石原吉郎『望郷と海』(1972年)を再読、この機会に野村喜和夫『証言と抒情 詩人石原吉郎と私たち』(白水社、2015年)も読む。
シベリアに抑留された石原吉郎は、状況の苛烈さのためにことばの依拠する意義を失い、解放されてからことばを再発見せざるを得なかった。ことばを失ったのではなく、ことばを回復するために沈黙したのだった。また、その過程は証言ではなく詩的言語による表現であった。このことは野村さんが引用する石原吉郎のエッセイの一文にこわいほどに反映されている。
――― 詩は不用意に始まる。ある種の失敗のように。
ひとまずは回復に成功したのも、石原吉郎が単独者であり、かつ他者に開かれていたからでもあった。それでもかれはアルコールに依存し、精神を病み、緩慢な死を選んだ。そしてこの野村さんの思索は、極限をみた詩人だけでなく、詩を読む者の内奥も掘り下げている。