山口二郎『政権交代とは何だったのか』(岩波新書、2012年)を読む。
既得権益にがんじがらめになり、自分たちだけの世界を脱却できなかった自民党政権が倒れたとき(2009年)、どれだけそれが嬉しいことだったか。ところが、民主党政権になり、清新なヴィジョンを掲げて登場した鳩山首相、正論をもって突きあげる力を期待した菅首相ともに、政・官・財の守旧的な力により無力化し、さらにはメディアを含めた無責任の力によって引きずりおろされてしまった(私はいまだにこの2人のことは保留条件付きではあるものの高く評価している)。そして現在は、本当に政権交代があったのかどうか、忘れてしまうような有り様である。
何が問題だったのか。本書は、著者が民主党ブレーンであっただけに、おそらくは苦しい思いとともに、いくつかの答えを示している。それは例えば、政権交代や政官の統治スキーム転換という手段自体が目的化してしまっていたこと。マニフェストが議論によって積み上げたものではなかったために、政治家内部に血肉化したヴィジョンとはなっていなかったこと。マニフェストを実現化するための手段や、マニフェスト(もとより全てを実現することは不可能)の優先度について練りきれていなかったこと。政治主導を意識するあまりに自縄自縛になり、官の力を使うことができなかったこと。ヴィジョンの共有、その実現化が「絵に描いた餅」になっていた、というわけである。
その一方で、官僚の抵抗が激しかったことも事実としてあったようだ。鳩山首相が普天間基地の県外移設を打ち出したとき(勿論、このことを「寝た子を起こした思いつき」とする言説には、私はまったく共感できない)、外務官僚たちは、米国政府に対して、柔軟になるな、譲歩するなと働きかけ続けていたという。また、「核なき世界」を唱えたオバマ米大統領が原爆投下を謝罪するために広島、長崎を訪問しようとしたとき、謝罪はもとより訪問自体も「時期尚早」だという見解を伝えたのだという。激しい怒りを覚えざるを得ないエピソードである。
「日米安保は、いわば現代の「國體」である。そして外務省、防衛省の官僚は、國體護持の担い手である。日本国民の意思よりも、アメリカとの関係の固定化に関心があるのだから、極めてゆがんだ國體である。こうしたイデオロギーに凝り固まった外務省を使いながらアメリカとの外交交渉を進めなければならなかったのだから、鳩山政権の弱体は一層深刻であった。」
この力学は、菅政権の脱原発の方針を巡ってもみられた。浜岡原発を止めたあとのバッシングはすさまじく、また、菅首相が福島第一原発の冷却水を止めたという虚偽情報が流れたが、それも官僚による策謀であったという。著者曰く、民主党の偽メール事件の際には全メディアがこぞってそれを信じた議員を非難したにも関わらず(のちに議員は自殺)、この虚偽情報については責任追及の声はメディアからは出てこない。
そういうものなのだろう。
それでは、私たちはどうすべきなのか。著者は、矛盾した政策を強弁する「強いリーダー」を支持してしまうような、あるいは、1か0かで判断してしまうような、有権者の未成熟をも問題とする。民主主義を見切ったように冷笑するのではなく、能動的に政治に関与すべきだということである。また、「より悪くないほうを選ぶ」ような、大人の現実主義を身に付けるべきだということでもある。
確かに、本書のオビにあるように、絶望して無関心を決め込んでは、せっかくの政権交代から何も得られないことになる。もっとも、やはり「現実的」でなく「調整能力」のない民主党を見限り、また旧来の政権与党支持に戻ったとしても、遠からずその愚かさに気付くであろうから、それも悪くないのかもしれない。著者は、「単なる批判政党」になった自民党の今後について、3つの可能性を提示している。おそらく(1)はムリ、(2)の舵取りもムリ、(3)はロクなことにならない。
(1) 小泉改革以前の穏健保守政党に戻り、国民各層の生活に配慮する路線
(2) グローバル化の流れに掉さし、経済界の利益を代表する路線
(3) 右派的ナショナリズムを追求するイデオロギー政党の道