座・高円寺で、『弁護士 布施辰治』(池田博穂、2010年)を観る。完成したばかりの映画の有料試写会である。会場はほぼ満員に近い。上映前、監督が壇上に登り、布施辰治は田中正造のDNAを受け継いでいるのだ、と語った。
映画は、人権弁護士と簡単に一言で済ませられない凄絶な活動を追っている。朝鮮における1919年の三・一独立運動を受けた独立宣言とその弾圧。1923年、関東大震災の後のデマによる朝鮮人虐殺事件。1926年、天皇暗殺を企てたとするでっち上げの朴烈事件。1928年、日本共産党大量検挙の三・一五事件。国家権力による暴力に対し、布施辰治は弁護により抵抗する。
これらが、日本政府とメディアとが連携して起こし続けた国家テロだったことも浮かび上がってくる。ところで、アナーキスト朴烈だが、帰宅して調べてみると、事件による死刑判決、恩赦での無期懲役への減刑、情婦の獄中での自殺、反共主義への転向、韓国への帰国と李政権下での重用、朝鮮戦争での北朝鮮軍による虜囚、北朝鮮の南北平和委員会の副委員長など、劇的な生涯であり興味深い。
映画には姜尚中が登場し、このように語っている。大文字の「国家」や「国民」といった目線ではなく、一人一人の有りようを認識していた人物であった。あまり知られていないが、現在に通じる先駆的な存在であった、と。