Sightsong

自縄自縛日記

『ひめゆり』 「人」という単位

2007-06-27 22:31:24 | 沖縄

ポレポレ東中野で、ドキュメンタリー映画『ひめゆり』(柴田昌平)を観た。

行こうと思えばもっと早く行けたのだが、今になった。受け止めきれないほどのメッセージが刺さり覆いかぶさってくるに違いないことを思い、少し怖いというか、気が重かったわけである。

そして、実際に受け止めきれなかった。それぞれの経験を吐露される方々と相対するような気になり、悲しくてやり切れず、終わったらすぐに映画館を後にした。情けないかな、大島渚『夏の妹』で、ひめゆりの塔の前でビールを片手に呆然とよろめく殿山泰司と同じである。

ただ、これを「カタルシスを得るための感動映画」に堕してしまわないためには、この重さを受け止めようとする個々のありようが問われるのだと思う。泣いてしまって恥ずかしかろうが、加害者の一味として(この国の国民であることはそれを意味する)気まずい思いをしようが、それぞれが、このメッセージを澱として気持ち悪く残しておかなければならない。その意味で、宮本亜門がチラシで謳っているように、皆に観てほしい。 ひめゆり学徒の生き残りのある方は、目の前で女友達が無惨に死んでしまうのを見る。婦長に告げたところ、「これが戦争なのだ」と言われ、もしそれが本当なら、何度も同じ体験をしなければならないのかと悟り嗚咽する。

どんな人間であっても、そのように心の一部がざっくりと抉りとられることに何度も耐えられるわけがない。 しかし、私たちは、これを自分のことに置き換えて想像する義務がある。もし肉親だったら?火炎放射器の向こうに自分がいたら(当然、米軍の記録フィルムは火を噴く側から撮られている)?忘れなければ苦しい記憶を刻み込まれたら?ましてや戦死が美化などされてしまったら?・・・ 確実にいま言えることは、この個々の「人」単位の声は、過去の記録にとどまらず将来の私たちにつながっているということだ。ひめゆり学徒の方々の証言に耳を傾けるとき、「一人」が、同時に「全て」を覆うことが痛いほど感じられる。日本が「戦争をする国」になってしまうとき、それに伴う私たちの戦死は、それが一人であっても「全て」なのだと思う。 このときに、政治家、権力者、為政者は、間違いなく「一人」側にはいない。現首相が、岸信介を例に挙げて「一人」側に立たない政治家のあり方を正当化し、また、現防衛大臣が、戦争による犠牲者を数で判断すると考えていることを思い出せば、これは杞憂ではないだろう。

「日本が「戦争をする国」になっていくとすれば、彼ら(注、為政者)は必ず、国民の犠牲、まずは兵士の犠牲にどこまで国民の意識が耐えられるかを考えるはずです。百人中の10人(注、現防衛大臣による犠牲者数のたとえ話)、つまり一割というのは恐るべき数字です。(略) はっきりしていることは、そのときに為政者は自分たちを必ず生き残る側、安全な側に置き、国民に犠牲を求めているということです。 沖縄戦は、全くそのようにして行われたわけです。 (略) 沖縄戦の記憶の改竄を許さず、沖縄を犠牲にして強化されてきた「日米軍事同盟」とは異なる道を見出さなければならないと思うのです。」 (高橋哲哉『浮かび上がる「靖国」の思想 教科書修正の背後にあるもの』、『世界』(岩波書店)2007/7所収)


デレク・ベイリーの『Standards』

2007-06-27 00:28:21 | アヴァンギャルド・ジャズ
稀代の即興演奏家、デレク・ベイリーが亡くなったのは、2005年のクリスマスだった。

破壊へのベクトルを持つ演奏家ではなく、とても論理的で構成主義的な面を感じさせる演奏家だったのだろうと思う。実際、即興演奏に臨む態度としては、練習やある素材を土台とした音楽的なヴォキャブラリーを確実に意識していた。

