Sightsong

自縄自縛日記

バフマン・ゴバディ『酔っぱらった馬の時間』

2010-06-27 18:16:06 | 中東・アフリカ

イラン生まれのクルド人、バフマン・ゴバディのデビュー作『酔っぱらった馬の時間』(2000年)を観る。

イラン北部、イラクとの国境近くに住むクルド人たち。その多くが密輸で生計を立てている。監視員もいる、雪が積もる山間部の国境。あまりにも寒く過酷な道のりのため、密輸品を運ばせる馬には酒を飲ませている。主人公アヨブは子どもだが、両親がいないため、兄弟を養うためにも学校に行かず日雇いの密輸を手伝う。それでも障害のある弟マディに手術を受けさせるほどのオカネはない。そして、姉は、マディを引き取ってもらうとの条件で嫁いでいく。しかし、嫁ぎ先では、こんな子は引き取れないとヒステリックに騒ぐ。すべてを泣きそうな顔で聴いているマディ。

まるでドキュメンタリーのように淡々とした演出のためか、より哀しさも面白さも滲み出ている。出演する子どもたちは実際にクルド人だということだ。

ゴバディの新作『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)はテイストが全く異なり、都会テヘランの若者たちを描いているらしい。試写会を観た友人が、ロックが本当にかっちょいいと教えてくれた。「中東カフェ」でも上映と監督のトークがあるということで、無理しても駆けつけようかと思っていたのだが、ゴバディの来日がキャンセルとなって中止になってしまった。無許可での撮影を行い、イラクのクルド人地域に滞在するゴバディは、先日拘束されていたジャファール・パナヒと同様、現独裁政権から見れば煙たい存在に違いない。

大好きな日本へ行きたかった。しかし、パスポートの査証ページがなくて、その再発行(増補)をしようとしたけれど、イラン大使館から「イランに戻らなければ発行しない」と言われた。今の私がイランに戻るということは、刑務所に入れられるか、二度とイランの外へ出られないということ。私はイラクのクルディスタンを第二の母国として、新しい国籍のパスポートを得たい」(「中東カフェ」より引用

●参照
ジャファール・パナヒ『白い風船』
アッバス・キアロスタミ『トラベラー』
アッバス・キアロスタミ『桜桃の味』
シヴァン・ペルウェルの映像とクルディッシュ・ダンス
クルドの歌手シヴァン・ペルウェル、ブリュッセル


T・K生『韓国からの通信』、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』

2010-06-27 01:55:29 | 韓国・朝鮮

T・K生『韓国からの通信 ― 1972.11~1974.6 ―』(岩波新書、1974年)を読む。著者は現在では池明観を名乗っている。岩波書店『世界』での連載であった(その後続編が出ている)。60年代と70年代の朴正煕独裁政権にあって、本名など名乗ることは不可能だっただろう。

ここには、朴正煕政権が如何に暗黒時代であったかが、怒りとともに綴られている。不正蓄財や利権。劣悪な労働条件。少しでも反対する者は容赦なく逮捕され、拷問、殺害されることも稀ではなかった。相互監視社会となり、口を噤む者が増えた。実働部隊はKCIAであった。金芝河などの詩人も作家も、発言を封じられた。

1973年8月、東京のホテルグランドパレスで金大中事件が起きる。政権の指示によるKCIAの手によるものであった。殺されずにソウルに戻った金大中だが、軟禁は続いた。この暗黒の政権に対し、やはりのちに大統領となる金泳三が真っ当な攻撃を加えているのは印象的だ。しかし、田中角栄政権は経済的な利害のみを考え、政権同士で手を打つ。米国も、ベトナム戦争での韓国の協力などを考慮して碌な動きをしない。正しさであるとか、理念であるとか、人権であるとか、そういったことが日本の政治に浮上しないのは今に始まった話ではない。

朴正煕は1980年に部下に射殺されるが、その後に現れたのは、やはり独裁者・全斗煥であった。金大中事件から全斗煥独裁時代のはじまりまでを追ったドキュメンタリー映画、川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(1981年)を、科学映像館のウェブで観ることができる(>> リンク)。なお、川本博康はやはり優れたドキュ、『東京のカワウ 不忍池のコロニー』を撮った人でもある。

映画は、 金大中事件からはじまる。韓国の国会議員を訪ねた後に2211号室を出た金大中は突然拉致され、隣室2210号室で殺されかける。麻酔をうたれ、地下の駐車場から連れ出された金大中は、船に乗せられ、海の藻屑と化すところだった。それらの計画は中止されるものの、ぼろぼろの姿でソウルの自宅近くで解放され、政権により軟禁されることになる。隣室には、駐日大使館の一等書記官、金東雲の指紋があった。

この暴力に対し、田中首相と金鍾泌首相(朴政権も金大中政権も誕生させた政治家)、その後宮沢外相と朴大統領との「政治決着」がなされ、事態は曖昧なまま誤魔化される。朴政権が倒れ、1980年、全斗煥政権が誕生。金大中は反国家的な動きをした咎で、死刑判決を受ける。政府レベルでは維持という解決方法しか見いだせなかった日本でも、市民レベルでの反対運動が盛り上がり、「金大中「裁判」調査・糾弾 国民法廷」が設けられる。

映像にはさまざまな人物が登場する。梅林宏道(現・ピースデポ)は、日本企業が韓国で如何に過酷な労働を強いているか暴露する。中山千夏(当時、参議院議員)は、なぜ国のレベルで抗議しないのかと訴える。金芝河の姿もある。そして、韓国は日本に対する輸入依存(鉄鋼、機械)が大きかったため、日韓の経済癒着と政治癒着とがあった。

全政権の市民弾圧、なかでも、1980年の光州事件の映像は凄まじい。民主化を求める市民、活動家、学生に対し、空挺部隊が発砲し、戦車でひいている。妊婦の腹を裂いたり、病院の負傷者を2階から投げ落とすこともあったという。

朴政権でも、全政権でも、北朝鮮との関係は緊張していた。「アカ」だと見なされることは死を意味したというが、『韓国からの通信』でも、「アカであるといえば人権的考慮がなくても黙認するという、残忍な習性」が、市民の身についていたと指摘されている。「反共」意識は政権維持のための道具でもあった。これはまさに現在の姿なのであって、李明博政権でも、金大中の「太陽政策」からまた振り戻しがあったように見えてならない。現在、池明観も「太陽政策」を高く評価している。

●参照
金浩鎮『韓国歴代大統領とリーダーシップ』
李恢成『沈黙と海―北であれ南であれわが祖国Ⅰ―』
四方田犬彦『ソウルの風景』
尹健次『思想体験の交錯』
尹健次『思想体験の交錯』特集(2008年12月号)
高崎宗司『検証 日朝検証』 猿芝居の防衛、政府の御用広報機関となったメディア

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)