Sightsong

自縄自縛日記

『地域福祉の国際比較』を読む

2009-03-01 11:56:27 | 政治

インターネット新聞JANJANに、井岡勉・埋橋孝文『地域福祉の国際比較』(現代図書、2009年)の感想を寄稿した。

>> 『地域福祉の国際比較』の感想

 本書は、韓国、日本、英国、スウェーデン、オランダにおける地域福祉の姿をそれぞれ詳述し、比較を試みたものだ。しかし、各国の枠組に関する経緯や事実を詰め込みすぎて、どれが実効的な政策なのか、どれが建前に過ぎない政策なのか、わかりにくいことは否定できない。研究者ではなく市民にとっては、ケーススタディから特徴をつかんでいく方法でなければ、自分たちの社会を改善するためのツールにはなりにくい。

 それでも、通読しておぼろげに把握できたことがある。福祉という言葉が持つ意味、そして地域レベルの声を政策として吸い上げることの枠組が、国により大きく異なることだ。それらの違いを意識しないで、今後の福祉政策について考える場合、気がつかない偏りをもたらしてしまう恐れがあるのではないか。

 福祉国家としてとりあげられることが多いスウェーデンだが、日本や韓国の状況と比べるとその特徴が明らかになるようだ。日韓においては、個人の自立や家族・地域の互助に福祉自体が依存した形となってしまい、住民負担の増大と相まって、特に都市域での孤立や貧困などの歪みをもたらしているとされる。これに対し、公的責任・負担に重きが置かれ続けるスウェーデンの姿が際立つわけだ。

 もちろん、税制の違いはあるだろう。しかし、1人当たり国民所得(2004年)が日本2.9万ドル、スウェーデン3.5万ドルであるのに対し、1人当たり家計最終消費支出(2002年)は日本が1.7万ドル、スウェーデンが1.3万ドルと大小が逆転し、その差は相当に大きくなる。格差、労働時間、住宅事情などを含め、生活基盤の違いを抜きにして、北欧モデルを幻影のように掲げ、高福祉化のために消費税が必要だとする議論には陥穽があるのだ、ということが実感できる例である。

 地域の声をどのように政策に反映していくのかについても、日本の微温的な姿が浮かび上がってくる。自治会(町内会)は任意団体であり、自治体の政策に連動した面には乏しいと言ってよいだろう。また、実現してもらいたいことがあれば、議員に依頼するということは半ば常識化している。これが、有権者として住民の意思を伝える場が発達せず、生活の延長としての政治参加意識が低くなる一因となっているようにも思える。

 一方、例えば英国には、自治会と同程度の規模のパリッシュという自治体が存在し、議会における住民の参加が可能となっている。そしてこれが、ボトムアップ型の政策決定の出発点となっているのであり、自治体合併により住民と政府との距離がさらに遠のいた感のある日本との様相の違いとなる。

 ただ、こういった彼我の違いをもとに、何々型の社会を目指すといった目標を掲げることのみでは不充分だろう。あくまで自分たちの社会を見据え、住民ひとりひとりの声を政策に反映するための方法を具体的に提案していくことが重要なのである。本書に散りばめられた他国の事例は、そのための「気付き」の材料として捉えられるべきものだ。

◇ ◇ ◇

増税や年金も含め、福祉対策が錦の御旗のようにされ、その実は歪んだ政策が進められていることへのハラダチが読んだ理由のひとつだ。それに加え、地域という面では、日本の自治会(町内会)の存在意義についても考えさせてくれる。私も以前は、作って欲しい道やコミュニティバスを実現してもらうために町内会でワーワー言っていたが、そんなことでもなければ、普段は何ということもない場になってしまっているから・・・。

●余談
ところで、地域自治が疎かにされている実例として、沖縄・辺野古の新基地建設を目的に地元にカネが撒かれた際に、地域のものでない公民館(区ではなく市のもの)が建設された話を思い出した。

>> 浦島悦子『島の未来へ』