ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンの映像『Nusrat Fateh Ali Khan: The Last Prophet』(Jerome De Missolz、1996年)を観る。ヌスラットは1997年に48歳で亡くなったので、これは晩年の記録ということになる。パキスタン、イスラム教スーフィズムの歌、カッワーリーの歌い手である。
1時間のうち人前で歌っている時間はさほど多くなくて残念ではあるのだが、ヌスラット自身による語りや興味深い場面がいろいろあり、とても面白い。ヌスラットは常にハルモニウム(手漕ぎオルガン)を手元に置いて、600年続く音楽家の家系のこと、偉大な音楽家の父ウスタッドのこと、4人の姉のあとに生れたため甘やかされたこと、父は医者かエンジニアにさせたがったが自らの血が音楽を選んだのだということなどを話す。ときにハルモニウムとともに歌ってみせるカッワーリーの声ははっとさせられる響きを持っている。
コンサートの歌には字幕が入っていないが、概ね、信仰や愛情についての歌詞だという。あるレコード店で、数人の男たちがヌスラットを口々に誉めたたえている。曰く、日本では若者がヌスラットを聴いている、彼らは歌詞が解らないが心に刺さってくると言うんだよ、それこそがカッワーリーだ、と。そうなのである。私もヌスラットの歌声をたまに聴いて素晴らしいと感じるが、それは歌詞によってのことではない。
97年に亡くなったあと、中村とうようによる追悼記事を読んで、ヌスラットの声に接することができなかったことをひたすら残念に思った。コンサートに行ったことがあるという人の話を聴くと、なおさらだった。この映像では、ヌスラットが、カッワーリーは予め決まった内容に従うわけでなく魂に触れるという点でジャズと似ている、と説きつつ、即興も行ってみせる。このときヌスラットの右肩には蠅がとまっている。私はこの蠅でもいい、肉声を聴きたかった。
ところで、パキスタンとインドの仲は昔も今も悪い。昨年訪れたインドでは、パキスタンのクリケット選手と恋愛結婚したインドのテニス選手サニア・ミルザへのバッシングがひどく、CMが次々に打ち切られたのだと聞いた。「なぜパキスタニと?、ってわけ」と。はじめて私がインドに行った2005年、夕食にと入った食堂ではハイデラバード・オープンの決勝戦を放映していた。優勝の瞬間はみんな興奮して立ちあがり拍手していた。サニアはルックスもよく、何となく好きになってしまった。それだけに悲しい出来事ではあった。
閑話休題。この映像にも、それを示す場面がある。先のレコード店では、別の男が、「インドは映画に勝手にヌスラットの音楽を使って儲けている、フェアじゃない」と罵っているのである。レコード店の男がいうインド映画が何を指すのかわからないが、あるコンサートの前説で、『最後の誘惑』、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』、『女盗賊プーラン』、『デッドマン・ウォーキング』と4本の映画音楽も担当し・・・と紹介されるものの、インド映画である『女盗賊プーラン』だけにはその後何も言及されない。(もっとも、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』ではレイプシーンにヌスラットの声をかぶせるなど、音楽の使い方がひどく、ヌスラット自身が傷ついたと呟いている。)
他のコンサート映像中心のDVDも探してみたい。