南青山の「ときの忘れもの」に足を運び、中藤毅彦写真展『Berlin 1999+2014』を観る。
『Winterlicht』(2001年)などに発表された写真群であり、1999年のベルリンを撮った作品はいくつも観たことがある。一方、同じ銀塩のゼラチンシルバープリントで焼かれた2014年の写真にあるベルリンは、明らかに、その15年前とは違うベルリンだ。陰鬱に底冷えのするような街、人間臭すなわち汚さの残る街ではなく、どこか小奇麗で、カラリとしている。
私の好みは古いベルリンである。それはもうない。ヴィム・ヴェンダースも、『ベルリン・天使の詩』(1987年)においてとらえたベルリンは、この世から消えてしまったのだとどこかに書いていた。
しかし、いずれにおいても、焼き付けられた粒子がすなわち光の粒々となって、光り、また沈んでいる。これが他にない中藤写真である。
ひととおり観たあと、中藤さんと、金子隆一さん(写真史家)とのトークを聴いた。
○写真表現にはテクノロジーが密接にかかわっている。中藤さんが『Winterlicht』を出すとき、古いグラビア印刷を求めたがそれはすでに廃されており、そのかわりに、当時日本に1台だけ残っていた東ドイツ製の印刷機を使った(それはもうない)。黒がべったりとのる特性があったからこそ、『Winterlicht』が完成した。
○1920年代にライカという機械が登場したからこそ、スナップショットが生まれた。中藤さんはOM-Dも使っているが、これも、液晶画面のライヴヴューではなくファインダーがないと受け付けない。
○これが写真の身体性だ。ノーファインダー撮影も、経験値に基づくものであり、AFではなかなか成り立たないものだった。
○中藤写真は光の写真、それは西日の光、夜の光。真実などではなく光を写している。また、都市も中藤写真も、街並みのパースペクティヴ、人のクローズアップ、モノから成る。それを撮る中藤さんは、写真集のタイトルにもなった「Street Rambler」なのだった(林忠彦賞を受賞)。
○また、中藤写真の光は北の光でもある(実際に、東南アジアなど蒸し暑いところが大の苦手だという)。なぜならば、中藤さんの原風景は、幼少時に訪れた北海道だからであり、とりわけ、納沙布岬から望遠鏡で視た歯舞・色丹という「外国」だからであった。
○中藤写真は、かつて、森山大道のエピゴーネンであると批判された。森山写真も、ウィリアム・クラインという先達なしには生まれなかった。しかし、同じであり、違っている。たとえば、ジャズの「ハードバップ」について語りながらも、ジョン・コルトレーンとマイルス・デイヴィスが明らかに異なっているように。
○このような批判は、写真文化を個人にしか帰着させなかった「観る者のリテラシーのなさ」から来ていた。いまになって、デジタルの普及、インターネットの普及、海外からの視線・批評の輸入によって、ようやく理解が深まってきたといえる。
○日本の写真には独特の大河のような流れがある。表現自体は、他国に比べ、その特性が際立っている。一方、日本の写真批評はお粗末な水準だ。
時代に逆行するかのように日本写真の特異性を語り、単純な相対化を拒否するおふたりの発言に少し驚いたのではあったが、それも、確かにガラパゴスであった日本の写真文化が持ちえたものか。
●参照
中藤毅彦『STREET RAMBLER』
中藤毅彦『Paris 1996』
中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー