中沢啓治が自身の被爆体験を漫画化した名作、『はだしのゲン』。私は中学校に一揃い置いてあったのを読んだ。
先日、フジテレビでリメイクされたドラマ(→リンク)の出来は、思ったよりよかった。原爆投下シーンのCG映像で、火が人々を焼いていく様子は特撮遊びではなく、この兵器の凄絶さを誰にも示すものだったと思う。
『はだしのゲン』は、これまでに何度か映像化されている。いい機会なので、旧作をレンタルしてきた。
原爆投下後までを描く『はだしのゲン』(1976年、山田典吾)は、ゲンの父を三國連太郎、母を左幸子が演じている。ゲンの父は戦争に公然と反対することで、地域で非国民呼ばわりされる。竹槍訓練をナンセンスだと喝破するシーンなどでは、「芋ばっかり食っちょるから」と言って堂々と屁をひりまくっている。立小便もする。そのような、戦争への無批判な軍民一体化を笑い飛ばす演出と、それでも威厳を失わない三國の存在感が、今回のドラマの中井貴一を上回っていた。
竹槍訓練での「屁国民」である三國、火に巻かれる三國、左幸子とゲン
戦後を描いた続編は2つある。同じ監督の『はだしのゲン 涙の爆発』(1977年)と、『はだしのゲン PART3 ヒロシマのたたかい』(1980年)だ。正直言って、映画としての緊張感をどんどん失い、集中して観ていられない。
しかし、『涙の爆発』で描かれた、集団の差別と偏見のありようにはみるべきものがあると思った。ゲンの母役は宮城まり子。「ねむの木学園」を発足させた後の映画であり、多くの孤児たちを自分の子どもとしてうけいれるシーンに、明らかに反映されている。ゲンの顔は、三部作のなかではこの『涙の爆発』が、漫画に近い感じだ。 『ヒロシマのたたかい』では、草野大悟、風吹ジュン、財津一郎、にしきのあきら、ケーシー高峰、タモリ、赤塚不二夫など配役は面白いが・・・。
漫画に似た雰囲気のゲン、差別丸出しの住民に対し火傷を見せる石橋正次、宮城まり子
米兵のガムを食うゲン、犬肉を屠る草野大悟、米兵の間でふざけてみせるゲン
アニメの『はだしのゲン』は、第一部(1983年)、第二部(1987年)の2本がある。両方良い作品だと思うが、ここでのアニメという手法は、本当の酷さを丸めてしまっているのではないかと感じた。それでも、ゲンの母が家族を亡くすときに錯乱して笑ってしまうシーン、焼け野原で二次的な被爆にあった兵隊が知らずに血便を垂れ流してしまうシーン、顔や手の火傷痕のことをいじめられている少女を元気付けるため、ゲンが火傷痕をペロペロ舐めるシーンなどはドラマにも映画にもなく、アニメでなければ表現できないところでもある。第一部は、ジブリ作品の美術を多く手がけた男鹿和雄が参加しているところも嬉しい。
第一部のゲン、第二部のゲン(原爆ドームの上で鳩の卵を食う)、写真を撮るGHQ
ところで、この8月に、「ヒストリーチャンネル」で『マンガが戦争を描く時』というドキュメンタリー(→リンク)が放送された。中沢啓治氏がさまざまなエピソードを語っているが、ゲンが東京へ出て行く「続編」が構想されていたことは初めて知った。中沢氏は、「それを描いてどうなるのか、ゲンは皆に想像してもらうものではないか」というようなことを語った。
だから、ゲンはいつ作られても、子どもだけでなく、私たち自身にとっても心に残る作品になりうるのだろう。『ヒロシマナガサキ』を撮ったスティーブン・オカザキも、自分の娘の名前に、ゲンの妹の名前トモコをつけているそうだ(『婦人之友』2007年8月号に記事がある)。
「ゲン」続編の書きかけ
病気、事故等
その中で一番最悪なのが戦争でその最悪の最悪が原爆。
三国連太郎の中沢一家が何故か好きだった。ゲンもシンジもいい兄弟だった。
懐かしい映画ですが左幸子さんも他界され又悲しくなりました。
平和な一家を引き裂いた戦争が許せない。
倒壊した家屋の中でお父さんが英子はもうダメじゃ。はよう逃げと言うシーンを30年過ぎた今思いだして号涙するんです。小学4年の時の映画でしたが反戦映画としてはグロ過ぎずに良い映画で遠い懐かしさを感じます。
リアルタイムで観られたのですね。三國の版は、役者がそろって、適度なユーモアもあって良い映画ですね。