鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.131「17章 米国での聖句主義「的」文化」(5)~HBSは聖句吟味方式の丸ごとコピー~

2012年04月07日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
    
             
       
今度は教育分野での聖句主義化の事例を見ましょう。

世界の若きビジネスマンがそこでMBA(経営修士号)をとることを夢見る経営大学院の
ナンバーワンは米国マサチュセッツ州にあるハーバードビジネススクール(HBS)です。
この学校は二十世紀初頭に新しい経営教育手法を編み出しました。

ケースメソッドと称するその手法は、まずケースライターと呼ばれる教員らが、
企業に出向いて経営判断を要した事件を聞き出します。
そしてそれを事例として記述した小冊子を造ります。
これがケースブック、略してケースと呼ばれています。何冊も何冊もつくります。

このケースを用いた学習をこの大学院では三段階に構成しています。
まず、個々人がケースを読んで自己の見解を作る段階。これが個人研究です。
次に数人の小グループに分かれて行う討議。これがグループ研究です。
そして最後の第三段階は、大きな教室に全員が集まり討議するクラスディスカッションです。

担当教授はこのとき登場します。そして学生の討議をリードします。
その際、彼はディスカッションの状況に応じて随時参考知識を提供します。
そして時間が来ると結論めいたことは言わずに教室を去る。以上です。

これを数多くのケースについて繰り返して学生は卒業していきます。

これで効果は出るか。出るから世界から学生が集まり続けるのでしょう。
学生はケースに記述されている経営問題の唯一の正解を学ぶのではありません。
経営問題への解決法はいくつも出るからです。

だがその経営事例を自由に討議することを通して、各人は自分なりの悟りを
積み重ねていくことができます。
多種多様な事例に関してそういう悟りが集積すると、それが彼らの知恵になる。
そしてその知恵は、経営の一般理論を学んで得られるよりもはるかに実践力のある
知恵になるのです。

その効果が評価されて、いまや米国の多くの経営大学院がこの方式を取り入れるように
なっています。日本にもこの出店のような活動をしている大学院があります。
     
      +++
       
だが本書の読者はこれを読んで、どこかで聞いたような話だと思われるでしょう。
そうです。これは聖句主義教会の聖句吟味活動のほとんどそのままなのです。

その多くは前述してきましたが、改めてまとめましょう。
聖句主義教会が昔から続けてきている聖句吟味活動も三段階方式になっています。

教会員はまず自宅で次回にグループで討議する聖書箇所の個人研究します。
次いで、日曜日の礼拝の前に教会の小部屋に集まって1時間半ほどの
スモールグループ討議を行います。結論は出しません。

それが終わると全員が会堂に集まって礼拝をします。
礼拝では教会員は討議はしませんが、牧師は自己の主張の根拠としている聖句箇所を
ひとつひとつ示しながら、メッセージ(説教)をします。
散会後、教会員は牧師の説教を自由に論評しています。

これでおわかりのように、天下のハーバードビジネススクールの教育手法(ケースメソッド)は
二千年にわたって行われてきた聖句主義活動様式のほとんど丸ごとコピーなのです。
ならば少なからぬ成果が出るのは当然でしょう。

そしてこれを空から見ると、教育界に聖句主義化が進展しているという風景になります。
聖句主義活動の中心である聖句吟味の手法が波及している一例となるのです。


      
  

     

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Vol.130「17章 米国での聖句主義「的」文化」(4)~上下の差なくファーストネームで呼び合う~

2012年04月07日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
         
       

”聖句主義化”の個別事例に入ります。
英国にもそれはありましてパブなどはその一つですが、米国でまずあげるべきはなんと言っても
「ファーストネームで呼び合う風習」でしょう。

この国では社会的な地位にかかわらず互いにファーストネームで呼び合う風習があります。
米国に住む日本人は当初これに衝撃や感銘を受けることが多いようです。

それでも通常はしばらくすると慣れてしまうのですが、考えてみるとこれは驚くべき事象です。
繰り返し述べますが国家社会はどこでも管理階層制を大枠として出来ています。
そして社会は自己のシステムを際限なく安定化させようという本能をもっていますから、
人を社会階層的な権威付きで呼ばせようとする暗黙の力は大きいのです。

なのにそういう要素を一切含めない名で呼び合うのは並大抵の力では出来ないことです。
その証拠に欧州諸国にも日本にもその習慣は形成されえません。
日本では帰国後まねる人もいますが、すぐにできなくなってしまっています。

アメリカという社会だけに、社会集団がもつ本能を押し返す事態が実現しているのです。

     
<万人祭司>
      
この風習は「万人祭司の原理」という聖句主義活動の鉄則からきています。
祭司とは、信徒の献金から給料を得て職業に専念できているプロの聖職者(教職者)です。
万人祭司とは「教職者も一般信徒もみな祭司である」といっている。

そしてそのねらいは両者の間に権威の上下をつけないことにあります。

これは「個人の聖句解釈の自由を保障する」のに貴重な役割を果たしています。
スモールグループでの聖書吟味において教職者に権威の上位を認めたらどうなるか。
彼の聖句解釈は一般信徒の聖句解釈より無条件に優れたものという雰囲気も生まれるでしょう。
そうなったら「個人の聖句解釈自由」は実質的に貫徹しなくなっていきます。

これを徹底して避けようとすれば、メンバーを社会的地位や敬称つきで呼ぶのをやめよう
というアイデアも自然に出てきます。
聖句解読の自由を徹底して守ろうという強い意志が、ファーストネームで呼び合う習慣を
生んでいるのです。

聖句吟味会でのこういう呼び方はバイブリシストの日常生活にも広がります。
彼らの決然として明快な姿勢は非バイブリシストたちにもインパクトを与えます。
そして彼らもまねるようになり、ついにアメリカの一般的風潮になったのです。
     
      +++
      
この件に関しては筆者には忘れられない経験もあります。
経済学のシカゴ学派にジョージ・スティグラーという学者がいました。

彼はその価格論でノーベル賞を得ていました。
その大先生に大学院の学生が「ジョージ、あなたの価格理論はね・・・」とやっていた。
大先生もまた「それはあなたの考え違いだよ、トム・・」と答えていた。これには感銘を受けました。
       
もうひとつあります。同じ学派のノーベル経済学賞学者でミルトン・フリードマンがいました。
筆者はその息子ディビッド(彼も若手経済学者だった)と親しくなっていまして、
その区別上もあってミルトンと呼んでいました。

ある時日本人同士の会話で筆者がミルトンと呼んだのに日本の経済学者が目をむきました。
その方は筆者をこの学派との交わりに導き入れてくださった恩人でした。
筆者は後で「日本人同士ではフリードマン先生とよぶように」と注意されました。

筆者自身の呼び名の経験も記しておきましょう。
聖句主義者はファーストネームの代わりに他人に短いニックネームを与えることも簡単にやります。
筆者が南部のバプテスト聖句主義教会に通い始めたら、またたくまに「オーケー」という名を
賜ってしまいました。

日本人の名前は米国人には発音しがたく、記憶もしにくいらしいです。
そこで頼みもしないのに、勝手に命名してきた。
筆者の場合、何かというと「オーケー!」と相づちを打つことが多かったようです。
そうしたらすぐに「おまえはオーケーだからね」となりその名が一年後にお別れするまで続きました。

こうした風習が庶民レベルにまで浸透していることは、
米国における聖句主義化の進展の広範囲さをも示しています。



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Vol.129「17章 米国での聖句主義「的」文化」(3)~教理主義教会の”聖句主義化”~

2012年04月07日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
          
       

教会員総数では教理主義教会のほうが優勢という中で、成長率は聖句主義教会が常時的に高い
~これが米国キリスト教界の状況です。
これを見て、他の教理主義教派の教会もスモールグループ方式などの聖句主義方式を
取り入れるようになっています。
これすなわち聖句主義化の流れです。

こうした動きは全国的にみられますが、南部では特にそれが盛んです。
南部にも教理主義教会はたくさんあります。それらが聖句主義方式を取り入れていくのです。
長老派教会やメソディスト教会がスモールグループの聖書研究会を信徒に提供する
というがごとくです。

理由を聞くと、そうしないと会員が聖句主義教会に移っていってしまうということでした。
この政策は結構有効なようで、筆者がアラバマ州(バイブルベルト地帯のなかの一州)に
滞在していたとき、
「聖公会の司教がスモールグループバイブルスタディを開始したら教会員数が急増した」
~というニュースも口コミで大々的に流れていました。
      
+++

=南部バプテスト教会での「小グループリーダー会議」=

(この教会では日曜日の午前に聖日礼拝をし、夕方にまた夕拝をしていた。
教会員は礼拝後家で昼食をとり午睡をする。そして夕拝をして終了後、
各グループでレストランなどに行って交わりの時をもつ。
日曜日は終日教会デーなのである。

また毎週の夕拝前に1時間ほど、スモールグループのリーダーが会議をもっていた。
彼らはそこで、その週の各グループ聖書研究で出た問題点を報告しあい、
解決法を話し合う。その後次週の重点課題を申し合わせる。
この教会ではリーダーには経験豊かな老年者があてられていた。
写真では見にくいが正面の若い男性は副牧師で、会の司会を務めていた)

+++

教理主義教会の聖句主義化の現象をさして、南部のバプテスト教会の人々のあいだでは
バプテスト化(Baptistization)という造語まで出来ています。
ただしこれはバプテスト教会員の間だけで使われる隠語です。                 

しかしここでバプテスト化といっているのは正確には聖句主義化です。
英語で言うならばバイブリシズム化(Biblicismization)とでもなるでしょうか。

そして聖句主義教会にはメノナイトなど他の教会もあります。
なのにそれをバプテスト化というのは自派の独りよがりでもあり不公平ともいえます。

がともあれそんななかで、米国のキリスト教界では聖句主義化が持続的に
進行しているわけです。


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Vol.128「17章 米国での聖句主義「的」文化」(2)~聖句主義者、増大し続ける~

2012年04月06日 | 「幸せ社会の編成原理」

   
 
      
         
聖句主義教会の会員数は200年前から増大の一途をたどってきています。
他教派から聖句主義教会への転向も、穏やかな動きではありますが右肩上がりで続いています。

今でもキリスト教関係の新聞や雑誌では一群のクリスチャンが聖句主義教会に転向したという
報道が周期的にみられます。

その結果、聖句主義者の数は非常に多くなっています。
バプテスト教会連盟は南北戦争を機にアメリカンバプテスト連盟(北部)とサザンバプテスト連盟(南部)
に分かれましたが、現在、後者だけで会員が4千万人を超えています。

所属教会の実態調査は米国では信仰自由の保護のために禁止されていますので
推定数ですけれど、その数は韓国の総人口に匹敵します。

他にもメノナイト教会、セブンスデイアドベンティスト教会、クエーカー教会などがあります。
これらはみな聖句主義基盤の教会です。

現在全国に多数の聖句主義教会があり、聖句吟味活動をする人が日曜毎にそこに集まっています。
南部諸州にはとりわけその密度が高く、サザンバプテスト地域とかバイブルベルトいった
通称もできています。

ディープサウスというのもある。
それはバイブルベルトの中でも中核的な地域を指す言葉です。

+++

ただし、絶対総数では教理主義教会の会員数の方が多いです。
中西部など北の方の地域では組合派やオランダ改革派や長老派などの教理主義教会の方が、
数の上では相当優勢なのです。

前述のように、移民は最初は冬の過ごしやすい南から住み着いていきます。
後から来た人々が順に北の方に定住していきます。

信教自由がなった後の移民は集団でやってくることが多いです。
その際、彼らは自分たちの教会の牧師と共に移ってきます。
牧師が移民集団のリーダーになって率いているケースも多くあります。

そして移住後も移民は自分たちの教会を維持運営していきます。
また、後に加わってくる仲間のために新教会を建設していきます。
この、後から北の方に住み着いていった人々の教会には、教理主義教会が非常に多いのです。

たとえば中西部のミシガン州にホランド市という人口5万人くらいの地方都市があります。
ここはホランドの名の通り、オランダからの移民が開拓しました。
彼らの教会は教理主義のオランダ改革派で、この町ではこの教派の教会が8割くらいを占めています。

残りの2割の中にそれ以外の主な教派の教会がほぼすべて存在しています。
だからトータルに見て、ホランド市には国内の主な教派の教会が種類としては
ワンセットあるわけです。バプテスト派の教会もあります。

他方、南部のバイブルベルト地帯では、バプテスト派の教会が圧倒的に多い。
けれどもそこに長老派やメソディスト派など主要な教理主義教会もみなあります。

とにかく、どの都市にも種類としてはワンセットある。
このあたりが信教自由国家らしいところです。

+++

今述べたように教理主義教会は教会員総数では聖句主義教会を大きく上回っています。
すると大統領選挙や国会議員の選挙では彼らの動向の方が大きな影響力を持ちます。

そのことと教理主義教会が北部に多いことを背景にして、北部の教理主義教会が
メインラインと呼ばれることもあります。
国の政治を決定する主流の教会群というわけです。

そうした中で、単独の会派としては聖句主義のサザンバプテスト教会が最大という風景です。

全体的に見ると、短期的な政治には教理主義教会の影響が優勢なのだが、
社会制度や精神・文化土壌への影響は聖句主義教会によるものが圧倒的に大きい。
これがアメリカ合衆国のキリスト教鳥瞰図といっていいかと思います。



 

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Vol.127「17章 米国での聖句主義「的」文化」(1)~「まるごと」真似の出来ないもの~

2012年04月06日 | 「幸せ社会の編成原理」

    
       

この章では信教自由確立後に、米国の一般国民に聖句主義「的」行動の吸収・模倣が盛んになり、
それがアメリカに聖句主義「的」文化を生んでいく様を示します。
     
      +++
      
信教自由が憲法で保障されると、バイブリシズム教会は従来に増して表に出て
行動できるようになりました。
他方一般人も従来のような警戒心を持たずに教会を覗くことが出来るようになりました。
その結果、聖句主義者と一般国民との接触機会が一段と増しました。

