随分前に岩波ホールで上映されて話題になっていた『山の郵便配達』。原題は『那山 那人 那狗 Postmen in the mountains』、「那」はあの、とでもいった意味のようだ。だから、『あの山あの人あの犬』。こちらのほうが、小説と映画の叙情性をイメージしやすくて良い気がする。
小説は彭見明(ポン・ヂエンミン)という作家によるもので、作品の舞台と同じ湖南省の出身らしい。文庫本で30頁程度の短編である。だから、霍建起(フォ・ジェンチィ)による映画は、エピソードを付け加えているものの、老いた郵便配達人が息子に仕事を引き継ぐ際に3日間かかる配達路に同行していろいろと教えていく、という大筋は同じだ。
彭見明の小説は初めて読んだが、登場人物の内省とともに出来事を綴っていくのがとても巧い。内省は、その時のかみしめるような考えであったり、思い出だったり。それから、自然のなかに居る人々の描写も眼前に浮かぶようだ。
山あいの田園のなかを走っていく犬のさま。
「「行け」
一筋の茶色の矢が、緑の夢の中へと放たれていった。」
小説であればJ.G.バラードの『結晶世界』において、結晶化した自然を舐めるように見ていったときに現れる生きた黒人の描写を思い出した。
霍建起の映画のほうでは、その巧みさを、自然そのものを見せることで実現している。踏み固められた土の道、濡れた石、点在する家々の土壁や瓦屋根、棚田。やはり東アジアの自然、人間が長年住んでいることで作り上げられたものだ。高畑勲の映画『おもひでぽろぽろ』に、なぜ生まれ育ったわけでもない田舎の自然が懐かしいのだろう、と疑問に思う主人公に、仲のよい男が、これを理由として説明している。私も、映画での湖南省の生活風景に魅せられた。
小説には、他にも良い短編が収められている。こちらまで内省的になってしまいそうな感じだ。
とくに湖のそばの永遠に思われるほど広く奥深い草原で、仲の良い義姉と妹との少しあやしい気持ちを描いた『沢南』も秀逸だ。ちょっと映画『紅いコーリャン』(張藝謀)で、コン・リーがコーリャン畑に倒れこむシーンなんかを思い出した。