだ。
満腹にする。
するとね、心が空しくなくなってくるんだよ。

+++

 世界についてのイメージがなんにもない、という状態は、非常に危険なんだ。

君たちに薬物やその他の犯罪を勧める者たちは、まず君たちを説得しようとする。
そして、君たちが自発的にそれをするようにし向けていく。

そのとき、「世の中こんなもの」「人間こんなもの」といった話を必ずまじえる。
そのとき、世の中や、人間や、人生についての考えが、自分の中になんにもないと、
どうなるか。

知らないうちに、その話が心の中に残っていく。
知らないうちに、洗脳されていく。
 それで、時間がたつと、操られることになるんだ。

+++

大人になっても、まとまった「世の中観」、「人間観」が心にほとんどない人がいる。
我々の国、日本にはたくさんいる。

そうなると、ギャンブルにふらふらと足を踏み入れることを続けやすくなる。
お金を取られ、サラ金に手を出す。
借金取り立ての拷問にあって、神経を破壊され、精神的にも壊されていく。

人間や世界に関する考え、イメージが一つ心にあることは、とても大事なことなんだよ。

@      @      @

聖書のイメージ世界の話を続けるよ。
 創造主は、いまから6000年前にアダムを創ってその地を、楽園にしたんだったよね。

何でそんな特別なことをするんだ?
~~今日は、それを紹介しよう。

それはね。
アダムを特別な人間として創ったからだよ。

どういう風に?
創造主と心で交信できる人間としてだ。

そのために、アダムの身体を創ってから、そこに

  「いのちの霊」

      というのを入れている。
 創造主はそんなことをした、と聖書のはじめのところに書いてあるんだ。

+++

 う~ん、「霊」というのが登場するんだね。
霊ってなんだ?

幽霊(ゆうれい)って言葉聞いたことあるよね。
死んだ人の霊。
こわ~い話の中で出てくるよね。

「幽」ってのは、「くら~い」ということだ。
だから、幽霊は、「くら~い霊」ということだ。

 暗かろうが、明るかろうが、その人の身体はもう死んでいる。
ということは、霊はその人の体から、抜け出していると言うことだ。
そして、無くならないで、存続している。

+++

 聖書も、霊をそういうものだと教えている。
 人間が生きている間は、身体の中に入っている。
そして、身体が死ぬと、そこを抜け出て存続する。

+++

 霊については、大事なことがもう一つある。
 それは、人間の意識は究極的には、身体の方ではなく、この霊の方にある、ということだ。
「意識の本体は、霊にある」、といったらいいかな。

 これも、幽霊の話とあっているよ。
 だって、幽霊って「うらめしや~」というだろ?

「うらめしい」というのは「恨みに思っている」ということだ。
なんの恨み?
身体が生きていて、その中にいたときの恨みだよ。
生前の恨み。
生きている間に、恨みに思うことがあったんだ。

その意識は、霊が身体を抜け出ても、霊の中にとどまっていたんだ。
これが幽霊だ。
意識というのは、霊という場のなかにあるんだ。
だから、「怨めしい」んだろ。

+++

 聖書も同じ考えだよ。
霊は意識の本体だ。

コンピューターで言ったら、ハードディスクみたい。
そこに、考えたこと、感じたことなどの意識の記録、記憶はある。

で、脳とか神経とかいうのは、肉体の一部だ。
これは、モニターやキーボードだと思ったらいい。

つまり、脳は霊の中にある意識の記録を、モニターで見る。
そして、「これは、もう少しこうした方がいいな」
と思ったら、キーボードで修正を加える(これが、人間の「意志」にあたる)。 
そして、修正された意識はまた、霊というメモリーに記録される。
   上書きされる。

で、肉体が死んで、脳が活動しなくなったら、
霊は記録を持って外に出る。
   そういう仕組みだ。

+++

なお、ここで神経というのは、電線(コード)みたいなもんだね。
脳と霊とをつないで信号をやりとりさせる通路だ。

そして、この電線は霊のすべての部分に行き渡っているのではない。
だから、信号をキャッチしてモニターに映し出せない部分もある。

   この映し出せない部分が、頭脳で自覚できない意識の部分だ。
霊のこの部分にある意識が、いわゆる「潜在意識」だ。

聞いたことある? この言葉。
他方、モニターに映して、「ああ俺は今こんな意識なんだな」と
自覚できる部分が、「顕在意識」

+++
 
 潜在意識、顕在意識というのは、心理学の巨匠、フロイトという人の考え方だ。
この人が、精神分析学で教えている人間心理の構造は、聖書とそっくりだ。
 フロイトが聖書を勉強したのか、勉強して聖書の考え方をパクッたのか。
それは知らないよ。

 次は、「いのちの霊」の「いのち」について説明するね。

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じゃあ人間はどう創られた?

