Sightsong

自縄自縛日記

『オーストラリア』と『OOTTHEROONGOO』

2009-03-07 00:21:52 | オーストラリア

今週ずっと中国に居た。北京行きの飛行機では、『オーストラリア』(バズ・ラーマン、2008年)を観ることができた。吊り広告なんかでは大画面で云々と謳ってあるが、その対極にある極小画面である(笑)。学生のころ14型のテレビで『アラビアのロレンス』を観て、劇場でなければ意味がなさそうだと思った記憶があるが、これもそんなところだ。しかし、感動もの大作で感動させられることほど悔しいことはないので、これでいいのだ。

ニコール・キッドマンはオーストラリア出身で、昔、子役として登場した『BMXアドベンチャー』(1983年)というオーストラリア映画を観たことがある(たしか『ネバーエンディング・ストーリー』との2本立てだったような気が・・・)。あれももういちど確かめてみたい。当たり前だが、何しろ当時、ニコール・キッドマンだと意識していなかったから。

商売映画であり飽きずに3時間弱を楽しんだが、映画の匂いのようなものはこれぽっちもない。ご都合主義のお話は馬鹿馬鹿しいの一言だ。それでも見所はある。日本軍によるダーウィン空爆、戦中頃もまだ居た牛追いの様子、それからアボリジニの抑圧政策である。

オーストラリア政府は、アボリジニや混血の子どもを親から強制的に引き離し、白人のもとで育てるという信じ難い政策を1970年頃まで行っていた。この映画でも、子どもの存在を嗅ぎつけた警察官が来るたびに、風力により汲み上げた水のタンクに慌てて隠れるという設定になっている。なお、現ラッド首相は、就任早々の2008年2月、その政策に対する謝罪(ソーリー・スピーチ)を行っている。

映画では、苦労して生きてきたことを物語として紡いでいき、家族や人と人との結びつきにしていくことの大事さを説いていた。そのメッセージはともかく、家族から引き離されることによる大きな歪みが、新たな物語を生んでいるのだろうなと思い出したのが、ジュリー・ドーリング『OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)』(PICAでの展示、2008年)だ。

1969年生まれのジュリーの祖母モリーは、12歳のとき、妹ドットとともに親から引き離され、孤児院に入れられてしまう。モリーの母メアリーは抗ったものの抑えつけられどうにもならなかった。モリーは、他の9人の混血児たちと、21歳まで孤児院の洗い場で働かされた。その間、孤児院はモリーの出生地のことを恥じるように仕向けた。本来の出生やルーツに関するイデオロギーを自覚したのは、家族のなかではジュリーがはじめてだったという。そして、祖母が生まれた土地に旅し、映像作品としたのが、この『OOTTHEROONGOO (YOUR COUNTRY)』ということになる。この3スクリーンへの映写作品の素晴らしさは、何度思い出しても増幅される一方だ。日本のどこかの美術館かギャラリーでも呼んでほしい。

●参照
支配のためでない、パラレルな歴史観 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー』
オーストラリアのアート(5) パースでウングワレー、ドライスデイル、ボイド、それからジュリー・ドーリング(ジュリー・ドーリングのPICAでの展示)
キャンベラの散歩30年以上も座り込みを続けているアボリジニの「テント・エンバシー」