私の練習は以上のようなものだが、これらを総合して異端とみる即興演奏家もいるに違いないとおもう。演奏するごとに、そこに生じてきたあらゆるものと唐突な対面をするやり方を好む人もあるだろう。準備されて裃を着た音楽、慎重に備蓄された武器弾薬といった性格をもつものにいっさいうすめられていない、自己完結した唯一無二の経験をこそしたい、というわけである。私もこのような観点に憧れているが、私自身の経験からいうと、そのいきつく先は唯一無二の経験の連続ではなく、複製された経験の連続なのである。論理的な理想をいえば、このような即興演奏を一度して、あとはけっして演奏しないにこしたことはない。そのようなわけで、私はもうひとつの方法、つまり練習をするアプローチのほうを選んでいるともいえる。ソロ・インプロヴィゼーションでえられる夢中状態の連続というのは、私にとって練習に対する褒美のようなものなのだ。
デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション 即興演奏の彼方へ』(工作舎)

このことをはからずも認識させられたのが、2002年に発表されたデレク・ベイリーのソロギター作『Ballads』(TZADIK)だった。あのデレク・ベイリーが、スタンダード・ナンバーを、しかも曲をいとおしむように演奏しているということは、私にとってもかなり衝撃的だった。アンソニー・ブラクストン『In the Tradition』(Steeple Chase)を発表したときも同じようなセンセーションを持って迎えられたのだろうか。

このたび亡くなってから1年以上が経ち、突然発表されたソロ・ギター作が『Standards』(TZADIK)である。

聴いてみると、雰囲気が『Ballads』と随分違う。『Ballads』は、曲を短く、メロディ中心に、純度の高い形に仕立て上げたものだが、『Standards』は、1曲ずつが長い。そして主旋律は、曲の最後になって現れる。それまでのフリー・インプロヴィゼーションは、ベイリーならではの雅な、脳の色んな箇所のシナプスが活性化されるようなものだ。これはもう、昔の演奏であろうとこれであろうと、泣きたくなるほど嬉しい。

曲それぞれの最後に、宝物のようにではなく、淡々とスタンダード・ナンバーのメロディに移行すること。これは即興演奏におけるヴォキャブラリーに関して、一見その場限りの創造であるものと、素材・手癖とを、公平に見ていたことを示すものだろう。楽器は異なるが、エヴァン・パーカー(サックス)が、50分弱もある演奏の中で、何の衒いもなくコルトレーンの「ナイーマ」に移行したことも思い出す(Orselli-Parker-Salis『TRUE LIVE WALNUTS』)。

『Standards』の曲は、わかるように改名されて変なタイトルになっている。

「When Your Liver Has Gone」は、「When Your Lover Has Gone」。「恋去りしとき」ではなく「肝臓去りしとき」というわけだ(??)。「Frankly My Dear I Don't Give a Damn」は、映画『風とともに去りぬ』でのレット・バトラーの台詞(知らないね、勝手にすればいい)であり、「Gone With The Wind」が引用されている。また「Don't Talk A bout Me」は「About」ではなく、引用されているのは「Please Don't Talk About Me When I'm Gone」。「Nothing New」も「What's New」。これらは『Ballads』でも短く演奏されている。

この演奏にいたる経緯は、2001年のクリスマス(亡くなるちょうど4年前)に、ベイリー夫妻がイクエ・モリとジョン・ゾーンとをホテルの夕食に招待していたときにさかのぼるようだ。そのあとにベイリーが演奏した記録が、この出たばかりの『Standards』であり、実際には2002年になってジョン・ゾーンのもとに届けられた音源が『Ballads』となったわけである。ベイリー自身は、曲へのアプローチを再考してそうしたらしいが、死後、夫人の許可を得て『Ballads』の兄弟作が出たということになる。

とにかく堪らなく素晴らしい演奏である。
さっき聴いていたら、妻は「何だ、また、掻きむしりじじいを聴いているのか」と言いつつも、それらのスタンダード曲のCDをあさってくれた。ビリー・ホリデイとデレク・ベイリーを聴き比べることができるのは幸せだ。しかし、最後の来日の機会が体調不良で叶わず(新宿ピットインで、大友良英、吉沢元治と各日デュオを行う予定だった)、楽しみにしていた私も結局実際の演奏を目の当たりにすることができなかったのはとても残念に思うのだ。


デレク・ベイリーの『Ballads』と『Standards』(TZADIK)


デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』(工作舎)


エヴァン・パーカーが参加した『TRUE LIVE WALNUTS』(SPLASC(H))