2005年09月08日 | 若者よ、聖書を知れ!




 若者たちよ。
元気か?
健やかでいるか?

苦しんでる者いるか?
聖書を知ろう!
知れば力になるから。
予想もしなかったような力になるから。

保証する。
鹿嶋春平太おじさんは、保証するよ。

+++

 今日はいよいよ、人間を創るところだよ。

 創造主はどうやって人間を創ったか。

まず、地球上を海と地とに分ける。
そして、地上に植物、動物を、海に魚を、空に鳥を創る。

 その後で、創造主は人間を創った、と聖書はいっているよ。
沢山創った。
産めよ、増えよ、地に満ちよ、と。

・・・何のために?
それはまだ出てこない。

+++

 そして、この人間に、地の全てのものを支配せよ、といっている。
人間は、地上のことに対しては、支配をする力を与えられたということだ。

・・・・何のために?
それが書かれたところはこれから出てくる。

 とにかく、それで、何万年か、何十万年か、とても長いときがすぎたようだ。

+++

そして、あるとき・・・。
いまから6千年ほど前のことだ。

創造主は、アダムという人間を創るんだ。
 (これが、いまの我々人間のはじめということになっていくけど、その話は後だよ)

いまの中東イラクのバクダッドあたりではないかと思われる地に、アダムを創る。
そこに、植物や、動物、魚、鳥などを創り、エデンという大きな園にするんだ。

+++

むかし人間を創ったのと順番が逆だね。
昔は、先に、植物、動物を創ってから人間を創った。

今度は、アダムという人間を創ってから、その後でいろんな環境を創ってる。

+++

また、園といっても、日本でみるような庭園ではないよ。
ディズニーランドの十倍くらいかな。
山もあり、川も流れる巨大な園。

・・・そこは楽園だよ。
創造主は、食べ物もふんだんにあるようにしている。
アダムは額に汗して働かなくていい。

季候もいい。
裸で暮らして行かれる。
イバラとか、そういうさわると身体に傷の付くようなものは、ないんだ。

+++

何のために?
何のために、そういう人間を創り、そこをそういう楽園にした?

それはこれから出てくるよ。
いまわかることは、創造主は、目的なしでものを造ることはないということだ。
聖書はそういうことをいう本だ。

人間を創るにも、目的を持って創っている。
何か、必ずある。
それは確実だ。


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創主はどうやって創るんだ?

2005年09月07日 | 若者よ、聖書を知れ!


 

若者諸君、
春平太おじさんだよ。
お兄さんかな?
「聖書を知れ!」の話だよ。 

  聖書では、創造主が人間を創ったと書いてある。

「創造主が人間を創るっていって、どうやって?」 
 ~~君たちは若いから、理屈を知りたくなるよね。

 そうねぇ・・・。

 
一昔前には、「無から有を生じる」なんていっていた。
何にもないところに、突然、植物、動物、人間などの物質を出現させたんだ、と。
創造主は神様だから、そういうことができるんだって・・・。

それでね。
教会に来る人は、納得してたみたい。
「宗教だから、そういうものだろう・・・」とね。

+++

だけどね・・・、アインシュタインという名前知ってる?
原爆つくるための法則を見つけ出した人。
物騒な科学者・・・。

20世紀になってこの人が、大発見をした。
「聖書の創造論はおとぎ話でないかも知れない」、と思わせる道を開いたんだ。
この世の法則の大発見。

「エネルギーと物質は相互転換しうる」

      ~~というのが、それ。
難しそうかい?
こう考えたらいい。

+++

エネルギーというのは、要するに「力」だ。
重い荷物を持ち上げるには、力がいるだろ?
人間が飛び上がるにも、走るにも、歩くにも力がいる。

無かったら物は動かないよね。
でも、そういうふうに物を動かす力は目に見えない。
物質でないから。
だけどあるんだ。
有るから物が動くんだ。

それがエネルギーだ。
まあ、目に見えない「気」のようなものだとイメージしたらどうかな?