するとバイブリシストのもつ様々な長所が目に入るようになります。
たとえば彼らが形成する任意連携空間はとても快適そうにみえるし、
実際加わってみるとそうであることがわかります。

そこで非バイブリシストの多くは徐々にその長所を模倣・吸収するようになりました。
自由発言のスモールグループ方式などもまねて取り入れるようになった。
過去に無政府主義者だと攻撃してきたことなどけろりと忘れ、聖句主義「的」文化を
エンジョイしはじめました。
そうやって米国ではその種の文化が波及し始めました。

この動向が200年も続いたので、いま米国では聖句主義「的」文化が
われわれ外国人が予想する以上に広がるに至っています。
これからその様相を示す若干の事例を述べます。

      
      +++
      
ただし、その話に入る前に、心にとどめおくべきことがあります。
それはバイブリシズムには模倣できない要素も含まれているということです。

聖句主義活動の核は自由発言のスモールグループと聖句という吟味素材です。
スモールグループはまるごと模倣できます。
聖句主義史はグループの最適な人数は数人であることも経験的に見出してくれました。
これは模倣できる。

だが聖句のもつものを他の素材でもってまるごと模倣させることは出来ないのです。

聖句は唯一絶対の正解解釈が出にくい素材です。
でもそういう面なら、後述するハーバードビジネススクールで吟味されるケース冊子
(経営事例を記述した小冊子)ももっています。
「白熱教室」のサンデル教授の授業テーマ「何が正義か」もそうです。

けれどもそれらはたとえば聖句のような深い真理希求精神は内包してはいません。
その吟味によって得られる真理希求心回復力は提供できません。
その力がもたらす「偽り」を否定する強い精神姿勢、これもまた他の素材では形成できません。
そしてこれらは聖句素材が提供する重要なエッセンスの一部なのです。

ですから聖句主義の、ある特徴が取り入れられて波及しても、それによって出来るのは
聖句主義文化ではなく、聖句主義「的」文化といったほうがいい。
本書で「聖句主義化」という場合も主にその聖句主義「的」文化が広がることを意味することにします。

聖句素材のもつメリットのすべてを「まるごと」吸収しようとするならば、聖句そのものの力を
借りるしかない。
~このことを心にとどめて、以下の話に進みましょう。



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Vol.126 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(6)~「敵が見えない時代」には学問知も必要~

2012年04月06日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
        
       

憲法修正がなった後に「バイブリシストが学校教育活動にも注力していった」ことについても
考えておきましょう。
これは何を意味するでしょうか。

これも基本的には「これからは科学の知識が役割を増していく」という認識によるでしょう。
だが同時に「これから学問知識が任意連携空間の維持のために必要性を増す」
という認識もあったと思われます。
     
      +++
      
政教分離が憲法で守られる時代に入るということは、バイブリシストにとっては
「敵の見えない」新時代に入ることでもあります。
政教が結合していた時代には、統治者は信教活動を自由に行う空間を合法的行動として
常時攻撃してきました。

その衝撃が結果的に、聖句主義者たちが守っている任意連携空間と聖句自由解釈を許す
行き方の本質を自覚させてくれました。

だがそうした衝撃がなくなるとその分、自分の本質が見えなくなり敵が見えなくなります。
自分たちが行っているバイブリシズム活動の本質が見えなくなり、それを壊そうとする敵も
見えがたくなります。

見えなくとも統治担当者の動物本能的動機は健在です。
それはいつも集団の安定化のために秩序を際限なく欲して、自由に連携して動く人々の空間を
なくそうとしてきます。

こうして任意連携空間の維持には従来にない形で危機がやってくるのです。
見えないが故に、侵蝕の進行を許してしまうことになりやすいのです。

+++

 これに対処するには聖句の知識と共に学問科学の「知」も有効になります。
その「知」力を備えさすには人々に持続的な学問知識習得機会を与えねばなりません。

憲法修正がなるとバイブリシストが即座に学校創設と教育活動にも注力していったのは
それ故でもあるでしょう。

今現在も彼らはそれを実行しています。
特にバイブルベルト呼ばれる米国南部のの聖句主義地域には、教育に多くの時間と
エネルギーを注ぐ大人の数が顕著に多いです。

日本ではそういう人を揶揄を含めて「教育魔」と呼んだりしますが、
バイブルベルトににはまじめな意味での教育魔が非常に多いです。


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Vol.125 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(5)~自由精神は任意連携空間の最後の砦~

2012年04月05日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
      
      
ここで政教分離、信教自由がなった後の聖句主義者たちの行動を加味して考えてみましょう。
    
これまで見てきたように、彼らは植民地の独立を仕掛け、憲法制定に奔走し、
信教・思想・言論の自由制度を成就させるべく奮闘し続けて来ました。
その間彼らの行動は一貫して「政治的」でした。

