バージニアは憲法案作成も主導しましたが、信教自由については特に孤軍奮闘で主導しました。
バイブリシストが主導するようになってからのバージニア議会はやることが一層早くなっていました。
前述の憲法案の批准が僅差でなると、州議会はその機に州の権利章典
(信教自由の項目を記した章典。ジョージ・メイソン起草)の採択もしました。
また近い将来開かれるべき合衆国憲法修正会議を見込んで、「バージニア修正条項案」も
作成し採択しました。
後に彼らは連邦議会でこれを「権利章典のバージニア案」として提出します。
こうした手回しの良さでもって、バージニアは連邦議会における憲法修正会議を
主導することになります。
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その一方でバプテスト聖句主義者たちは憲法修正を目指した全国的キャンペーン活動も
展開しました。
彼らは1788年に合衆国憲法が成ると、即座にその修正に関するイベント(討議会)を
全国いたるところで始めたのです。
バージニアのバイブリシストはさらに加えて総会を開き、
「新憲法の条項は信仰自由を守るに十分か」について大々的に議論しました。
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次年度の1789年4月30日、ワシントンは初代大統領に就任しました。
当時の首都はニューヨークでした。
合衆国政府がスタートするとバプテスト教会の指導者たちは速やかに
「この憲法のままでは、政府が宗教に干渉していく余地がある」との判断を
マディソン州議員らと念入りに確認し合いました。
そしてその問題をワシントンとも話し合うべく代表団を首都に送りました。
代表者たちは「政教分離、信教の自由がまだ不安定な状態にある」
「宗教に関する条項については、直ちに修正(アメンドメント)すべきである」
などの見解を新大統領に熱く説きました。