Sightsong

自縄自縛日記

ヘンリー・スレッギル(10) メイク・ア・ムーヴ

2010-06-20 23:53:16 | アヴァンギャルド・ジャズ

ヘンリー・スレッギルの最近の作品は「ズォイド」(Zooid)名義ばかりだが、「メイク・ア・ムーヴ」も90年代半ばからの比較的新しいグループである。アルバムとしては2枚が発表されている。『Where's Your Cup?』(Columbia、1996年録音)と『Everybodys Mouth's a Book(邦題:口承)』(Pi Recordings、2001年録音)である。

セクステット、ヴェリー・ヴェリー・サーカス、ズォイドという、分厚い低音アンサンブルの流れにはない。ギター、ベース、ドラムス、そしてハーモニウム・アコーディオンまたはマリンバ・ヴァイヴというシンプルな編成である。

『Where's Your Cup?』は、コロンビアというメジャー・レーベルから出した最終作だった。この後、ブランフォード・マルサリスがレーベルのコンサルタントとなり、デイヴィッド・S・ウェアと契約したことも影響して、このレーベルとの関係は断ち切られた、そんな噂があった。真偽のほどはわからない。本作が傑作であるだけに、勿体なかったことは確かだ。

スレッギルはアルトサックスとフルートを吹く。ブランドン・ロス(ギター)、ツトム・タケイシ(ベース)、トニー・セドラス(アコーディオン、ハーモニウム)、J.T.ルイス(ドラムス)というメンバーで、本作を特徴付けているのはセドラスの参加だ。スレッギルはセドラスにより沿って、1曲目の「100 Year Old Game」から愚直と思えるほどゆっくりと哀しいメロディーを奏でる。勿論セドラスだけでなく、ブランドン・ロスの個性的なギターとの交感も素晴らしい。野性的なドラムスを入れるのはスレッギルの趣味なのか、5人の打ち出す個性と相互作用が際立っている。

また、「Where's Your Cup?」では、コードから微妙に外れたフルートを吹き、聴くたびに驚かせてくれる。「The Flew」では、『Makin' a Move』(Columbia、1995年)の2曲目「Like It Feels」と同様、他のメンバーたちに曲の世界を展開させた後でおもむろに登場し、その世界を凝縮した形で再提示するようなアルトソロを聴かせる。

一方、5年後の『Everybodys Mouth's a Book』では、ドラムスが交代する他に、セドラスが退き、マリンバ・ヴァイヴのブライアン・キャロットが加わっている。これが作品の質を大きく変えてしまっていると感じざるを得ない。高度なコード化によって、音楽は重力を逃れ、宇宙空間を浮遊するものとなってしまっているのだ。逆にいえば、ハーモニウムやアコーディオンが重力に縛り付け、その結果、化学変化が起きていたのだと言うこともできる。『Everybodys Mouth's a Book』は、何度聴いても、いまひとつ印象が定まらない。

『Where's Your Cup?』と同じ1996年に、同じグループでウンブリア・ジャズ祭で演奏した映像を持っている。ここでも重力の楔=セドラスという雰囲気を楽しむことができる。(ハーモニウムはヌスラッテ・ファテ・アリ・ハーンのイメージが強いが、何とも妙な楽器だ。)

まだメイク・ア・ムーヴ結成の前、『JAZZIZ』誌(1994年3月)がスレッギル特集を組んでいる。ここで興味深いことに、ロスが以下のような発言を行っている。「ある時期に、ヘンリーは私たちに制約を課しはじめた。私は演奏に向かう方法すべてを変えなければならなかった。フィンガー・スタイルはクラシックギターやフラメンコギターに近いものだった。

96年の映像でも、面白いことに、ロスは終始楽譜をにらんでギターを弾き続けているのである。しかし、緻密とは言え、ロスのソロは蛍光ペンのようでユニークで素晴らしい。そしてJ.T.ルイスもツトム・タケイシも対照的に奔放であり、指示を出しつつ吹くスレッギルは汗だくだ。この編成でそうなのだから、ヴェリー・ヴェリー・サーカスやズォイドではどのような雰囲気か、とても興味がある。

●参照
ヘンリー・スレッギル(1) 『Makin' A Move』
ヘンリー・スレッギル(2) エアー
ヘンリー・スレッギル(3) デビュー、エイブラムス
ヘンリー・スレッギル(4) チコ・フリーマンと
ヘンリー・スレッギル(5) サーカス音楽の躁と鬱
ヘンリー・スレッギル(6) 純化の行き止まり?
ヘンリー・スレッギル(7) ズォイドの新作と、X-75
ヘンリー・スレッギル(8) ラップ/ヴォイス
ヘンリー・スレッギル(9) 1978年のエアー


