Sightsong

自縄自縛日記

辺野古アセス「方法書」への意見集、辺野古の映像、水餃子と山西省の黒酢

2007-12-02 22:49:14 | 沖縄
『「普天間飛行場代替施設建設事業に係る環境影響評価方法書」に対する意見・関連資料集』(沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団、2007/11/19)を入手した。沖縄一坪反戦地主会関東ブロックの方に分けていただいたものだ。

沖縄県名護市の辺野古において、普天間基地の「代替」という建前で、実は「新規」の基地建設が進められようとしている。その「ためにする」環境アセスについては、問題点を、既に沖縄防衛局に送付した。この資料集は、私の意見を含め、全国から寄せられた487通の意見と、関連する資料を集めており、700頁にも及ぶ。

指摘や意見は、当然ながら共通したものが多いが、なるほどと思わされるものも多い。自分も綺麗にまとめようとせず、もう少しいい加減でもあれこれともっと書いておけばよかったなと反省する。

意見は、受け手の沖縄防衛局が整理し、「意見の概要」として29頁にまとめている。これについては意見を概ね抽出せざるを得ない性格のものだが、細かい点を端折っているとの指摘もなされているようだ。

巻末には、米軍関連の資料が載せられている。2006年4月10日に米軍海兵隊、米国国務省、(日本の、旧)防衛庁などで行われた会議の米軍海兵隊による議事録を読むと、興味深いことが書かれている。

○現在の辺野古の「V字案」の前案「ヌカガ2」(勿論、当時の額賀防衛庁長官の名前を冠したもの)について、防衛庁が陸地の上の飛行を回避してほしい旨を述べたところ、米軍自身が、「陸上の飛行はありうる」と反論している
米軍自身は、「地元沖縄の人々に対してオープンでなければならない必要性」を感じており、それは「この計画に対する地元沖縄の人々の容認がこの飛行場の建設における運用上の必要条件」としている
○なお、ほぼ同時期に、額賀防衛庁長官(当時)と宜野座村長・名護市長とは、陸上飛行を回避するとの「基本合意書」を交わしている。

他ならぬ米国自身が必要と感じている地元へのフェアさ、透明性を、日本が持たず、世間に対して公表しようとしないという面があるわけだ。「沖縄県環境影響評価委員会」は、先週末の11月30日に沖縄防衛局に対して35項目にも及ぶ質問書を送っているが、そこでも、以下の政府答弁について詳細を問いただしている。

○衆院(2007/11/16)における、防衛政策局長の答弁
「緊急事態のときは飛びうることがありますし、また、訓練の形態によってはないとは言えないということでございます。V字案にしたからといって、一切陸地の上を飛ばないんだ、絶対そういうことはあり得ないという認識があったわけではございません」

要は飛ぶということであり、飛び始めたらエスカレートするものと読むべきだろう。


方法書とそれに対する意見集

●参考
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(1) 環境アセスが正当に行われていない
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(2) 「事前調査」の問題点
ジュゴンの棲む辺野古に基地がつくられる 環境アセスへの意見を出す前に(3) 「方法書」の問題点

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先日(11/25)、テレビ朝日系列で『テレメンタリー2007 人魚の棲む海・ジュゴンと生きる沖縄の人々』が放送された(→リンク)。

今年の春ごろに、ジュゴンのつがいが辺野古の大浦湾で交尾している映像がとらえられた。その後、海中で遊泳する映像も記録されている。番組は、それを撮影した様子や、辺野古基地をめぐる攻防、ジュゴンについての伝説をまとめている。語り手は、「ジュゴンの見える丘」という歌を発表したCoccoだ。

ジュゴンについては、沖縄のあちこちに伝説が残っているらしい。

○大宜味村のウンガミ(海神祭)では、「私はニライカナイの神なので、ジュゴンに乗っておいとましましょう」と、ノロが歌っている。
○宮古の下地島には「通り池のヨナタマ(人魚)伝説」がある。ジュゴンを助けるために嵐が起きたという話。
○宮古の狩俣集落には「人魚女房」という伝説があり、ジュゴン(ザン)の末裔が住んでいた砂川(うるか)という村がある。
○八重山の新城(あらぐすく)島には、食べた後のジュゴンの骨を祀る「七門(ナナゾ)御嶽」がある。琉球王朝に献上していたジュゴンの干肉も残されている。


辺野古基地の計画図


交尾している鳥羽水族館のジュゴンと大浦湾のジュゴンの比較

先島に限らず、沖縄本島でもジュゴンを食べていたらしいし、辺見庸『もの食う人びと』(角川文庫)には、フィリピンでも最近までジュゴンを食べていたとある。柳田國男も、「肉ありその色は朱のごとく美味なり、仁羹(にんかん、人魚の肉)と名づく」と書いており、南方熊楠は「千六六八年、コリン著『非列賓(フィリピン)島宣教志』八○頁に、人魚の肉食うべく、その骨も歯も金瘡(切り傷)に神効あり、とあり」と書いているようだ。至上の味で、身体に神効があるというわけだ。

勿論、ジュゴンが稀少でなかったころの話である。それに、鯨の例を挙げるまでもなく、生育数が脅かされなければ、動物を食べることはその存在を貶めることにはならない。

●参考
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘

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沖縄平和ネットワーク製作のDVD『辺野古の闘いの記録 新たな闘い その1 07年5月~7月』を観た。

辺野古の事前調査を強行しようとする防衛局に対し、小さなゴムボートで非暴力の抵抗を行い、基地建設を許すことが米軍の戦争加担、イラクなどでの無防備な住民殺戮につながっているとじゅんじゅんと説く人びとの姿に胸が痛くなる。


違法な事前調査を阻止する

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家族みんなで皮を延ばし、水餃子を作って食べた。山西省の黒酢をつけて食べたらとても旨かった。黒酢にはコーリャンが入っていた。現地では「す」ではなく「つ」と呼んでいた。