Sightsong

自縄自縛日記

マーク・ジュリアナ@Cotton Club

2016-01-03 23:49:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

丸の内のコットンクラブに足を運び、マーク・ジュリアナの「Jazz Quartet」を観る(2016/1/3)。

Mark Guiliana (ds)
Shai Maestro (p)
Jason Rigby (ts)
Chris Morrissey (b)

1時間のスーパービーツ。従来のジャズドラマーが、大きなうねりのようなノリや手癖足癖で個性を表現していたのだとして、ジュリアナのドラミングはまったくそういった体育会系のあり方と異なっている。ひとりのドラマーが何本ものビートをパラレルに走らせ、デジタル的にそれらを随時組み合わせては提示し続ける感覚。汗をかかないドラミングとはよく言ったものだ。

ジェイソン・リグビーのテナーも熱くブロウするでもなく、ニュアンスによって味をつけながら、そのパラレルなビートの綾に入り込んでいく。そして、シャイ・マエストロのピアノは、やはり綾の中で、流麗な流れを創り出している。

誰のプレイを凝視し、耳を貼り付ければよいのか? 答えは明らかに「全員」である。1時間ずっと、耳と脳が踊らされ、笑い出しそうになってしまう。

●参照
マーク・ジュリアナ『Family First』(2015年) 
ダニー・マッキャスリン@55 Bar(2015年)(ジュリアナ参加)
ダニー・マッキャスリン『Fast Future』(2014年)(ジュリアナ参加)
ダニー・マッキャスリン『Casting for Gravity』(2012年)(ジュリアナ参加)
シャイ・マエストロ@Body & Soul(2015年)


中野晃一、コリン・クラウチ、エイミー・グッドマン『いまこそ民主主義の再生を!』

2016-01-03 14:13:56 | 政治

中野晃一、コリン・クラウチ、エイミー・グッドマン『いまこそ民主主義の再生を!』(岩波ブックレット、2015年)を読む。

2014年1月18日に上智大学で行われたシンポジウム「グローバル時代にデモクラシーを再生できるか?」の発言録を加筆・修正したものであり、三氏の発言はとても示唆に富むものとなっている。上のリンク先のような概要よりも、もちろん、本書によって発言を追い、反芻すべきものだ。

特に重要なこととして、
●投票というシステムの下で負けないよう、違いがあっても、個人、社会運動、政党が「お互いを必要としている」ことを認識し、柔軟に手を組まなければならない。(コリン・クラウチ)
●メディアは国家の手先であってはならない。ジャーナリストは権力を取材すべきであって、権力のために取材すべきではない。(エイミー・グッドマン)
●ナショナリズムや右派的なものとセットで稼働する新自由主義とは、経済秩序の創出と維持を追及する大方針である。これに抗うのは個人としての論理でしかありえない。(中野晃一)
※このことを「大企業が儲けを追及して云々」と表現すると、仮想的をつくる陰謀論に容易に変化してしまう。

●参照
シンポジウム「グローバル時代にデモクラシーを再生できるか?」(2014年)
中野晃一『右傾化する日本政治』(2015年)


ベン・モンダー『Amorphae』

2016-01-03 09:33:06 | アヴァンギャルド・ジャズ

ベン・モンダー『Amorphae』(ECM、2010、13年)を聴く。

Ben Monder (g)
Pete Rende (syn)
Andrew Cyrille (ds)
Paul Motian (ds)

2010年のセッション2曲が故ポール・モチアンと、2013年の4曲がアンドリュー・シリルと、そして最初と最後の2曲がソロ。ふたりの偉大で個性的なドラマーが登場することに驚くが、確かにビル・マッケンリーのグループにおいて共演していたのだった。モンダーも演奏したマッケンリーのヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴのあと、マッケンリーにそのことを訊くと、「ふたりの偉大なドラマーと共演できて幸せだ」とだけ話した。

とは言え、敢えて問わなくてもふたりの個性は際立っている。ここでも、モチアンは他の共演者をその柔軟な鋼のバネの中に呼び込むように伸縮するし、シリルは武道の達人のように静かに見事な演武をみせる。

ベン・モンダーは、ビル・フリゼールやヴォルフガング・ムーシュピールのように、静かに立ち上って浮遊し、静かに去っていくタイプのギタリストだと勝手にカテゴライズしていた。もちろんそれはそうなのだろうけど、思索的に重ねていくことによる重層的なサウンドが印象的。もっと注目して聴いていきたい。

●参照
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
トニー・マラビー『Paloma Recio』(2008年)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)


DJスプーキー+マシュー・シップの映像

2016-01-03 08:49:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

『DJ Spooky & Matthew Shipp Trio』(Jacques Goldstein、La Huit、2009年)を観る。

DJ Spooky (turntables)
Matthew Shipp (key)
William Parker (b)
Guillermo E. Brown (ds)

ジョン・ケージとサン・ラの共演盤を立て、ターンテーブルを操るDJスプーキー。映像に挿入されるインタビューにおいて、「すべてのものは引用だ」と告げる。その一方で、マシュー・シップはフリージャズの歴史やバックグラウンドを語り、フリージャズの「サイコロジカル・スペース」を「ライフスタイル」であり「世界観」であると説く。

音楽もジャズもフリージャズも、その言葉の位相内にある限り、「すでに語られたもの」であらざるを得ない。それを引用と見なす者と、歴史として一身に背負う者とが、なにものかを突破すべく演奏を繰り広げる。シップはドラマチックな世界に戻ってこようとし、DJスプーキーは世界を相対化しようとする。大きな身体をまるめてベースを弾き続けるウィリアム・パーカーも、突破者の如く、相をひたすらに擾乱する。何も起きないことは最初からわかっているが、何かが起きるのではないかと1時間目と耳を貼り付けてしまうプロセスである。

ところで、この「Freedom Now」のDVDシリーズからは、サインホ・ナムチラックの映像や、ワダダ・レオ・スミスのゴールデン・カルテットの映像が出ている。他にもシルヴィー・クルヴォアジェの映像なんかもあったりして興味津々なのだが、もうリリースをやめてしまったのだろうか。

●参照
ジョン・ブッチャー+マシュー・シップ『At Oto』