嘉手苅林昌「屋慶名クワデサー」、屋慶名闘牛場

2010-06-20 01:46:58 | 沖縄

嘉手苅林昌の唄う「屋慶名クワデサー」(マルフクレコード)を聴く。那覇の高良レコードでは、このようなEP盤のデッドストックを1枚100円で売っている(LP盤は700円)。

林昌の半ば枯れていて飄々とした唄はとても良い。もっとも、歌詞はヤマトゥ向けに訳されたものを読まないとほとんどわからない。のちのアルバム『失われた海への挽歌』でもこの唄を謡っており、竹中労の解説によると、クワデサーとは落葉樹の名前、林昌はその下での「毛遊び」や浜遊びの体験を意識している。謡い終わった後、林昌はこのように呟いたという。

「あんし美らさたる海んかい、なまや油の浮いて泳じーもならんさ」(あんな綺麗な海が、今では油が浮いて泳ぐこともできない、といった意味?)

屋慶名は勝連半島の先のほうにある。リゾートや石油備蓄だけでなく、平野前官房長官が進めようとした新基地案など、林昌の呟きは反響し続けている。

5年ほど前、闘牛を観たいと思い、ちょうど屋慶名闘牛場というところでやっているというので、バスで出かけた。あまりにも時間がかかるので、コザあたりからタクシーで向かった。運転手さんも場所が分からないと言い、弁当屋で道を訊ねた。すると居合わせたお客さんが、近くだからと車で先導してくれた。確かにわかるわけがない山の中だった。靴を泥だらけにして辿り着くと、ちょうど大関の試合だった。何とか間に合った。

なかなか沖縄にも、もちろん闘牛場にも足を運べないが、たまに闘牛場のサイト(>> リンク)を覗く。屋慶名闘牛場は戦前からある闘牛場らしいが、2007年には、石川多目的ドームという立派な闘牛場が完成しているらしい。予定表を見ても、このドームばかりだ。屋慶名はまだ使っているのかな。


屋慶名闘牛場、2005年 Leica M3、Summitar 50mmF2.0、シンビ200、DP


屋慶名闘牛場、2005年 Leica M3、Summitar 50mmF2.0、シンビ200、DP

●参照
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、イザイホーを利用した池澤夏樹『眠る女』、八重山で演奏された齋藤徹『パナリ』


カンタン・ロレ、レクタングル

2010-06-20 00:06:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

1990年代後半にレクタングル(Rectangle)というフランスのレーベルがあって、奇妙なLPやEP盤を次々に出していた。日本盤で『レクタングル・オムニバス』というものもあったが、寄せ集めはつまらないので手放してしまった。いま手元にあるのは、ロル・コクスヒルフィル・ミントンノエル・アクショテ『Minton - Coxhill - Akchote』(1997年)と、カンタン・ロレ『AKA DOUG』(1994年)の2枚のEP盤だけだ。

他に、デレク・ベイリーやユージン・チャドボーンらの作品や、ストローブ=ユイレがつぶやいている盤(彼らは映画でもつぶやいている)といったものがあって、今考えれば、入手しておくべきだった。もっとも、ストローブ=ユイレのつぶやきはフランス語であって、当時レーベルに問い合わせたが英語訳はないということなので無意味だと諦めた。

あらためて、カンタン・ロレ『AKA DOUG』を聴く。完全ソロ、ただしアルトサックスとサンプラーによる多重録音である。両面で3曲のみだが、それぞれ趣向が異なり愉快である。異なる音域や音色を重ねるだけではない。A面の演奏では、キーを強く叩くときのタンポの音を拾ってサンプリングしており、息を吹き込むという感覚を増幅させている。こんなとき、サックスという楽器が肉声に近いこと、柔軟なことを強く感じる。

たしか当時、このユニークなサックス奏者は20代だったはずで、そうすると現在でもまだ30代だ。しかし、レクタングルが活動を停止しており、また、ネット検索してもカンタン・ロレ(Quentin Rollet)の名前はほとんど出てこない。唯一、最近も活動している記録を発見した。2009年11月22日、パリでのライヴ映像である。メンバーは、David Fenech (g)、Ghedalia Tazartes (vo)、Jac Berrocal (tp)、Quentin Rollet (sax)と書かれているが、ロレ以外は聴いたことのない名前だ。

映像 >> 

とても愉しそうだ。相変わらず、変な音を出したり、太腿で音をふさいだり。ロレ、もっと目立つ活動をしていないのだろうか。

●参照
コクスヒル+ミントン+アクショテのクリスマス集『Minton - Coxhill - Akchote』