Sightsong

自縄自縛日記

池澤夏樹『カデナ』

2010-05-04 01:18:40 | 沖縄

池澤夏樹『カデナ』(新潮社、2009年)。去年発売されたとき、これだけの値段を払う気にはとてもなれなかった。先日、仙台の古本屋「火星の庭」に立ち寄ったところ、ワゴンに300円で放置されていたのでこれ幸いと入手した。それでも、ツマには、そんな本なら図書館で借りろと叱られてしまった。

家族で電車で遠出したので、その行き帰りにあらかた読んだ。読み物としては結構面白く、厭きることはない。しかし、読みながら苛々している自分を発見する。

一人称で取り繕ったように「正直な語り」を行うことに、ウソが包まれている。小説のウソならよい。これは欺瞞のウソである。このように、まるで客観的なように、あるいは、あえて主観によるブレを含ませて、自分の気持ちを吐露することが、すでに「過去」に関する語りであることを意味している(実際に過去の話なのではあるが)。当事者による「現在」の語りは、思索と一体であるはずだからだ。その意味で、オビの文句にあるように、仮に「思索のすべてが注がれた」小説であったとしても、それを見出すことはとても難しい。

そして、実際にこの小説世界は、完結した「過去」であり、決して現在とつながってはいない。

「よくも誰も見つからずに済んだと笑った。
 一人が捕まっていればたぶんみんな捕まっただろう。
 あれは冒険の夏だったんだ。」

これがちょっとした冒険小説であれば、楽しませてくれて有難う、というところだ。しかし、テーマは「沖縄」であり「嘉手納」である。自らの沖縄体験を、このように「終わった過去」として清算したということである。いい気なものだ。

ところで、表紙の写真は垂見健吾による。先日、札幌に足を運んだ際、あるギャラリーで写真展を開いていた。壁には、沖縄の写真がプリントされた芭蕉布が何枚も吊り下げてあった。ちょうど写真家が現れ、ギャラリーの女性と放談を始めた。曰く、芭蕉布は沖縄のものじゃなくて「ベトナムかどこかのものらしい」、写真は「頼んどいたら出来ていたのでどのようにプリントしたか知らん」。このとき、私の頭には「癒しの商売人」という言葉が浮かんだ。そして、この小説との共通項については言うまでもないことだ。


嘉手納 Leica M4、Carl Zeiss Biogon ZM 35mmF2、Tri-X、イルフォードマルチグレードIV(光沢)、2号フィルタ

●参照
イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』
本橋成一+池澤夏樹『イラクの小さな橋を渡って』