その「気」が物質に変わる。モノに変わる。
モノも逆に、「気」に変わる。エネルギーに変わる。

~~~この世にそういう法則があることをアインシュタインは、発見したんだ。

+++

 アインシュタインの凄いところは、エネルギーと物質が転換するとき、どういう量で転換するかまで見つけ出したこと。

 たとえば、1グラムの物質がエネルギーに変わると、どれくらいの力になるか。
地下からマグニチュード7の地震を起こすくらいの力だそうだ。

すごいなぁ。

だったら、エネルギーにとても変わりやすい物質を見つけ出して、それを大量にエネルギーに変えたら? ・・・・すごい熱を出す爆弾、原子爆弾になるよね。

で、やってみたら、出来ちゃった・・・。
これで日本は被害を受けた最初の国。
最初だから、これからどこが被害を受けていくかわからんよ。

人騒がせな人だね、アインシュタインって・・・。

+++

 話を進めるよ。
 逆の場合を考えよう。

 つまり、逆に、エネルギーから物質を創ることも出来る。わずか1グラムの物質をエネルギーから創るには、マグニチュード7の地震を起こすほどの力が、エネルギーがいるけどね。とにかく、できるわけ。実験も成功している。

 では、膨大なエネルギーの総元締め、源、発射源がいたとしたら?
思うように、物質に転化させることが出来るとしたら?

 その方は、望む物質をどんどん創ることができるよね。

 聖書に書かれている創造主が、そういう存在だとしたら?
植物、動物、人間、光などを創っていくというのも、単なるおとぎ話でなくなる。
科学的に十分根拠のある話になるんだな・・・これが。

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俺を造ったのがいるって?!

2005年09月06日 | 若者よ、聖書を知れ!





若者よ、
本屋で聖書をみたら、大きいだろ!
辞典かと見間違うだろ。

 でも、心配いらないよ。
 春平太の話は、最初の数ページについてだけだ。
 そこだけの薄い冊子が聖書だと、ず~と思っていていいんだ。

 はじめの所には、ゴッド(日本語の聖書には「神」と書いてあるよ)が地球上の世界を造った話が書いてある。
 動物も、植物も、人間も、海も、山も光をもね。

 ゴッドは英語だ。これは正確には「万物の創造主」という意味だ。
 (そうぞうしゅ)とも(つくりぬし)とも読める。

 春平太は、正確な言い方をするよ。
 読み方はどっちでもいいが、春平太は(つくりぬし)と呼ぶよ。
漢字では、「造」の字を省いて、創主と書くことも出来るよ。
 このときも、(つくりぬし)とよんでね。


+++

 「俺たちを造った創造主がいるんだって? 馬鹿らしい・・・」
   ~~って思わない?

   そうだよね。 

 だけど、はじめから「馬鹿らしい」とか「利口らしい」とか思わない方がいいよ。
 まあ、とにかく、聖書のイメージ世界に耳を傾けてみるわけだ。

 「へ~え、そうですか」とか
 「ああ、そういう存在がいるという話ですか」
           ~~とかね。

 イメージの世界だから、それはそれでいいとするわけさ。
 そのイメージが現実にあっているか合っていないかは、いつだって決められるからね。そう思えばいいだけ。個人の自由だよ。

+++

 「俺たちを造った存在がいる」
ということをイメージする。
なにか、膨大な、でっかい存在。
目に見えないけどね。
存在する~~と思ってみるんだね。

そういうイメージ世界を心に思い描くと、いいこともあるんだ。

いいことって?
 自分が存在する理由を考えることが出来る~~ということ。

 「俺って、そもそも何で存在するんだ?」
 「私ってそもそも何のために存在してるの?」

 人間は、み~んな、そういう疑問を抱いて生きている。
そして、み~んな答えが得られそうにないから、あきらめている。
テレビに出て、偉そうにコメントしてる先生も同じだよ。
みんなわかっている、という顔をしてやってるけどね。

実は、ぼんやり漠然とした、もやもやを心に残しながらやってるのさ。

 どうして答えが得られないの?
創造した存在をイメージしないからだ、それを考えないからだよ。

+++

 おうちにテレビがあるよね。
この機械、自分で「自分が何故存在するか」を知ること出来る?
 「何のためにこの世に出現したか」知ること出来る?

できないよね。
 出来ないで、テレビは、いろんな画面を映している。
 一生懸命、働いている。

+++

 でもね。
造った存在をイメージに入れたら?
 創った存在って?
 人間だよ。

 テレビの創造者は人間だろ。
