Sightsong

自縄自縛日記

『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』

2009-03-29 23:00:28 | 環境・自然

千葉県知事選の結果にはがっかりだ。・・・と言っても結果が覆るわけではないので、具体的に提示されてこなかった政策がどのようなものになるのか、まずはじろじろ見ていくことにしよう。

先日の講演会会場に、アンソニー・ブラクストンのディスコグラフィ(>> 記事)まで出している愉快な編集者のOさんが、新刊書の宣伝に来られていたので、1冊購入した。

『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』(西尾漠・末田一秀編著、創史社、2009年)は、原子力のバックエンドに存在する危うい部分を示す本である。原子力のリスクと言うと、日本の技術からみてもチェルノブイリ(ウクライナ)のような事故は起きっこないという意見や、原子力がなくて日本のエネルギー供給は成り立たないじゃないかという意見が、エネルギー・技術に近い人間の口から出てくることが多い。しかし問題はむしろ、核燃料サイクルが確立できない点にあるのであって、実は社会的にも充分に周知されているとは言えない。誰にとっても他人事ではない問題であるから、どのような評価を下すにしても、知らないよりは知っておいた方が断然いい。

本書の特徴は、リスクそのものよりも、放射性廃棄物の最終処分場の建設候補地が、如何に非民主的に検討され、住民の知らないところで計画が進められているのか、具体例とともに示しているところにある。「カネで頬を叩き、地域社会を狂わせる」あり方は、軍事基地と変わるところはない。地元に経済波及効果があるに違いないという幻想が裏切られることも同様。

●参照
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)


ジョニー・トー(3) 『ブレイキング・ニュース』

2009-03-29 00:19:26 | 香港

『エグザイル/絆』の痺れるような眩暈を求めて、同じジョニー・トーの監督作『ブレイキング・ニュース(大事件)』(2004年)をレンタル店で借りてきた。

喉をからからにして観た。やはり、多層的な速度、世界、感情が恐るべきスピードとテンポで錯綜する万華鏡、しかも中では火薬が破裂しまくっている。これを映画の至福と言わずして何と言うか。

強盗犯グループを追う警察、それがメディアを通じて社会問題となってしまい、警察はメディアを広告宣伝の手段として利用し、犯人逮捕ショーを演出しようとする。その電波を通じた映像、さらには立て篭もる犯人から発信されるネット映像、携帯電話による音といった情報が映画の内外で共有される。(もっとも、メタ映画として成功しているとは言えず、小道具として最高に面白いというところだ。)

生き残った犯人2人が立て篭もった部屋には、全く別の殺し屋2人が警察から逃げ込んでくる。ここでお互いに無関係な犯罪者、人質になった親子の奇妙な関係が生まれてくる。強盗犯が腹が減ったと言って料理を始めると、殺し屋も料理を手伝う。2人とも本職のような手際のよさであり、顔を見合わせてにやりとする。そして、人質を含め全員で一度だけの食卓を囲む。この展開が、さらに敵味方の呉越同舟での晩餐という、『エグザイル/絆』の忘れ難いシーンとしてのちに結実したに違いない。

強盗犯と殺し屋との友情が、ラストの思いつかない展開へとなだれ込んでいく。出来すぎた物語だが、これが何とも言えない余韻を残す。『エグザイル/絆』ほどの神がかったような映画世界ではない。タイトルも忘れ去られそうな凡庸さだ。だが、ジョニー・トーの作品であるから大傑作なのだ。

●ジョニー・トー作品
『エグザイル/絆』
『文雀』、『エレクション』

●Youtubeの映像
オープニングの銃撃
予告編