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自縄自縛日記

権赫泰・車承棋編『<戦後>の誕生』

2019-05-04 10:23:32 | 韓国・朝鮮

権赫泰・車承棋編『<戦後>の誕生 戦後日本と「朝鮮」の境界』(新泉社、2017年)を読む。

本書には7つの論文が収められている。

日本共産党が戦後すぐに掲げたヴィジョンを後退させ、国籍のしばりにより排除された朝鮮への視線が希薄になってゆき、「民族」や「戦争責任」への問いが「普遍主義」へと変貌していったこと。

丸山眞男にとって、帝国日本の対外的膨張よりも、国内のファシズムの構造こそが関心の対象であったこと。

「敗戦」という神風は民主主義や平和主義といった普遍的価値の獲得に役立ったが、それはやはり戦争責任や加害への思想を深めることにつながらなかったこと。

戦後の日韓の交渉では、強制連行の戦争犯罪としての断罪にあたり、「応募」という実質的な官斡旋が問題の対象から外され、戦争犯罪が矮小化されてしまったこと。また、1942年から、企業による動員が朝鮮総督府による動員へと一元化されるのだが、それにより、企業さえも被害者の側に立ってしまったこと。

「平和憲法」において外国人が意図的に排除されたこと。また「公共の福祉」が労働者の抑圧などに利用されたこと。

小松川事件(1958年)において、日本の知識者たちの視線は李珍宇という個人の問題から普遍的な問題へと移りがちであったこと。また大島渚『絞死刑』(1968年)はすぐれた映画でありながら、陳腐なステレオタイプの韓国人女性を登場させることで大島の政治ヴィジョンを完成させる側面も持っていたこと。

こうして読んでいくと、戦後日本の「平和主義」という普遍的な価値として高く評価されてきたものが、個々の問題を忘却することで成立してきたのだということがわかる。

●参照
橋本明子『日本の長い戦後』
伊藤智永『忘却された支配』
服部龍二『外交ドキュメント 歴史認識』
波多野澄雄『国家と歴史』
高橋哲哉『記憶のエチカ』
高橋哲哉『戦後責任論』
外村大『朝鮮人強制連行』
井上勝生『明治日本の植民地支配』
中塚明・井上勝生・朴孟洙『東学農民戦争と日本』
小熊英二『単一民族神話の起源』
内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』
李鶴来『韓国人元BC級戦犯の訴え』
植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』
尹健次『民族幻想の蹉跌』
尹健次『思想体験の交錯』
『情況』の、尹健次『思想体験の交錯』特集
水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』
『世界』の「韓国併合100年」特集


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