Sightsong

自縄自縛日記

コダクロームのマチエール、記録、「週刊金曜日」の沖縄特集

2007-06-17 20:41:41 | 写真
神保町のgallery福果(喫茶さぼうるの横)で、中村愼太郎の写真展『旅のマチエール』を観た。過去30年間に、35ミリと110のコダクロームを使って記録された旅のスナップである。

壁のプリントは35ミリだが、面白いことに、110はスライドマウントをライトボックスに並べ、各々がルーペで覗き込む仕掛けになっている。リバーサルを使う人が常に残念に思っているのが、透過光で見たはずの鮮やかさが、プリントした際にはくすんだような色合いになっていることだ(しかも、現在ではほとんどデジタルプリントになってしまった!)。110のリバーサルが富士フイルムの特殊用途製品として最近まで生き残っていた(いる?)のは知っているが、コダクロームもあったのだ。小さいサイズながら、覗いてみるとディテールが嘘のように顕れる。そしてコダクロームの独自な渋くかつ鮮やかで深い色合い、見事に小宇宙を作り出している・・・ライトボックスなのに。

確かに、私も以前使っていた8ミリフィルム(スーパー8)のコダクロームも、編集のため覗くと、それはもううっとりするものだった。こうしてみると、110はスーパー8より大きいことに気付く。

35ミリでは、秋田の鳥海山で薄暗がりの中に居るバス、鳥海山の尾根、そして大館の建物の中、といった写真が素晴らしかった。この表現力は、とてもデジタルの及ぶところではないと思う。

コダクロームの国内現像は今年いっぱい、そして35ミリフィルムはヤフオクか何かでないと入手できない(「コダクロームがなくなる」参照)。もちろん8ミリフィルムなどなくなっている。コダクロームは、ニッチ市場としても生き残れなかったわけだ。ネガ・リバーサルのデジタルプリント化、銀塩カメラの衰退などとともに、とても残念に思う。自分で全部やるのが一番と思い、白黒のプリントをなんちゃって暗室でやっているが、これとても薬品の入手がだんだん厳しくなっているのだ。とにかくどこかで下げ止まってほしい。

ところで、この写真家はどのような方だろう。とても気持ちのいい視線だった。




新宿ニコンサロンでは、飯田勇写真展『越境地帯』を観た。

中国と北朝鮮の国境付近、両国の様子を記録したものである。テレビなどでは「脱北者」の状況を報じていて、あまりにも非日常・異常な事態にのみ心を奪われる。この写真展も例外ではなく、北朝鮮から逃げてから貧しい生活をしている人々、売春をしている人などの記録がある。しかし、「真実」らしいセンセーショナルな記録は色眼鏡にもなりうるものだ

そのような色眼鏡を多少なりともずらしてくれるのは、平壌でのサラリーマンの通勤風景や、農村の川での洗濯風景である。時代や文化の違いこそあれ、これはわれわれの風景だ「異常な国」と大掴みでしか扱わないいまの状況が、突然いびつなものに感じられてくる

写真としては記録優先なんだろうね、としか見えない出来だが、それはそれ。上述の写真とは対極に位置する。





『週刊金曜日』(2007/6/15号)では、「沖縄復帰35年・ここまできた米軍と自衛隊の戦争体制」を特集している。

新崎盛暉氏(琉球大学)は指摘する。
○政府が辺野古にこだわるのは、軍事化政策推進の躓きとなるという判断からだろう(反基地の動きに弾みをつける)。
○教科書改悪(「集団自決」)および辺野古への自衛隊投入について、反対に向けた沖縄での社会的雰囲気は高まってきている。しかし、35年前に見られたような、本土との意識差は狭まっているのか?

これに関して、新藤健一氏による、辺野古は核兵器も含め戦略拠点として整備されていくとの指摘は恐ろしいものだ。