行友太郎・東琢磨『フードジョッキー その理論と実践』(ひろしま女性学研究所、2009年)。新宿の「模索舎」で何気なく手に取ったら、その場で頭をやられてしまいテイクアウトしてしまった。
別に、サブタイトルにあるような「理論」の本などではない。グルメ本などでもない。生きることは食べること、「生きる」には愉悦も苦悩も誤解も矛盾も無意味も害毒もすべて含まれているから、「食べる」にも愉悦も苦悩も誤解も矛盾も無意味も害毒もすべて含まれている。従って、いわゆるジャンクフードさえ当然のように受け容れている。
ただ、ここでは権力が徹底して拒否されている。レシピなる存在さえ、権力のように感じられてくる。
章ごとに、レシピとは言えないようなレシピが紹介され、BGMも付記され、そして雑談。これがいちいち愉快である。「「明かしえぬ共同体」煮込み」って何だ?「存在者が存在から離脱する鍋」って何だ?
「シャリバリ風貴族鍋、あるいは、万国のマメ、団結して散会せよシチュー」では、オーネット・コールマン『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』をBGMに、マメの話を始め、いつの間にかシモの話に突入する。それでも食欲には火がつくばかり。正月明けに体重計に乗って猛省したばかりなのに、これでは困る。
それにしても、広島の「イカ天」や「あぶらかす」のことなど知らなかった。数える位の回数しか行ったことがない場所だが、どうにかして潜入できないものか。とりあえずは、本の最後でポロリと触れてある店がわが家の近くにあるチャンポン屋であることを、とある筋から確認したので、近々また晩飯を食べに行くつもりなのだ。
ことしもblog記事を楽しみにしております。
ところで、最後に触れておられるチャンポン屋
というのは浦安駅の近くですか?