人間は、まず、自分が家で画面を見られる道具を夢見たんだ。
イメージしたんだ。
 それを工夫して青写真に設計したんだ。

 そして、それに沿って、部品を造って組み立てた。

それがわかると、テレビは、自分の存在目的がわかるようになる。

 創った存在をイメージに入れないで、考えているだけだと、そういうことがわからない。

自分が何のために存在するか、存在するようにされたかの答えは永遠に出てこない。

 わかるのは、ただ自分が「ある」「存在する」ということだけ。
「俺は、何だか知らないけど、有る~ぅ」だね。

+++

 ・・・・だからね、創った存在をイメージに入れるということは、心に希望の光を入れることなんだ。
 自分が何のために、何故存在するかの答えを見出す、可能性だね。
 ~~とにかくこの可能性は現れるんだ。

 それが納得できるかどうかは、次の話だ。
 それは次に考えればいい。
でもとにかく、あきらめながらもやもやとしていたことに、一つの答えを出す可能性は開けるんだ。

 これがどんなに人間の助けになるか。
君たちの助けになるか。
 ベイビー、これから、わかってくるぜ!!
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若者よ、聖書を知れ!

2005年09月06日 | 若者よ、聖書を知れ!




 薬物中毒になって苦しんでる若者が、日本に200万人もいるとは・・・。
 覚醒剤、大麻、麻薬・・・。知らなかった・・・。
引きこもりが100万いることは知っていたけど・・・。

 鹿嶋春平太は、悔い改めたよ。
我々大人は、若者の心の傷、むなしさ、悩みに心を向けていなかったんだよね。
自分の青春もそうだったのに、その時代が過ぎると忘れていった。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
こうして、若者の苦しみに目を向けなくなってしまうんだね、大人は。

+++

若者の立場は弱いんだよね。
青春時代は、いつも土砂降りの中だ。

家庭が安らぎの場になっていない若者がいる。
彼等には、落ち着いた居場所がない。

辛いよね。

さまよい歩けば、人と衝突して傷つく機会が多い。
心が痛いよね。

+++

若者に成長すると、人間は自分を「個」として自覚するようになるんだ。
いわゆる「自我に目覚める」というやつだね。

それまでは、親は自分の一部だった。
自分も又、親の一部だった。

ところが、成長すると親が自分とは別の独立の人間に見えてくる。
親を環境だと自覚してしまう。
突然、孤独感が襲う。

 すると急に、自分と環境世界との関係を知りたいと思えてくるよね。
親との隙間を埋めるイメージ世界が欲しい。
   親と自分との繋がりをつけるイメージの世界が。

自分と環境世界との関係、それに対する考え方~~これいわゆる世界観だ。
世界観があると、その中で生きる自分の姿もイメージできてくる。
それすなわち人生観だ。

 こういうものがないと、自分がむなしく感じられてくる。
宙ぶらりんな状態になる。


+++

むなしさをごまかす日常的な喜びに恵まれる環境の子もいる。
家庭とか、学校とかで、かろうじてね。
だが、得られない子が沢山いるんだ。
そこに、家庭問題、親子断絶、友人関係で傷つくとこたえるよね。

その苦しさ、心の痛さ、むなしさから一時的にでも逃れたいと思う。
家に帰りたくない。
同じ若者たちのいる夜の街角に留まりたい・・・。

ところが、そこは野獣も蛇もいるジャングルでね。
君たちをエサにして、カネを得ようとする悪魔の手先のようなのがうようよいるんだよね。

彼等だって、もとはといえば、君たちと同じ傷ついた若者だったけどね。
不運にも、害を加える側に取り込まれてしまった。
それで、悪い方の側で働くようになってしまっているんだよね。
自らも、小悪魔となって・・・。

世の中って、そういう風に動いているんだよ。

+++

 みんな、聖書を知れ!
急いで知れ!

 問題の発端は、突然自我に目覚めたことにあるんだ。
 そこに基盤がある。
それまで自分の一部だった親が、急に自分とは別の独立の人間に見えてきたことにあった。
親が環境になった。

 なのに、自分と環境世界との関係のイメージが得られなかった。
世界観が得られなかった。

 だから、苦しみが、心の痛みが、カミソリで切られるように鋭いものになってしまう。
 人生いつでも心は傷つくことあるんだよ。
 だけど、青春時代ほどに鋭くは感じない。
 親が突然他人になったとき、その時に心の傷は、カミソリの痛みになるんだ。
 絶えられない激痛に。


