「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」(沖縄戦首都圏の会)の連続講座第1回「教科書検定─沖縄からの異議申し立て」に参加してきた(2007/6/18、岩波セミナールーム)。参加者は40人くらい。
高嶋伸欣さん(琉球大学)が、教科書の検定を受けた経験、処分取り消しの裁判を起こした経験から、これまでの経緯と背景を解説された。
最初に、『沖縄戦の証言』というヴィデオの上映があった。戦時中の様子とともに、金城重明さんの「集団自決」体験、朝鮮半島から連れてこられた軍夫への酷い仕打ち、韓国の「ナヌムの家」(元、日本軍の慰安婦が共同生活をしている場所)などの様子が映し出された。ひめゆり学徒の方による「肉片になった友達の死体が記憶に残り、耐えられない。顔がいまだに消えない」との証言、白梅学徒の方による「日本の軍人が、壕の中で泣いている子どもの口にタオルを巻いて殺した」との証言を、私たちはどれだけ受け止められるか。そして火炎放射器を使う米軍の先にいた方々のことを、如何に想像できるか、という、受け手のあり方が問われているのだと感じた。戦争においては「お年寄りと子どもと障害者が死んでいる」ことも、「戦争はまだ終わっていない」ことも、これから繰り返し思い出すべきことだろう。
高嶋さんの指摘として、沖縄人、本土の人間の両方を刺すものがあった。
●1995年の米兵少女暴行事件の際、沖縄の集会において「沖縄県民よ頑張れ 東京から応援に来たぞ」というプラカードがあった。しかし、これはそもそも本土でこそ問題にすべきことではなかったのか。
●米海兵隊の演習を、沖縄から大分や北海道で分散して行った際(分散のための予算は私たちの税金)、「移転反対」との声があった。移転反対とされては、沖縄人は何も言えないだろう。その注意喚起をしたら、翌年から「米軍に帰れ」になった。
●一方、沖縄人はなかなか遠慮して発言しないことがある。大宅壮一は、沖縄における戦時中の皇民化教育の浸透ぶりを「動物的忠誠心」と表現した。
●沖縄タイムスには、復帰の日に、憲法の全文が掲載された。沖縄にとっては、憲法は決して「押し付け」ではなく、「無権利状態」から勝ち取ったものだった。
●また、沖縄タイムスは、国民投票法の全文を3頁を使って掲載した。一方、本土の新聞は朝日1頁、読売はごくわずかというひどい状況だった。
●こういったことは、単なる沖縄問題ではなく、現政権の政治思想をあらわすものだ。したがって、「沖縄がんばれ」ではなく、各地の主権者の問題としてとらえられるべきだ。
●大田昌秀曰く(『醜い日本人』サイマル出版)、このような差別と不公平を黙認して気にもとめないのが、本土の知識人と一般人である。
そのような、本土の私たち自身こそが持つべき問題意識を前提とした話だった。
また、これまでに教科書の記載を撤回させた事例が過去に2つあること、そして今週末まで、現首相が沖縄慰霊の日(6/23)に訪沖するのを前にした動きが注目点だとの指摘もあった。
さて、あとはこれを如何に私たち(多くの良心的、かつ、これらが判断材料に入っていない人たちを含む)が共有するかだ。
高嶋伸欣さん
高嶋伸欣さん(琉球大学)が、教科書の検定を受けた経験、処分取り消しの裁判を起こした経験から、これまでの経緯と背景を解説された。
最初に、『沖縄戦の証言』というヴィデオの上映があった。戦時中の様子とともに、金城重明さんの「集団自決」体験、朝鮮半島から連れてこられた軍夫への酷い仕打ち、韓国の「ナヌムの家」(元、日本軍の慰安婦が共同生活をしている場所)などの様子が映し出された。ひめゆり学徒の方による「肉片になった友達の死体が記憶に残り、耐えられない。顔がいまだに消えない」との証言、白梅学徒の方による「日本の軍人が、壕の中で泣いている子どもの口にタオルを巻いて殺した」との証言を、私たちはどれだけ受け止められるか。そして火炎放射器を使う米軍の先にいた方々のことを、如何に想像できるか、という、受け手のあり方が問われているのだと感じた。戦争においては「お年寄りと子どもと障害者が死んでいる」ことも、「戦争はまだ終わっていない」ことも、これから繰り返し思い出すべきことだろう。
高嶋さんの指摘として、沖縄人、本土の人間の両方を刺すものがあった。
●1995年の米兵少女暴行事件の際、沖縄の集会において「沖縄県民よ頑張れ 東京から応援に来たぞ」というプラカードがあった。しかし、これはそもそも本土でこそ問題にすべきことではなかったのか。
●米海兵隊の演習を、沖縄から大分や北海道で分散して行った際(分散のための予算は私たちの税金)、「移転反対」との声があった。移転反対とされては、沖縄人は何も言えないだろう。その注意喚起をしたら、翌年から「米軍に帰れ」になった。
●一方、沖縄人はなかなか遠慮して発言しないことがある。大宅壮一は、沖縄における戦時中の皇民化教育の浸透ぶりを「動物的忠誠心」と表現した。
●沖縄タイムスには、復帰の日に、憲法の全文が掲載された。沖縄にとっては、憲法は決して「押し付け」ではなく、「無権利状態」から勝ち取ったものだった。
●また、沖縄タイムスは、国民投票法の全文を3頁を使って掲載した。一方、本土の新聞は朝日1頁、読売はごくわずかというひどい状況だった。
●こういったことは、単なる沖縄問題ではなく、現政権の政治思想をあらわすものだ。したがって、「沖縄がんばれ」ではなく、各地の主権者の問題としてとらえられるべきだ。
●大田昌秀曰く(『醜い日本人』サイマル出版)、このような差別と不公平を黙認して気にもとめないのが、本土の知識人と一般人である。
そのような、本土の私たち自身こそが持つべき問題意識を前提とした話だった。
また、これまでに教科書の記載を撤回させた事例が過去に2つあること、そして今週末まで、現首相が沖縄慰霊の日(6/23)に訪沖するのを前にした動きが注目点だとの指摘もあった。
さて、あとはこれを如何に私たち(多くの良心的、かつ、これらが判断材料に入っていない人たちを含む)が共有するかだ。
高嶋伸欣さん