張芸謀『初恋のきた道』(1999年)を観る。
これはチャン・ツィイーの顔のために作られたような映画である。初々しい笑顔やためらいの表情も、逆光での輝く髪の毛も、機織機越しのちょっと官能的な顔も、ただただ魅力的だ。感情を押しとどめられず走り続けるツィイーを捉えるカメラもまた良い。
もちろん演出もさすがのきめ細やかさ。急逝した父のもとに駆け付けた息子に、男ふたりが同時に話しかける描写。想いに苦しむ娘(ツィイー)のために、割れた食器を修繕してもらうインターミッション。亡くなった父の教え子たちが大勢集まり、遠路はるばる棺を運ぶ描写(ここで、不覚にも泣いてしまった)。
このようにヒューマニスティックな作品を観たあとに、日中のいざこざを思い出すと、やり切れない気持ちになる。対人ではなく対抽象の関係をいびつに肥大化させているのは誰だ。