川島耕司『スリランカと民族 シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』(明石書店、2006年)を読む。
スリランカでは、昨年ようやく長きにわたった内戦が終結した。もう十数年前、スリランカ政府軍の若者たちと話していると、「これからタミル人たちをやっつけに行くんだ」と明るくふざけていた。あるインターネット上のまともそうなフォーラム上で、「タミル人に死を!」と繰り返し書きこまれていて驚愕した記憶もある。もう戦場に戻りたくないと嘆く若者とココナッツ酒を飲んだこともある。憎しみの根は深いのだなと痛感した。
しかし、本書を読んで明らかにわかることは、スリランカ内の対立が、単純に政府対LTTE(タミル・イーラム解放のトラ)でも、シンハラ人対タミル人でもなく、植民地時代からの歪みが姿を変え続けた最近の形態なのだということだ。そしてまた、LTTEの敗戦が歪みの解消ではないということだ。
ポルトガル、オランダの支配を経て、19世紀から独立まで、スリランカは英国の支配下にあった。断続的にキリスト教布教が行われていたものの、それが大きなフリクションと化すのは20世紀に入ってからのようだ。宗教的な理由だけでなく、教育格差、経済的格差などにより、反キリスト教運動が広がっていく。そして多数を占めるシンハラ人たちの不満の対象は、ムーア人、マラヤーリ人、タミル人と変遷することになる。
当然ながら、敵を作り出し、ナショナリズムを煽ることによって政治的地位を得ようとする者は、このような現象に付き物である(最近の日本で言えば、「北」を熾烈に批判することで地位を得た安倍元首相であろう)。スリランカにおいては、これがエスカレートした。マイノリティの排外政策が導入され、意識は固定化し、さらに憎しみの連鎖を生みだしたということになる。スリランカで頻発したマイノリティへの暴力は、「適切な場所」にとどまる限り許されるにも関わらず、その場所を踏み越えた行為への罰であり、「適切な場所」を教えるためのレッスンであると解釈されるという。
歪みの種は内在したものではなく、英国による植民地支配にあった。英国人は森林を私有地化し、多数のエステート(プランテーション)に変え、安い労働力としてインドからタミル人たちを導入した。歪みが出たとしても、安い労働力の確保による経済成長を優先した。やはり日本とのアナロジーを考えてしまうが、さて、日本の支配により発展したのだとする言説や、日本国内のマイノリティに対する排外政策・意識はいまだ根強く残っている。
これまでは、「タミル人であることは恐怖のなかで生きること」と認識せざるを得ず、「世界を二極化したものとしてみる見方を多くのタミル人に強いる」ことになっていたのだという。著者は、今後マイノリティ市民によって求められていくべき要素のひとつは、「活気ある国民共同体に自分が参与しているという感覚」であり、「積極的な社会的、政治的参加を通しての連帯と友愛の感覚」であるとしている。読み手としては、こういった思索も、日本社会の姿を考えるために取り入れなければならない。