ところが憲法修正が実現するやいなや、その行動は一変しています。
その豹変たるや絵のようで信じがたいほどです。

彼らは政治活動にぴたりと終止符を打ちました。
以後一転して福音の世界宣教、国内宣教、教育活動、社会活動に乗り出しました。

教会での日曜学校を創始しました。そこで子供に聖書と学問知識を教えました。
後に黒人の奴隷解放がなると、黒人の子供のための日曜学校も創始しました。
今日世界の教会に普及している日曜学校は彼らが考案し実施したものです。

彼らはさらに神学校や大学をたくさん創設しました。
その一方で年少者の長時間労働を阻止する運動なども行いました。

この突然の路線変換は何を意味するでしょうか。
それまでの活動史とあわせて考えてみましょう。

      +++
      
まず国内外の福音宣教についてからみましょう。

海外の福音宣教に乗り出したのはなぜか。
基本的には彼らがイエスを信頼し、その「福音を地の果てまで宣べ伝えよ」という言葉を
信頼したからでしょう。

では国内宣教へのエネルギーを急増させたのはなぜか。
それも基本的に「地の果てまで宣べ伝えよ」に従ったからでしょうが、
この場合はもう一つの自覚があったと思われます。

彼らは任意連携空間が持続するには、国民に自由を貴重に思う精神があることが必要と
知っていました。
そしてその精神は聖句の自由吟味活動が最も効率的に培うことを知っていました。
それゆえに国内の福音宣教に一層のウエイトをかけたと思われるのです。

これまで見てきたように、管理階層組織の行動動機は動物的本能にその根がつながっています。
それは任意連携空間が法的に保護された社会においても変わりは無い。
放置すれば統治担当者は社会集団の安定化を本能的に求め、際限なく管理統制を進めようとし、
無自覚の内にも任意連携空間を侵蝕しようとしていきます。

これは動物本能に根ざしますからどうしょうもないのです。
だれが統治者をやってもそうなるのです。
だからこの力は他を顧慮することなく一直線に四六時中働き続けます。

+++

実はこれが日本においても平和の中で閉塞感が増してきている根底原因でもあるのですが、
それはまた機会があれば語ります。

+++

ともあれ管理階層空間は常時任意連携空間を侵蝕しようとする。
その防波堤として造られたのが政教分離憲法なのですが、防波堤を越える津波もあり得ます。
そしてそれをも防ぐ最終砦は人民の自由尊重精神なのです。

もし成員に自由尊重精神が希薄化すれば、それと反比例するように隷従心は強くなっていくでしょう。
そうなれば集団内に<命令=服従>的関係が雑草のように自然発生するでしょう。
それが現実の場で任意連携空間を浸食していくでしょう。

だから自由精神の増強努力は常時なされていなければならない。
そしてその増強には聖句吟味をする福音活動が最も有効であることをバイブリシストたちは
歴史を通して体験熟知していました。

彼らが政教分離がなると即座に国内の福音宣教に注力していったのは、
それもあってのことだと思われます。


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Vol.124 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(4)~デュアルシステムは国力を増強する~

2012年04月05日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
      
       

任意連携システムが形成する救済空間が、管理階層組織のなかに併存する社会でならば
「個々人は規律の中で生き、なおかつ、自由と共感の空間にも生きられる」でしょう。

その社会は「成員一人一人の可能性を解き放つ」空間になり得るでしょう。

それが実現すればその国家の国力は急増するでしょう。

17~8世紀に英国の国力が急増したのは、それ以前に聖句主義者が大量流入してきていたこと
によるところが大きいでしょう。
彼らは国家憲法で保護されなくとも任意連携空間を実現してしまいます。
ですから聖句主義者の存在そのものが二つのシステムが併存する社会状態をつくるのです。

19世紀から20世紀になるとその国力急増状態はアメリカに移行しました。
これもそれ以前に英国からアメリカ大陸に聖句主義者が大量移住していたことによるでしょう。
彼らの移住は一定のタイムラグをもって国力を増強するのです。

そして大陸の植民地は独立し、任意連携システムの生存を憲法でもって保障するに至りました。
信教・思想・言論の領域にそれを保障する国家を創設した。
これがアメリカ合衆国を世界の覇者にさせた最大の要因でした。
      
筆者は管理階層システムと任意連携システムが併存する社会組織体制を短く「二元システム」
ないしは「デュアルシステム(dual system)」と呼んでいます。

この語を使えば「デュアルシステムが、人民を活性化し国力を増強する」
~という一般理論も得られると思います。

この命題はもちろん、「人民」を「社員」に、「国力」を「会社力」に変えても成り立つでしょう。

(このVol.124は、前の記事に本稿を入れ替えました)


