Sightsong

自縄自縛日記

モフセン・マフマルバフ『独裁者と小さな孫』

2016-01-01 23:13:56 | 中東・アフリカ

新宿武蔵野館にて、モフセン・マフマルバフ『独裁者と小さな孫』(2014年)を観る。

どこかの国。独裁政治の終焉など夢にも想像しない大統領の老人と、我儘な一族。かれらは突然の民主革命でその地位を奪われる。妻や娘を外国に逃亡させるが、大統領と、かれになつく孫だけは国に残る。甘い見通しだった。ふたりは身をやつし、逃亡を続ける。耳に入ってくる声は、大統領への憎しみばかり。それすら知らないで、のうのうと権力の座にあったのだった。やがて反乱兵たちに見つかり、最期が訪れる。だが、暴力を持って報復することは誤りだと叫ぶ男が割って入り、ではどうすればよいのかと問われ、男が発した答えとは。

寓話的な政治物語である。暴力の連鎖を断つために、どのような倫理を引き出し、現実的な解を見出すか。マフマルバフにより最後に提示される解はあまりにも曖昧だが、だからこそ示唆的で、こちらの思索を促してやまないものではないか。

●参照
モフセン・マフマルバフ『カンダハール』(2001年)
モフセン・マフマルバフ『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(2001年)


アンソニー・ブラクストン『Ao Vivo Jazz Na Fabrica』

2016-01-01 12:33:32 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンソニー・ブラクストン『Ao Vivo Jazz Na Fabrica』(Sesc、2014年)を聴く。

Anthony Braxton (as, sopranino sax, electronics)
Taylor Ho Bynum (cor, flh, bass tp)
Ingrid Laubrock (ss, ts)
Mary Halvorson (g)

思わずありがとうと言ってしまいそうなメンバーによる、ブラジルでのライヴが2回分。素晴らしくて何度も聴いている。

ベースやドラムスがおらず、「上物」だけによる会話宇宙である。ブラクストンは十年一日の如くピロピロピロピロと吹き、その都度、ドゥルーズ=ガタリ的に新たな数列を生み出してみせる、この突破力。テイラー・ホー・バイナムはきっちりしながら浮遊する、イメージとしては空飛ぶ畳の部屋に正座するトランぺッター。イングリッド・ラウブロックはこの中で分が悪いが、それは彼女のサックスが周囲を懐に呼び込み包むようなものだからでもある。

こうなると全員がキーなのだが、敢えて言えば、不思議宇宙を創出しコントロールしている人は、メアリー・ハルヴァーソンではないか。無数のスワロフスキーを散りばめたように煌びやかであり、ときにはライ・クーダーのようでもあり。

●アンソニー・ブラクストン
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
ブラクストン+ブロッツマン+バーグマン『Eight by Three』(1997年)
アンソニー・ブラクストンはピアノを弾いていた(1995年)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)
ムハール・リチャード・エイブラムス『1-OQA+19』(1977年)
アンソニー・ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』(1973年)
デイヴ・ホランド『Conference of the Birds』(1973年)
ジャズ的写真集(2) 中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』

●テイラー・ホー・バイナム
Book of Three 『Continuum (2012)』(2012年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)

●イングリッド・ラウブロック
イングリッド・ラウブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
ヴィンセント・チャンシー+ジョシュ・シントン+イングリッド・ラブロック@Arts for Art(2015年)
アンドリュー・ドルーリー+ラブロック+クラウス+シーブルック@Arts for Art(2015年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
ネイト・ウーリー『Battle Pieces』(2014年)
アンドリュー・ドルーリー『Content Provider』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
トム・レイニー『Obbligato』(2013年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
クリス・デイヴィス『Rye Eclipse』、『Capricorn Climber』(2007、2012年)
イングリッド・ラブロック『Who Is It?』(1997年)

●メアリー・ハルヴァーソン
イングリッド・ラウブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』(2014年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
『Plymouth』(2014年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
イングリッド・ラウブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
イングリッド・ラウブロック『Zurich Concert』(2011年)
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(2013年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』(2011年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)


二コラ・フィリベール『かつて、ノルマンディーで』

2016-01-01 10:27:20 | ヨーロッパ

二コラ・フィリベール『かつて、ノルマンディーで』(2007年)を観る。

19世紀、フランス・ノルマンディー地方の農村において、悲惨な事件が起きた。ピエール・リヴィエールという若者が、自分の父親に対する酷い仕打ちを理由に、母親、妹、弟を鉈で斬殺した。

この「ピエール・リヴィエール事件」について、ミシェル・フーコーを中心とするチームが分析を行い、事件の因果関係の語られ方に関していくつものパラレルな言説体系・権力体系があることを示した(ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』、1973年)。それを基にして、同じ地方の農民を俳優として作られた映画が、ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)であった。映画は、フーコーが示すパラレルな言説の複数性を形にできず、裁く側と裁かれる側とを見せたに過ぎず、傑作とは呼べないものだった。

しかし、30年後、この別の映画によって、また別の言説があらわれる。撮る者と多数の撮られる者によるものである。撮る側もたいへんな苦労をしていた。フィリベールはアリオ映画の助監督でもあり、実の父が演じた箇所がカットされたという心残りもあって、再び、ノルマンディーに足を運んだ。

かつて俳優となった農民たちは、人生に映画という事件を刻まれていた。甘美な記憶として語る者も、複雑に顔を歪める者もある。人生を見つめなおすきっかけになったと言う者もある。日常生活では忙しくてあまり言葉を交わさない人たちが、顔を見合わせる。そして、肝心のピエール・リヴィエール役は、その後も俳優を志してジャック・ドワイヨンの作品に出演したりもするが、映画界が肌に合わず、神父になってハイチに住んでいた。何ということだろう。

あらたに不思議なパラレル世界を示してくれるという点で、この映画は傑作。

●参照
ミシェル・フーコー『ピエール・リヴィエール』(1973年)
ルネ・アリオ『私、ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』(1976年)