小林英夫『日中戦争』(講談社現代新書、2007年)がわりと話題になっているらしい。確かに新鮮な視点で面白かった一方、読んでから一週間余り、ちょっと割り切れない気持ちがあるのは確かだ。
著者の小林氏は、戦争の発想を「殲滅戦」と「消耗戦」とにわけ、その特質を見ている。それによると、日本の戦争の基本的な発想にある「殲滅戦」を支えるのが軍事・産業力のハードパワー、やるかやられるか、だ。第二次世界大戦では、日本は、米国に比べて「竹槍」に例えられるほどハードパワーが劣っていたと考えがちだが、ことアジア地域においては群を抜いていたとしている。一方、それに相対する中国の蒋介石は、「消耗戦」および外交・宣伝といったソフトパワーを、確かな戦略のもとに遂行していたとする。
確かにそうなのだろうと、近現代史を振り返ってみることのできる私たちには、まずは納得できる。しかし、これにより、蒋介石という人物を持ち上げすぎではないか、また、考え方の相違が現代の外交や企業経営にまで、国の違いとして現れているとすることは、少々単純に過ぎるのではないかと思える。
「殲滅戦略的な発想しか持ちえなかった日本は、(略)まさに息の根が止まるまで果し合いを演じるよりほかに、戦争を終結させることができなかったのである。」とする点は、半分は理解できつつも、やはり戦争に対する考え方のみで事を片付けてしまっていいのかという気がする。もちろん、ここから色々な考えが派生する新鮮な問題提起ではある。
この本では、日本政府の傀儡政権ともいうべき南京政府の汪兆銘政権についても大きくとりあげている。そして、和平という理想を掲げ、蒋介石と袂をわかち、その結果日本政府に欺かれ利用された汪については、終焉に至る悲劇的な過程を淡々と説明しているにとどめている。おそらく汪は魅力的な人物だったのだろうと感じる。それを伝えるために、変な結論を読者に与えないのは、却って良いことなのだろうと思う。
例えば、桶谷秀昭『昭和精神史』(文春文庫、1992年)では、汪のことを「事の成否を商量するレアリズムをあまり信用しない」政治家であり、むしろ「事に殉ずる美しいパトスを窮極に重んじた」としている。要は、理想に燃えつつも政治家としてはダメ、結果的に日本の軍国政治に利用された人物ということだ。その前提のもと、桶谷氏は汪の和平論に基づく行動を賞賛し、そのうえで、「汪兆銘の南京政府が日本の傀儡政権というなら、重慶政府は米英両国の傀儡政権なのである。」「事の成否を分けたのは、1945年に日本が敗北し、米英が勝ったという一点に尽きるのである。しかし、思想の論理からすれば汪兆銘の和平論がまちがってをり、蒋介石の抗戦論が正しいといふ保証はどこにもない。」と、筆をすべらせている。この考え方に、特攻をはじめとする「美しい戦死」の思想、負けたから日本が責めを負うのだとする偏った相対化、を嗅いでも無理はないのではないか。
相対化をいうなら、「40年3月、汪兆銘は南京に政府をたて、国民政府の「遷都」を宣言した。しかし汪に同調したものはごく少なく、日本占領地の中央傀儡政権以外のなにものでもなかった。」(姫田光義ら『中国20世紀史』、東京大学出版会、1993年)のような「程度の話」を前提に考えるべきだろうか。
話がずれた。『日中戦争』の白眉は、終章の「『検閲月報』を読む」である。関東軍は、中国国内、戦地から内地、内地から戦地への郵便物を検閲し、その処分事由とともに保存していた。ソ連軍侵攻の際に、関東軍がそれを穴に埋めたが、1953年に吉林省で発見され、修復を経て2003年に公表された、というものだ。
当然、戦地の実情を伝えるもの、厭戦的な考えを書いたものなどが、そこに集められている。
「戦争くらい嫌なことはありません (略) 余り申せませんが第一線にいる兵隊、皆戦争が嫌いだ々々と云っております」
「内地はとても兄さんが想像していらっしゃる所じゃありません 何もかも新体制新体制で個人の自由というものは絶対に許されないのであります」
「来た当時は手や足の無い子供たちが停車場へ汽車の着く度に進上々々と云って食物を呉と云って来るのです 其れは皆日本の爆弾にやられたのだそうです」
「(略)首を切ったときの気持ちは実になんとも言えんな、然し断末魔の顔だけは忘れられん (略) 僕も殺人前科何犯か判らぬ、然し戦場では治外法権だからな」
こういった数々の言葉がすべて渡るべき人の手に渡っていたなら、どうだったのだろうか。歴史は多少なりとも変わったか。
「これらは、検閲というフィルターで濾されることで、日本近代史の闇のなかに消えていった。これらの事実は国民的常識として定着することなく、海外の常識と大きく乖離したまま、現在に至っているのである。」 と、小林氏が指摘する点は、中国での戦争によらず、戦争の実相をかき消そうとする動きとして、今なお残っている。
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銀座ニコンサロンで、鬼海弘雄写真展『東京夢譚』を観た。
リアリズムなどと一言で言える域を踏み越えた、素晴らしいグレートーン。大森、佃、秋葉原、駒場、愛宕、どこでも写された街や建物に、懐かしさとも実在感とも言えるような気分の静かな昂りを感じる。
写真家がおられたので、グレートーンの秘密を聴き出そうとした。カメラはハッセルにプラナー、フィルムはTri-Xかプレスト、印画紙はオリエンタルとイルフォード(大きいもの)のバライタ。秘密に対する答えは、「味の素(笑)・・・いや、何も特別なことはしていない。リバーサルを撮るくらいの気持ちで露出を決めるくらいだ。」というものだった。
でも秘密にしか見えないのだった。
サインを頂いた
『季刊クラシックカメラ13 ツァイスレンズの神話にせまる』より