『BRUTUS』(マガジンハウス)が、猫の特集を組んでいる。出張に出かけるときに電車の吊り広告で見つけてドキドキしたのだが、わざわざ買って中国まで持っていくのも馬鹿げているので、帰ってきてから慌てて1冊確保した。(まあ、それほどの話でもないのだが。)
昔は「犬派」だったので猫なんて見向きもしなかった。それが何故か、街角で猫が飄々としているのを見ると嬉しくてしかたがない。そんなわけで、所詮にわか猫好きであり、飼ったこともない。この雑誌の中に収められていた「猫検定」にトライしたが、50問中32問しか正解しなかった。普通に考えたら当る問題も多いので、この結果はかなり低レベルに違いない。
はじめて知ったこと。猫は甘みを感じない。猫は赤色を識別できない。猫に生のイカを食べさせてはいけない。
それでも、いろいろな猫の写真や、漫画に登場する猫(マイケルとか、ニャンコ先生とか、猫村さんとか)を眺めているとひたすら楽しく、ときどきは声を出して笑ってしまう。一緒に読もうよなどと言って、幼い娘と並んで開いたら、案の定興奮して、「ニャンニャ!ニャンニャ!ニャンニャ!」と指差して叫び続けるのでまともに読めない。やはり、猫に反応するDNAが人間には組み込まれているのだ。
ニコラス・ソーンダス『ネコの宗教』(平凡社、1992年)というグラフィック本があって、太古からの猫のイメージがあれこれ開陳されている。ライオンやトラやピューマといった大型ネコについての素材が多いが、やはりイエネコは確固たる位置を占めている。
何でも、イエネコが最初に登場したのは紀元前1500年ころ、エジプト新王国の時代だそうで、よく知られているように、この国で神格化された。ライオンの頭を持つ女神セクメトと、その妹で猫の頭を持つバステートとが、太陽神ラーの2つの眼として崇められた。現代と異なり、崇敬の念である。30万体もの猫のミイラが見つかった墓地もあるそうだ。
「人間が対抗できないものは、字義どおり超人的なものと見なされた。ことに、鏡のように輝く眼を使って夜間に獲物を狩ることのできるネコ族の習性が、その印象をなおいっそう強めた。1頭1頭の強さと敏捷性と夜間視力という魔法のような能力の組み合わせは、それに比べればか弱い人間の昼間だけの活動とひどく対照的なものだったため、いびつなほど強力なイメージが生まれ、われわれの太古の祖先の意識にしっかりと植えつけられた。
このイメージは歴史を生き抜き、現代人をも魅了している。現代人のネコ狂いは、人間とネコ類との昔からの関係がいちばん新しいかたちで表面化しているに過ぎない。」
『BRUTUS』には、「まこ」という猫のシールが付いていた。ついつい気分が盛り上がって、ザウルスを猫ザウルスにしてしまった。
●参照
○魯迅『朝花夕拾』、イワン・ポポフ『こねこ』
○沖縄県東村・高江の猫小
○沖縄県・久高島の猫小
○土屋景子『猫のいる島』