「談志が死んだ」のは去年の11月。神保町ブックフェスティバルで、立川談志の署名が入った『酔人・田辺茂一伝』(講談社、1994年)を手に入れた。
田辺茂一は紀伊国屋の創始者であり、大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)にも本人役で登場している。
談志は田辺茂一を師匠のように仰ぎ、銀座や赤坂や六本木をしょっちゅう飲み歩いたという(なぜか紀伊国屋おひざ元の新宿では飲まない)。どうやら、談志の弁によれば、田辺茂一は、謎めいた言葉を吐きつつ叫び、時に煙たがられていた人、しかし大きな人、であった。
ということは、『新宿泥棒日記』は、「偉い人」がちょっとふざけて出たのではなく、出てはみたもののその魅力や怪しさを充分に見せつけてはいない作品だということになる。そういえば、先日、山手線の中で「新宿泥棒日記」と書かれたTシャツを着た外国人(たぶん)の若者を見かけたが、それイイねどこで買ったの、とは訊けなかった。
談志は交遊関係や昔話を実にわかりにくく書いている。ざっくり言えば、独りよがりな内輪話と自慢話だ。石原慎太郎の如きとつるんで政界進出してみたりもしているが、何やら言いわけめいている。誰が反骨の人か、あほくさ。
ところで、デヴィ夫人を描いた、梶山季之『生贄』という本があるそうだ。ぜひ探して読んでみたい。実は、今年インドネシア人と話をするまで、デヴィ夫人のことをインドネシア人だと思い込んでいた。
●参照
○大島渚『新宿泥棒日記』