病院を抜け出して、竹橋の近代美術館にて、山田正亮の回顧展を観る。
山田正亮といえばストライプである。ところが、それはほとんど1960年代において集中して描かれていたことがわかる。
初期の静物画は、濁った緑や茶が使われ、次第にバランスを意図的にか考慮しない抽象へと変化してゆく。抽象とは言っても、その後のさらなる変貌を予告するような、色のフィールド分割である。デュビュッフェを思わせる混沌の色分割、また矩形の画を経て、ストライプの時代が来る。
「会場ガイド」の文章によれば、二次元のストライプだけでなく、塗り重ねられた深さ方向にもストライプが現れることが特徴なのだという。確かに、実物を凝視すると、深さ方向に視線が行きつ戻りつする動きを感じる。しかし、それだけではない。個々の色を明確に分割しているものも、溶け合っているものもある。濁って汚いほどに色同士が融合しているものもある。深さ方向への動きが感じられず、二次元の移動を主とする作品もある。絵具にマテリアルを混ぜたことによって、逆に表面にのみ意識が絡めとられるものもある。おそらく、これは何年にも渡る狂気とも言える実験だった。
70年代に入り、色が淡くなり、各々の色フィールドが広くなる。画家が自らの色を発見してしまい、実験へと没入できなくなったのではないかと思えた。
●参照
空のストライプと山田正亮