Sightsong

自縄自縛日記

沖縄戦に関するNHKの2つの番組と首相発言

2007-06-23 23:44:19 | 沖縄
きょう6月23日は慰霊の日である。1945年6月23日に、沖縄戦の組織的戦闘が終わった。

NHKの『クローズアップ現代』枠で6月21日に放送された『“集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~』と、2年前の2005年6月25日に放送された『NHKスペシャル 沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~』の再放送を観た。

『クローズアップ現代 “集団自決”62年目の証言~沖縄からの報告~』では、先日6月9日の「6.9 沖縄戦の歴史歪曲を許さない沖縄県民大会」(→『「癒しの島」から「冷やしの島」へ』参照)での様子を皮切りに、金城重明氏をはじめ、さまざまな体験者の方々の声を紹介していた。

どのような形にしようとも、「集団自決」は、日本軍、さらには当時の日本政府に起因する世論と教育とによって引き起こされたことであること、がわかるような内容となっていた。そして、このたびの教科書検定(日本軍の「集団自決」への関与を削除)に対する大城将保氏 (「沖縄県史」編集委員) の怒りが印象的だった。

ただ、気になる点として、NHKのアナウンサーがすべてに「いわゆる集団自決」という表現を使っていた点がある。最初は、「集団自決」という言葉を実態を反映していないものとしてカッコつきで扱う(実態は日本軍による住民虐殺)という考えからかと思った。しかしむしろ、どのようなクレームがついても対応できるような、ただの「保留」であるように感じられた。

『NHKスペシャル 沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~』では、読谷村における「集団自決」の生き残りの方により、その様子が語られた。壕では、米軍が上陸したというので、すでに世論と教育を通じて「米軍に酷いことをして殺されるくらいなら自決すべき、そして自分の前に家族を死にゆかせるべき」とマインドコントロールされた方々が、布団に火をつける。煙の中で、この生き残りの方は、先に亡くなった方々を「羨ましく」思いつつ、他の方々につられて「外で死のう」とする。出たときには、後ろにいたはずの子どもがいなくなっていたという。そして、その心の傷を、これまで家族にも話さないできたという。

このような体験を語り始めてこられた方々の涙が出るほどの気持ちを前にして、マインドコントロールに疑いを持つ者、軍隊の「直接命令」があったかどうかに話を矮小化しようとする者、また国と軍隊に奪われた死を「殉国死」に美化しようとする者の、想像力の欠如については、強調してもしすぎることはないだろう。

そして、大宜味村の渡野喜屋(いまの白浜)では、疎開していた読谷村の住民を日本軍が虐殺する「渡野喜屋事件」があった(→JANJAN「渡野喜屋事件を知ってますか?」参照)。あの綺麗な塩屋湾、珍しい銭石がある塩屋湾(→過去の記事)でも、日本軍は、子どもたちをも手にかけたのだ。

多くの方の「記憶」と「証言」を前にして、慰霊の日に沖縄を訪れた首相の発言がいかに空虚で醜いものかと思う。

『琉球新報』 2007/6/23
教科書検定 撤回は困難と首相認識示す
「安倍晋三首相は23日午後、沖縄全戦没者追悼式出席後、記者団の質問に答え、沖縄戦の「集団自決」への軍関与を削除した文部科学省の教科書検定について「これは(文科省の)審議会が学術的観点から検討している」と述べ、検定の撤回は困難との認識をあらためて示唆した。
 首相は沖縄戦について「集団自決を含むいろんな悲惨な出来事があった」と言及。県議会や市町村議会で検定撤回を求める意見書可決の動きが広がっていることについては「悲惨な出来事が住民の心をも深く傷つけたとあらためて認識した」と述べるにとどめた。
 米軍再編については「地元の声に耳を傾け、抑止力維持と地元の負担軽減の観点から着実に進めなければいけない」との考えも重ねて示した。
 安倍首相は同日午前に来県し、国立沖縄戦没者墓苑で献花した後、追悼式に参列。あいさつで「沖縄の方々が塗炭の苦難を経験されたことを私は大きな悲しみとする。国際平和を誠実に希求し、不断の努力を行うことを誓う」と述べた。
 在日米軍再編の推進も強調。ことしが復帰35年に当たることにも言及し、沖縄の自立経済構築とに向けて取り組む姿勢を強調した。」


そのなかで私たちはどう考えるか。川田洋氏はかつて、沖縄への訪問者を「観光客」「権力者」「生活者」に分けて論考した。いまの私たちの多くは、おそらくは「観光客」である―――しかし、「想像力」ある観光客として、あるいは「想像力」ある本土の生活者として、他人事にとらえることはできない。

おそらく「観光客」としての規定性から完全にまぬがれえた沖縄訪問者がいるとすれば、この数年の間にかぞえられるのは防衛庁長官中曽根と、第三次琉球処分官山中だけだったのではあるまいか。
 権力者は、まさにその権力者として持つ意志の力によって「観光客」たることからまぬがれたのだ。だとすれば、「観光客」から脱出しようとするなら権力者の階級性とサシでわたりあうに足る階級性を身に帯びるか、さもなければ一人の<生活者>として沖縄の<生活>にのめりこんでゆくしかない。

川田洋『<国境>と女たちの夜明け』(「映画批評」1971年7月号)、仲里効『オキナワ、イメージの縁』(未来社)より引用



ポール・ブレイの新作ソロピアノ

2007-06-23 08:26:54 | アヴァンギャルド・ジャズ
ポール・ブレイがソロピアノ作『Solo in Mondsee』(ECM)を発表した。

正確なレビューは書けない・・・すぐに他のことを考えるか、寝てしまうからだ。退屈なわけではなく、その逆である。

もともと何かのスタイルを代表するような捉え方はされず、内省的とも耽美的とも言われてきたと思う。もうブレイは70代も半ば、その現在の姿は、「ブレイそのまま」なのだと思った。つまり、これがジャズシーンに与える影響や第三者からの評価を気にする位置を超えて、とにかく自らがピアノを弾いている姿―――あくまで勝手な印象だが。

10曲の曲想はそれぞれ違うような気もするが、気が付くとデジャブ感もある。和音には微妙に不協和音が混じり、「よくわからない美しいメロディ」が、よじれ、時間軸を無視して出てくると思うと過ぎ去っている。

これは、思索や睡眠への誘導と同じである。だから何度も聴くことになる。

これを変態的と呼ぶとすれば、故ジョン・ルイスが晩年の1999年、80歳近くで発表したソロピアノ『evolution』(Atlantic)を何となく思い出してしまった。これも「ジョン・ルイスそのまま」だった。

感想にも何にもなっていないが。