家族で内房の富津まで行く予定だったのだが、強風で電車が止まっていたので引き返し、何だかだらしのない一日を過ごしてしまった。だからというわけではないが、読みかけの、鎌田慧『抵抗する自由―少数者として生きる』(七つ森書館、2007年)を読了した(もっとも、すぐ読める分量)。先日の六ヶ所村に関する鎌田氏の講演の際にも、出版社の方がこの本を宣伝にきていた。
<三里塚>がリアルタイムでない自分にとっては、これは国家暴力による過去の弾圧だという認識に過ぎなかった。まだ住んでいる方々が存在する、ということも、乏しい報道による知識に過ぎなかった。本書は、<三里塚>が現在の問題でもあり続けていることを明確に示している。私を含め、無自覚に成田発着の国際便を使うことによって非民主的な計画に加担し、間接的に騒音被害を与えている者にとって、読むべき本のひとつだろう。(なお、鎌田氏も、当初は他の空港を使うなどしていたが、いまは「かすかな心の痛みを感じながらも、成田から飛び立っている。なにか知り合いの頭を踏みつけているような、後ろめたい気がうるのだが。」と書いている。誠実な書き手であることを感じさせる点だ。)
「成田空港建設が批判されて当然なのは、建設を計画した政府とそこに住んでいた人間とが、まったくの対等な関係として認められず、いきなり「用地決定」というかたちで通告され、機動隊を差しむけた力ずくによってはじめられたことだった。死者ばかりか、負傷者があまりにも多かった。だから、これ以上の拡大は許されるものではない。
勝手に決定された「開港日」は、管制塔占拠という反対派の未曾有の攻撃によって、二ヶ月間延期された。そのあと、政府は運輸大臣や政務次官を派遣して、公開の場で謝罪、「収用法は返上し、今後対等な立場で二期工事については話し合いをしてはじめることにする」と確約したのだった。」
それにもかかわらず、工事を拡大し、有罪に追い込んだひとびとから、総額1億円を超える「損害賠償」の強制執行を行っている。この、間違いを口で認めながら暴力をふるいつづける権力とはどのようなものか。
「いまも空港公団改め空港会社は、かつてのように暴力装置としての機動隊の力は借りないにしても、騒音で追い出そうとしている。
空港内に民家と畑が残っているようにみえたにしても、それは民家と畑のすぐそばまで、あつかましくも空港が勝手に押しかけてきたからだ。三里塚闘争は終わったといわれたにしても、ここで畑を耕して生活しつづけたいひとたちがいるかぎり、わたしはそれを支持する。」
ところで、拡大した滑走路は、サッカーのW杯開催にかこつけて、「暫定」という名のもとに強引に運用を開始したわけだが、それでは、スポーツ選手や芸能人を動員して誘致の気運を高めようとしている東京オリンピックについてはどうだろう。空港だけではなく、道路の建設なんかも、経済波及効果、インフラ整備という看板で語られるのではないか。
●参照
○六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
○鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
○前田俊彦『ええじゃないかドブロク』(鎌田慧『非国民!?』)