大嶺政敏「集団自決供養(ケラマ島)」がプリントされたポスター
「9.11緊急集会 in 練馬 『今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか』<歴史教科書の「集団自決」検定修正をめぐって>」に参加してきた(2007/9/11、大泉勤労福祉会館)。なぜ練馬区かというと、主催の<沖縄戦教科書検定問題を考える9.11集会>実行委員会の方々が、練馬区議会において、文科省への教科書検定撤回の意見書提出決議を目指しておられるからだ。参加者はかなり多く、主催者発表では165名。
まず、新たにつくられたビデオ『命どぅ宝の島から―証言でつづる沖縄戦の真実―』の一部が上映された。これは和光小学校・和光鶴川小学校の沖縄学習旅行にあわせて製作されたもののようで、「集団自決」などの体験者が語る形となっている。渡嘉敷島で「集団自決」に直接関わった金城重明氏も、繰り返し、その状況を語っている。自らが軍のマインドコントロールにより、肉親に手をかけたという体験をひとに聴かせるということは、想像を超えるほどの精神的な負担と覚悟があったことだろうと思う。
次に、山口剛史氏(琉球大学准教授)の講演。
座間味島と渡嘉敷島において、「集団自決」の直接的な軍命があったかどうかという争点がいかに本質的でないものか、また教科書改悪は検定方法に起因する「自粛」が問題であること、などが示された。
●教科書検定に関して、昔は、何度も文科省とやりとりができ、妥協点を見いだせた。今は一発検定(検定を呑むか呑まないか)であるから、教科書会社は従わざるを得ないという権力関係が出来上がっている。
●隊長命令の有無が確定していないから、軍による住民虐殺ということが書けないという検定の論旨は、問題を矮小化している。
●歴史的な実相は、「軍がなければ住民は死ななかった」ということだ。これは通説や学説にとどまらない真実であり、体験談に基づく事実である。
●「集団自決」は、基本的には家族同士の醜い殺し合い(に、軍や皇民化教育のマインドコントロールによって追い込まれた)であり、本質は、自決でなく集団死であることが、研究者の共通認識となっている。ただ、沖縄では「集団自決」といえばそれを指すことが常識化しているので、あえてカッコ付で表現している。
●軍民一体化の「根こそぎ動員」において、飛行場、陣地作りなどの軍作業は、軍隊から直接命令がくだされる構造にはなっていなかった。命令の伝達において重要な役割を果たしたのが行政だった。従って、ここからも、大江・岩波沖縄戦裁判において軍の直接命令があったかどうかが争点にされていることが、そもそも問題の矮小化・すり替えであることがはっきりする。
●構造上、閉ざされた地域における隊長は天皇の命令を体現しているものであり、軍の支配体制のなかで住民の選択権などはなかった。それどころか、どこに何があるかすべて把握している住民は、信頼できない存在であり、敵に情報がもれる恐れがある場合には死ななければならないものだった。(特に渡嘉敷島、座間味島は特攻艇という秘密を抱えていた。)
●1982年の教科書検定時には、住民虐殺より集団自決のほうが犠牲者数が多いので先に書けとの検定意見だった。しかし、ここでいう集団自決は、住民虐殺と同根の軍による強制死ではなく、住民自ら死を選んだ美しい死、という誤った意味だった。
●今回の検定によってのみ「集団自決」の実態が消されているのかというと実はそうではない。既に、検定という権力関係ゆえ、教科書会社が「自粛」して、検定にかからないような記述しかしないようになってきている。このような教科書で、(実態を知っている沖縄の教師ならともかく)本土の教師が歴史的事実を教えることは難しい。
●現在の有事法制のもとでは、「軍は政治体制を守るためのものであって、住民を守るためのものではない」という事実は、きわめて都合が悪いものだ。
●しかし、「集団自決」が貴いものだ、ということなど、歴史的な真実からみて認められない。皇軍は天皇の名のもとに何をやってきたのか、それが汚辱にみちて不名誉なものであっても乗り越えなくてはならない。それこそが歴史学習だ。
●これは決して「自虐的」なものではないし、歴史を歪めてはならない。それゆえ、全国共通の課題であり、アジア全体に、日本が戦争についてどう考えているかを示すものでもある。
●教科書の「自粛」問題もあるから、検定が撤回されても問題は終わらない。なお「自粛」しようとする教科書会社もあるだろう。それに対しては、学校の側が使わないくらいの意思を示すことが必要かもしれない。
その次に、岡本厚氏(岩波書店「世界」編集長)による、裁判経過の報告があった。既に、証人尋問は2回を数えている。
●昨日(2007/9/10)に、沖縄での出張法廷(2回目の証人尋問)があった。沖縄のメディアは多くの報道をしたが、本土で大きくとりあげたのは「赤旗」のみだった。相変わらずの沖縄と本土との情報ギャップがある。
●住民は軍の足手まといにならないよう、自ら死を選んだのだ、美しい清らかな死だ、それを否定することは住民・軍隊の名誉を傷つけることになる、というのが原告の主張だ。具体的には、渡嘉敷島と座間味島で直接の隊長命令があったかどうか、が裁判で問われている。
●実際には、これは敢えて矮小化した論点で全体を否定しようとする戦略であり、軍隊が住民を盾にしたり、追い出したり、食料を奪ったり、スパイとして処刑したり、といった事実をひっくりかえそうとしている。方法としては、ナチスのユダヤ人虐殺を否定するのと同じだ。
●とは言っても、直接的な隊長命令はあったとする証言がいくつも出てきている。
●仮に直接的な軍命を証明できないとしても、住民が盾になって本土進行を防ぐべきとするすり込み、手榴弾を渡すことにより何かの時には自決せよとの間接的な伝達、捕虜になったら「鬼畜米英」に酷いことをされるという恐怖のすり込み、など、大きな意味での軍命はあった。
●また、住民側が、軍命があったと解して死んでいったことについては、既に原告も認めている。
●1回目の証人尋問では、原告側は、隊長の副官と部下が答えている。そのとき、2人は隊長の横にいなかったため、事実を知らないことがわかった。矛盾であり、証人にはなりえていない。また被告側の証人として、著作を訴訟に悪用された宮城晴美氏が、軍命があったこと、記述が誤っていたことを証言している。
●2回目の証人尋問では、金城重明氏が軍命はあったと証言している(金城氏の周囲にいた住民が聴いていた)。また、村長に伝令がきたあとに、天皇陛下万歳といって死んでいったことを目撃している。
●3回目では、いよいよ原告2人と被告の大江健三郎氏が証人となる。
●12月に結審し、2008年3月には地裁で判決が出されるだろう。
●「集団自決」の歴史を消し去ろうとする動きが、体験者の怒りを呼び、新たに証言しようとする方々が出てきている。「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」とセットで都合の悪い歴史をゆがめようとすることは、逆に、虎の尾を踏んでしまうことになったと言えるのではないか。
山口氏と岡本氏
最後に、今回のポスターにもプリントされた画家の故・大嶺政敏氏のご子息が、沖縄戦を題材にいくつも描かれた作品について述べられた。芸術性、メッセージ性に優れた作品群だと思い、作品集を購入した。
ご自分が描かれた「沖縄の子供」という作品