 だけど、自分と環境世界との関係を映し出してくれるイメージ世界、これが心にいっぱいあると、状態は変わる。
自分がむなしく感じられてこないんだよ。
宙ぶらりんな状態にならないんだよ。

 すると、辛さも、心の痛さも、むなしさもそのイメージ世界の中で「理解」することが出来る。
理解は心の傷を癒す、むなしさを埋める妙薬だ。

 それに、イメージ世界があると、それだけで心は満たされるんだよ。 
 人生観、世界観があると、それを指針にしていつも物事を考えていくことが出来るからね。

+++

春平太は悔い改めたよ。

 このブログで春平太は、聖書のイメージ世界を提示してきた。
そのスタンスは、「興味がおありの方は、各々自由に学んでくださいよ、どうぞ・・・」というものだった。

 「このイメージ世界が、信頼出来るかどうかは、ご自分で判断してくださいね」だった。
そのスタンスで知らせていたのだよ。

 だけど、もう、そんなことではダメだと悟ったよ。
春平太は強く薦めるよ。

若者よ、とにかく聖書を知れ!
他に何かある人はそれでもいいだろう。
だが、これといってないものは、とにかく聖書を知れ!

 そうでないと、危ないんだ。
 それでまずとにかく、心の空洞を埋めるんだ。

 知るだけで、ある程度埋まるんだ。
それでいいんだ。
 早く、早く、知れ!

鹿嶋春平太おじさんが、いまこれから、教えていくからね。
読みなさい。学びなさい。
それで、心を埋めていきなさい。
いいね・・・。


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イエスも7回血を流していた

2005年09月04日 | 春平太チャペル



麻薬密売人上がりのハッチ牧師の話の続きです。

彼は、人間が生きていて犯していく罪と、これを代償するイエスの血の力を探求した。それは前回話しましたね。

旧約聖書では、至聖所に入ることのできた祭司は、そこで、人民の罪を贖うためとして、子羊の血を振りかけました。聖書には7回血を振りかけるべし、という命令が書かれていました。祭司は、それに従って、カーテンなど7カ所に子羊の血を振りかけました。

 旧約聖書に書かれていることは新約聖書に書かれていることの影のようなものである。あるいは、新約で明らかにされる本物を、先んじてたとえでもって示しているものである。

 そうすれば、旧約で、子羊の血を七回振りかけよという創造主の命令は、イエスが流した血とも対応しているのではないか。そう考えたハッチさんは、イエスが血を流す場面を改めて調べてみました。

@      @      @


彼の聖書再検討の結果は、7度でした。
具体的には、次のごとくです。


①ゲッセマネ園で祈りをした時、イエスの皮膚から、血の汗が流れた。

②棘の冠を押しつけられたとき、イエスの額から血が流れた。
  
③むち打たれたとき、イエスの背中から血が流れた。

④手に釘を打ちこまれたときイエスの、手から血が流れた。
  
⑤足に釘を打ち込まれたとき、イエスの足から血が流れた。
  
⑥ローマ兵士がイエスの脇腹に槍を刺し通したとき、イエスの脇腹から血が流れた。
  
⑦様々に打たれることによって、イエスの皮膚の下では内出血した。


@      @      @

  
~~⑦については、若干の説明をいたします。

 イエスがユダヤ教の司教たちやローマ兵士に捕らえられてから、死んで墓に葬られるまでに受けた拷問を史実を調べて、正確に再現しようとしたのがメル・ギブソン監督です。

 彼は、従来のイエス映画が、その点で、正確でないと感じて、「パッション」という映画を作りました。日本でも最近上映されましたね。

 この映画では、イエスのまぶたが殴られて腫れ上がっていましたね。片方の眼がふさがれて見えにくいほど紫に腫れ上がっていました。たとえば、このまぶたの内側は、内出血しているわけです。外に血は流れ出していませんけれど、皮膚の内側では出血しています。

ハッチさんは、これも出血であると数えました。すると、ちょうど7回になりました。

@      @      @

 彼は、これで合点した。そうだ、イエスが拷問を受けて流した血は、旧約聖書の時代に、祭司が至聖所で振りかける子羊の血に対応しているのだ~~と。

 祭司は、毎年毎年、民が犯した罪を子羊の血で贖いました。毎年毎年ということは、こういうことです。すなわち、ある年に贖っても、人は又次の年に罪を犯します。その罪は、また新たに子羊を屠って流した血を振りかけることでもって、代償されねばならなかった。

