翌朝のジャカルタ行きの荷造りを急いで済ませてしまい、NHKで放送された『ドキュメンタリードラマ・基町アパート』を観た(2013/8/24放送)。
広島の戦後復興事業として、1969-78年に建設された基町アパート。東京に住む龍太は、母親の仕事の都合で、2か月間、基町アパートの祖父のもとに預けられる。その間、小学校も転校。はじめて会う祖父は、中国語しか話せない人だった。何も事情を知らない龍太は、仰天し、反発する。しかし、隣の同級生の中国人・リンリンや、町内会長のおじさんや、先生に心を開いていくうちに、龍太は、自分のルーツについて知りたいと思うようになる。
龍太の祖父は、満州に残された残留孤児で、中国人と結婚し、龍太の母が生れていた。戦後しばらく経ってから帰国、家賃が安い基町アパートに住むようになる。もう日本語を覚えることなど難しく、孤独感を覚え続けた生活だった。そして、基町アパートには、そのような事情を抱えた帰国者が多いというのだった。
一方、基町アパートに住む、よそよそしいお婆さん。龍太も気にしていたが、原爆で被曝し、火傷のある側に人が立つと耐えられないという心の傷を抱える人だった。
龍太の先生は被曝者三世。龍太も残留孤児三世。直接には持たない戦争の記憶を、心の傷を持つ当事者から、乱暴にではなく、シェアしてもらいたいとの思いが込められていて、いいドラマだった。その一方で、あくまで「戦争に巻き込まれた」という被害の立場から視ており、加害の立場が盛り込まれていないことが残念ではあった。
それにしても、基町アパートのさまざまな姿には驚かされた。先日、記者のDさんの案内で、商店街や、下を見渡せるようになっている空中の渡り廊下なんかを歩いてみたのではあったが、実はもっと画期的な構造なのだった。これではまるで空中楼閣である。(番組のサイトに詳しい >> リンク)
龍太の通う学校には、『はだしのゲン』が置いてある。松江市の検閲圧力事件より後にこのドラマが撮られていたら、どうなっていただろう。戦争の実相を隠蔽しようとする誤った考えは、ドラマで描かれた記憶の共有とは正反対に位置する。
恥ずかしながら基町アパートの存在を知りませんでした。
中国残留孤児として帰国し、長年日本に住んでいながら言葉の壁から日本社会に馴染めず、一種のコミュニティのような形態を保ちながら生活しているのですね。
実際に行ってきたのですか。ドラマとはまた違った知識が得られそうですね。
このアパートの成り立ちについて、詳しい本などあれば読んでみたいところです。