 

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Vol.123 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(3)~二つのシステムは併存しうる~

2012年04月04日 | 「幸せ社会の編成原理」

              
       

さらに一般理論を求めて進みましょう。

ピラミッド状に上部に権力統治体を造って「命令=服従」の方式で社会を運営する方式が
管理階層システムです。
対して、命令系統なしで成員の相互連携だけで集団の一体性を維持していく方式が
任意連携システムです。

従来人々は両システムは背反関係にあるから二者択一にしかなり得ないと思ってきました。
だから管理階層システムの統治者は聖句主義者の撲滅につとめました。
そうすることが社会のためだと信じてつとめました。

無政府主義者という非難はその口実の一つという面もありました。

+++
       
ところがバイブリシストはそれらは組み合わせて共存させられるということを証明しました。
迫害に耐え続けて任意連携空間を存続させることによって、併存できることを
結果的に実証してしまった。

そしてついには国家という社会のなかでそれができることを実証しました。
政教分離による信教自由国家は二つのシステムの併存を憲法で保障した社会でもあったのです。

こういう国家の出現が人類社会に貢献するところはとても大きいです。

管理階層システムは国家運営の大枠として必要です。だが、成員の精神活力には害を与えます。
それは「考えない空間」に成員を置くことによって知性を劣化させ、ひいては集団組織全体を
劣化させていきます。

他方、任意連携システムは「考える空間」「自由な精神活動を可能にする空間」を作ります。
それが管理階層組織に内包されると、管理階層システムによって劣化させられる知性を回復させる空間、救済する空間が集団内に出現することになるのです。

信教自由国家は、そういう回復力を備えた社会集団が抑圧されることなく芽生え存続できるような
法的保障をも与えます。
そういう国家が存在できていることが、他の国家にとって目指すべきモデルをプレゼントすることになる。

これだけでも人類への大きな貢献なのです。


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Vol.122 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(2)~任意連携体には世界観の共有が必須~

2012年04月04日 | 「幸せ社会の編成原理」

  

      
       
けれども聖句主義者たちは、権力統治体のない任意連携社会を維持してきました。
自由発言の小グループの任意連携でもって集団の一体性が形成できてきました。
なぜでしょうか。

それは成員が全体観(世界観)を緊密に共有していたからです。

聖句主義者の群れは特殊な集団でした。
成員は聖書という書物に真理があると信頼する人々だけでなり、
信頼をもたない人は入ってこない集団でした。

この集団で聖句吟味をしていくと成員の世界観はバラバラにならないで、
むしろ大枠で一致していくのです。

世界観は個々の出来事への全体観となって、物事の意味理解と実践方向を決めていきます。
バイブリシストはそれを共有していたので、親密な一体性をもって速やかな情報交信と
連携行動をとり得たのです。

この歴史が我々に~

「成員間に緊密な全体観の共有があれば、任意連携システムだけでもって
集団の一体性を維持することが可能」

~という一般理論を学ばせてくれます。



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Vol.121 「16章 バイブリシズム史が贈る一般理論」(1)~世界観多様社会では命令系統は必要~

2012年04月04日 | 「幸せ社会の編成原理」

  



この章では、前章までに記したバイブリシストの歴史と、その後の彼らの行動が
示唆してくれる事柄を考えます。
そしてその知恵を出来るだけ一般理論として定着しておこうと思います。
     
      +++
      
まず最初に、彼らが無政府主義者では全然なかったことを、その名誉のためにも
確認しておきましょう。

部外者は国家権力の消滅を狙っている連中という色眼鏡で彼らを嘲笑気味にながめ、
迫害し続けてきました。
だがそれは誤認もいいところでした。

前述のように米国独立後彼らはバージニアで中央政府案を作成しています。
そこには各州から一定の権力を委任された連邦政府のイメージが描かれていました。
そして彼らはバージニア議会のコスチュームでそれを憲法案制定会議にいち早く提案しています。

無政府主義というのは、こういう統治体がいっせつ存在しない社会を求める思想です。
このひとことからだけでも彼らが無政府主義者だなどというのは、
とんでもない言いがかりであることが自明です。

憲法案の批准がマサチューセッツ州で危機に瀕した時にも彼らの行動はそのことを示しました。

前述のように、バプテスト聖句主義教会の指導者はこのとき急遽動きました。
二人の指導者は憲法案に反対姿勢をとっていた聖句主義代議員たちを
「いま憲法が成立しなかったら、新国家は無政府状態に陥ってしまう」と
二週間かけて説得し続けました。