 究極の生け贄であるイエスの血は、毎年流す必要はありません。だが、人は、ある罪をエスの血で贖われても、又罪を犯します。その罪も又、イエスの血で贖われなければ(代償されなければ)ならないのだ。我々は、毎日、イエスの血を必要としている。しかし、その血を想起し宣言すれば、各々の罪は代償されるのだ、と。

ハッチさんは、ますます、イエスの血の力に関する確信を、深めていきました。
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イエスの血は、この世で罪を代償する

2005年09月03日 | 春平太チャペル


牧師の皆様、ひいては、クリスチャンのなかには、
霊的な力を希求しておられる方がおられると思います。
人の病を癒したり、貧困の呪いから解放してあげたりする力です。
聖書には出来ると書かれているけれども、実際にはベニーヒンなど、
一部の人を通してでしか現れない。

 牧師をしていても、単なるクリスチャンをしていても、この世で苦しんでいる人によく対面します。
まるで拷問を受けているような苦しみの中にいる人もいる。
何とかしてあげたいと思いますが、力がないことにはどうにもならない。もどかしいです。
自分を通して力が現れたら、どんなにいいでしょうか。鹿嶋もそう思っています。


 そうしたなかで、希望を抱かせてくれそうな福音テレビ番組に、米国で出会いました。
登場した牧師さんの本を読みました。今日は、それをご紹介します。

 その人は、Larry Huch(ラリー・ハッチ)牧師です。
彼は麻薬密売人あがりの牧師です。著書は“Free at Last”といいます。


                    


 ハッチさんは、米国の貧しい地域に生まれました。家族は何代も、貧しいままでした。
貯金はいつもゼロのあたりを上下していました。
ということは、周期的にお金のない状態に追い込まれる経済状態です。
彼は若いとき、自分は経済的に余裕のある人生を送りたいと切望しました。

 そのために、一気にお金のはいる職業に就こうとしました。
まず花形のスポーツ選手になろうとしました。短期に多額のお金が入るからです。
だが、身体的限界にぶつかりました。

 そこで、麻薬の密売に手を出すようになりました。
それが徐々に高じて、南米まで行って密輸入をするという、プロにもなりました。
銃を抱いて眠るというすさまじい生活を送りました。


                    


しかし彼は、いつもいのちをねらわれる人生に疲れ果てました。そして、キリスト教に入信します。
教会では、イエスの十字架死の救いを信じることによって、人は救われ、
この世でも祝福を受ける、と説教していました。

ハッチさんは、経済的な祝福を受けたいと切望しました。
イエスが人類の罪の代償のために、自ら死んでくれた。
それによって自分たちは罪の許しを受け、救いを受けたと信じました。

 そして奥さんとともに、クリスチャンとして完全な暮らしを試みました。
主日には必ず礼拝に出席する。タイス(十分の一献金)も正確に行いました。

 ところが、彼と奥さんの生活は、一向によくなりませんでした。
彼は、なぜなのだ、どうしてなのだ、と聖書を探求しました。
 

                    


 そしてあるとき、イエスの血に関する旧約聖書の聖句に、特異な点があることに気付きました。

 旧約では、祭司たち聖職者が幕屋という聖所で罪の赦しを祈ることが、
創造主からモーセに命じられています。ユダヤ民族はその命令に従います。

 聖所の中に、至聖所という究極の祈りの場所とでもいうべき所があります。
そこには毎年、選ばれた一人の祭司が入ることが出来ます。
彼は屠られた子羊の血を、7度至聖所で降り注ぎます。
そして、この一年間にわたる、民の罪の贖いとするのです。これを、毎年行ってきました。

                    


 ハッチさんは考えました。

旧約聖書に書かれていることは、新約聖書に書かれている真理と対応している、といわれる。

 旧約聖書で血を流し、殺される子羊は本物であるイエスの影のようなものだ。
イエスを子羊でもってたとえて示している。

 だから、人の罪の本物の代償は、イエスである。
そして、旧約で子羊の血でもって人の罪を代償しているなら、その示しているところの本物の真理は、
イエスの流した血が人の罪を代償することである。

 子羊の血は、毎年流されねばならないが、イエスは本物だから、
その血は一度流されたら永遠に有効である。永遠の贖いの力を持つものである。

 人は救いを受けても、毎日罪を犯す。その罪が人に呪いをもたらす際の、悪魔の口実になる。
しかし、その罪を贖うのは、イエスが流した血なのだ。
