齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(JABARA、1999年)を聴く。
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Chon Chul-Gi (changgo)
Michel Doneda (ss)
Noriko Tsuboi 坪井紀子 (17strings koto/ching)
Zai Kuning (voice/harmonium)
いつものことだが、まずは齋藤徹さんのコントラバスの音に驚く。旋律よりも撥音が主役となったような演奏であり、パーカッションそのものだ。
「越境」ということばが「国境」の存在を前提としたものだとすれば、ここで実現している音楽は最初から「越境」などではなく、「広がり」が夢想されたものだ。それが例えば、テツさんがキーワードとして使ってきた「黒潮」であったり、「ユーラシア」であったりということなのかも知れない。
それにしても、「ユーラシアンエコーズ」というプロジェクト=試みでも垣間見させてくれた、さまざまな背景を持った音楽家たちが持ち寄り重ね合わされる色合いに魅了される。チョン・チュルギのチャンゴは朝鮮半島の精神世界と糸がつながっているようだし、坪井紀子さんの十七絃箏は決して「私たち」ではなく皆と並列の世界を提示する。ミシェル・ドネダのソプラノサックスは、まるで金石出の笛のようでもあり、これこそが国籍でのみ語ることの無意味さを証明しているようだ。
そして最後の2曲において、ザイ・クーニンがハルモニウムを弾き、震え絞り出すような声で歌う。この静寂感と寂しさと佇まいは、内臓の奥に沁みこんでくるようだ。先日の六本木での個展(『オンバ・ヒタム』)で話した氏は、どこか遥か遠くを視ているようで、過剰に人間的と思えるほどの親しみを提供してくださって、また、明らかにとても知的で自覚的な人だった。来年のヴェネチア・ビエンナーレでは、数十メートルものあばら舟を展示するそうであり、おそらく行くことはできないが体感してみたいと思うのだった。
●参照
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ザイ・クーニン『オンバ・ヒタム』@オオタファインアーツ(2016年)
ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』(2013年)
ロル・コクスヒル+ミシェル・ドネダ『Sitting on Your Stairs』(2011年)
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』(1994年)