そういう人々が無政府主義者であるわけがないのです。

+++
      
ではあれほどひたむきに自由な任意連携システムを慈しみ守り通した彼らが
連邦政府という権力統治体を積極的にデザインしたのは、なぜでしょうか。
それは~「異なった世界観をもった人々でなる人間集団では、その一体性を維持するには
ある程度の強制力を内包せざるを得ない」~ということを彼らが知っていたからです。

それがこの節での一般理論です。
「命令=服従」の要素をもった管理階層システムは必要になることを彼らは知っていた。
そして国家というのはそういう多様な世界観をもつ成員からなる集団社会なのです。
      
こういうことは旧約聖書を読んでいたら容易に知れることなのです。
聖書はイスラエル民族の歴史記述を通してそれを丁寧に教えてくれます。
だから聖句を吟味する人々は、国家が命令系統を必要とすることを自然に知っていくのです。

同時に、無政府主義というのはナイーブな幻想であることをも具体的かつ詳細に
聖句は知らしめてくれます。

バイブリシストは聖句を入念に吟味しますのでそのことを熟知していました。
だから純朴に無為政府主義思想にかぶれる可能性は一般人よりも小さいのです。
彼らは無政府主義と最も遠い位置にいる人々でした。

にもかかわらず無政府主義者だと迫害され続けて来た。
いかに辛かったことでしょうか。
本書で我々が第一部に見たのはまさにその艱難の歴史でした。



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Vol.120「15章 信教自由はどう実現されたか」(7)~現代日本の信教自由風景~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

  
      
      
       
いま我々日本人も信教自由が認められた国家に住んでいます。
信教自由は思想・言論・出版の自由に直結していますから、その自由も享受しているわけです。

ただし我々の場合はこの制度を歴史的偶然によって只で手に入れています。
第二次大戦での敗戦によって、日本は昭和26年までアメリカ占領軍政府の統治下におかれました。
GHQ総司令長官マッカーサーは戦前の大日本帝国憲法を廃し、新たな日本国憲法案の作成を
部下に命じました。
担当者たちは米国憲法に書き込まれている信教自由、言論思想自由の条項を
ほとんど新憲法案に写し取り、占領下の日本政府はそれをほとんどそのまま押し戴きました。

われわれはこれらの条項が創始者のすさまじい忍耐と流血の犠牲によって
この世に出現したものであることなど全然知りません。
ましてやそのために血を流して戦ったことなどなく、ただ占領軍に従順にしているだけで
ちゃっかり手に入れることが出来た。

世界では今も信教自由が存在しない国の方が圧倒的に多いなかで、
それをあたかも空気のように、当たり前であるかのごとくエンジョイしています。

これはもう仕方ないことでもあります。
テレビのある時代に産まれた子供にはテレビがあることが当たり前なのですから。

+++

 だがことをそれで終わらせないで、そこから救い出してくれるものがある。
それが「知識」です。

読者はもうおわかりでしょうが、この制度を現実社会の中で十全に機能させるには、
創始者たちが抱き続けた精神を理解することが必須です。
そしてそれには聖句主義活動史を知り、その精神的資質の幾ばくかを最低限身につけることが
必要なのです。

そんなことなどつゆ知らず果実だけを楽しんできた。
それが現代日本の風景ではありますが。
そしてその無識が福島原発事故につながったのですけれど・・・。
 
        +++
      
~以上で「第三部 いざ、幸せ社会」は終わりです。

これから「第四部 歴史の恵み」に入ります。その部でもって本書は終わります。



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Vol.119「15章 信教自由はどう実現されたか」(6)~マディソン、権利章典案を説き続ける~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

        
        


数週間後、憲法修正会議が開催されました。
バージニアは下院で速やかに20条項からなる権利章典のバージニア州案を提案しました。
ジェームズ・マディソンが黄金の声で読み上げました。
そこには政教分離の条項が含まれていました。

対して、国定宗教案も出ました。
聖公会(英国国教会)、長老派、組合派それにバプテスト派を公定教派とし、
国民はそのうちの好きな教派を指定して教会税を支払うという案でした。

これはバプテスト派にとっても満足できる案に見えました。
バプテスト信徒はバプテスト派を指定して宗教税を払えるからいいではないか。
他の三教派を支持する人々も各々それを指定して納税できる自由がある。

これ以上の案はないように見えました。
雄弁の天才パトリック・ヘンリーはこの案を強烈に支持しました。

聖公会、長老派、組合派はこの案を受け入れました。
だがバプテスト聖句主義者は拒否しこの案に反対しました。
彼らは教会運営資金が、税という国家の強制力を使う手段でもって調達されることに
危険を見ていました。

+++

ヘンリーの熱弁は続きました。彼の雄弁で議会はこう着状態に陥りました。
その時、神風が吹いたのかワシントンが動いたのかは定かではありませんが、
ヘンリーにバージニア州知事就任の辞令がおりました。彼は議会を去りました。

 マディソンは宣言しました~
「きわめて多くの有権者が新憲法に満足できない点ありと思っている。
その人々は能力と愛国心と自由への熟慮で尊敬を受けている人たちである」~と。

マディソンのこの言葉はバージニアのバプテスト有権者と全米の聖句主義者の魂の
宣言でもありました。そして彼は改めて政教分離の必要を説きました。

政教分離の論理を理解できない議員は依然多くいました。
彼らはただただ反対の罵声を浴びせ続けました。
怒号と罵声が飛び交う中でマディソンはバージニア案を主張し続けました。

その状況のなかでバージニア案を修正しようという意見がでました。
バージニア案は10項目の連邦権利章典案に修正されました。
その修正案が上院も通過したのです。

そして1791年、全州の3分の2がそれを承認するに至りました。

不可能な夢が可能に転ずる奇跡が起きたのです。
新しい権利章典が修正条項として憲法に追加されました。
政治が宗教に干渉するを許さないという、そういう原則を持った国家がこの地上に出現する
という奇跡がついに起きたのです。


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Vol.118「15章 信教自由はどう実現されたか」(5)~大統領ワシントン、政教分離支持に回る~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

  

      
       
独立戦争開始時点に一般人の抱いていた聖句主義者のイメージは、
「各々が勝手に行動する無政府主義者」でした。
信仰心は熱いが激情的である。接した人間すべての喉に聖句を詰め込もうとする
お節介野郎でもある~こういうイメージでした。

だが大統領となった頃のワシントンは、聖句主義者の実態は世間の通念とかけ離れていると
思うようになっていました。

首都にやってきた聖句主義者を彼は温かく迎えました。
そして彼らの話を信頼して聞いた。
聞くだけでなく、彼はことある毎にバプテスト教会の指導者を新政府の議員たちに紹介しました。

彼らの話を聞くようにとの助言を添えて会わせました。
こうして聖句主義者の考えは新国家の議員たちにも影響を与えるようになっていきました。

1789年、大統領就任数ヶ月後のワシントンに、バージニアバプテスト教会連合委員会は
一通の文書を提出しました。
著者はバプテスト教会のジョン・リーランド長老でした。
その文書は、ワシントン賛辞の名文とともに、新憲法では信教の自由は保護されていない
と訴えていました。

ワシントンはこたえました。
~たとえ一教派だけに対してでも、法文にその信教自由を危険にさらす可能性がある場合、
自分はそれに決してサインしない、~と。

また今この時点でも政府が信仰自由を不安定にするようなことを見たら、
直ちにそうした精神的暴政をさしとめる~とも約束しました。

大統領はバイブリシストの側に立ったのです。



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Vol.117「15章 信教自由はどう実現されたか」(4)~ 独立戦争を想起しワシントン感動す~

2012年04月03日 | 「幸せ社会の編成原理」

        
       


この頃、またも人知を越えた力かと思わせるようなことがおきました。
ワシントンの心のなかに聖句主義者への好意の感情が芽生えはじめたのです。

前述のように彼は独立戦争中には植民地大陸軍の総司令官でした。
大陸軍は兵士を集めねばならず、募集にはいのちを危険にさらすに足たるインセンティブが
必要でした。
独立軍政府は、3年間兵士として戦ったら広大な農地を無償で与えるという条件で
一般から兵を募集しました。

このとき聖句主義者のとった行動は特異でした。
バプテスト教会からは、そうした物的見返りを二の次の動機とした志願兵がたくさん出たのです。
加えて彼らの戦いぶりは群を抜いて勇敢でした。

兵士だけではなかった。
今もそうですが米国は戦に際しては従軍牧師をも募集し戦場に派遣します。
彼らは戦場で日曜礼拝を導いたり、戦死した兵士の葬儀をとり行ったりするのです。

従軍牧師は独立戦争においても働きましたが、聖句主義教会からきた彼らの行動には
目を見張るものがありました。

戦場では通常、最前線のテントで兵士が寝泊まりします。
小さなテントの中で数人がすし詰めのようになって並んで眠るのです。
軍医や従軍牧師は後方のテントで生活します。
だが、バプテスト聖句主義教会から来た牧師は兵士とともに最前線に寝泊まりしました。
戦の最中には前線に立って兵士を激励しました。

聖句主義者の州ロードアイランドでは、積極的に息子を戦場に送り出す親が続出しました。
またこの州は、三連隊(合計約6000人)分の兵士の報酬、食料、衣料、武器などの費用を
戦の最初から最後まで提供し続けました。

ワシントンは戦を振り返るにつけ彼らを思い起こすようになりました。
そして~
「バプテストたちは全員残らず市民の自由に対する不動の友だった。
我等が栄光の独立戦争への一貫不変の助け人であった」~と述懐するようになっていました。


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