そのことを強く主張すれば、悪魔は人に呪いを与えることは出来なくなる。
そのことへの無知が、悪魔の呪いを許してしまっているのではないか。


                    


そこで、ハッチさんは、イエスの血で自分の罪と呪いは代償されたのだ、
と祈りの中で主張するようになりました。

そうしたら、薄皮をはがすように、呪いから次々に解放されていった。
麻薬中毒、アルコール中毒、激怒症、貧困から解放されていった~~と彼は証言しています。

                    


<知らなければ真理も人を解放しない>

その体験から彼は言っています。
 「真理は人を解放する」というが、実態はそうではない。
 正確には「知った真理・理解した真理」がその人を解放するのだ、と。

彼は、牧師になりました。
そして、この方法で、多くの人を呪いからの解放に導きました。

 現在、米国に四つ、オーストラリアに二つ、教会を開き、運営しています。
オレゴン州、ポートランドにある母教会は、会員が5000人を超えるといいます。


                    


 彼は、テレビ番組も持っています。
テレビで彼の礼拝を見ていますと、礼拝終了後に、問題を抱えた人々が講壇に集まります。
彼は、一人一人、両手で頭を挟むようにして按手して祈ります。

 按手を受けた人が、必ず倒れるわけでもありません。
倒れる場合もありますが、ベニーヒン牧師のように次々に倒れるというようなとはありません。

 ところがそれで、信徒たちは、生活上の問題、呪いから解放されていくようです。
それで、教会に多数の人が集まっています。

 本日、鹿嶋は何を言いたいか。
 多くの人はベニーヒンのようなことは、とても出来そうにありません。
だが、そういう人でも、ラリーハッチさんのこの手法なら、できるんではないか。
それでもって、結果が出るというのなら、これは貴重な知識ではないか。~~これであります。


                    




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Vol.83『マナを与えたのはモーセではないよ』(6章)

2005年09月01日 | ヨハネ伝解読

=聖句=

「天からのパンを与えたのはモーセではありません。天からのまことのパンを与えるのは、私の父(創主)なのです」(6章32節)。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 イエスはパンと魚を次々に出現させて、5千人に食べさせました。
 そうしたら、人々は食物を求めてイエスを追いかけるようになりました。
だが、イエスは彼らを食べさせ続けることを、しませんでした。

 群衆が空腹を充たしたいこと、そんなことはイエスは百も承知しています。
けれども、それを繰り返し充たしていくことは、イエスがこの世に送られた主目的ではないのです。

 この世での物的な豊かさも、人間に大切でないことはないのだけれど、それは二番目に大事なことだ。まず、霊が幸福になるようにしてしまうことが、先決なのだ。その道に導くのが、イエスの主目的なのでした。

 そこでイエスは、かまわず本題に入ります。

 「天からのパンを与えたのはモーセではない。天からのまことのパンを与えるのは、私の父(創主)なのである」(32節)

   ~~~と。ここは、少し説明が必要なところです。

 イエスのこの言葉には、飛躍があるのです。間の説明(中間項)を飛ばして話しています。いま、そこを埋めてみますね。ヨハネ伝「解読(講解)」ですからね。

<「出エジプト記」を踏まえている>

 「天からのパンを与えたのはモーセではない」とありますね。
 このパンとは旧約聖書に出てくるマナという食べ物のことです。旧約の「出エジプト記」という書物の16章に創主が天からパンを降らせたという記述があります。

 エジプトから脱出してカナンの地に向けて荒野を旅するイスラエル人に、創主がパンを与えたという一件がそれです。それを、イエスの時代の民衆はモーセが働いて与えてもらったと理解していたようです。だから、イエスは「モーセではないんだよ」といったのでしょう。

 実際、これについては、モーセは祈り求めてはいません。創主が一方的に与えたという状況が記述されています。

 民衆がモーセたちに不平を言った。それを見た創主が、天からパンを降らせた。それをイスラエル人はマナと名付けた~~と旧訳聖書にはあります(出エジプト記、16章31節)。

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