Sightsong

自縄自縛日記

豊かな東京湾

2007-06-12 23:17:28 | 環境・自然
小松正之『豊かな東京湾 甦れ江戸前の海と食文化』(雄山閣、2007)は、東京湾の自然や漁業の豊かさを紹介しつつ、特に干潟に大きく依存するアオギスを東京湾再生の「指標生物」的に復活させようという動きや、東京湾での捕鯨と「クジラ食い」の歴史を大きくとりあげた本である。

この著者が鯨についての記述に本の半分を割いているのには理由がある。小松氏は水産庁で捕鯨を担当し、国際捕鯨委員会(IWC)で日本代表も務めた人物であり、捕鯨推進に向けた著書が多い。そのため、書きっぷりとしても、鯨の食文化が豊かであること(外房・内房で最近でも続いている、ビーフジャーキーのような「タレ」など)、ヒゲや脂や骨を含めあらゆる部位を利用できることなど、江戸時代以降の日本文化としての紹介となっている。

私は、一般的に食べる魚のようにはすぐ旨く食べられないからといって、乱暴に「食べなくてもよいもの」と決め付けてよいとは思わない。そんな個人的な理由だけで何百年もの文化を軽んじる人は、他の大事なものにも思いをはせることなく捨て去ってしまえる人であろう。ましてや非捕鯨国との国際折衝で決められるような捕鯨制限など論外だと思っている。

しかし、この本で挙げられている、「鯨を保護しすぎたせいで近海の魚が激減した」という説明はちょっと中立的でない。グラフでは、主要魚種を積み上げて、1988年あたりの750万トン程度をピークとして、確かに2001年には200万トン程度にまで漁獲量が減少しており、一方ミンククジラ・ニタリクジラ・イワシクジラの数は着実に増えていることが示されているので、両者の関係はありそうに見える。しかし、よく見ると、漁獲量が減っているのはマイワシであり、他のサンマやカタクチイワシなどはそんなに減っていないか、増えてさえいる。

この関係は、今週の『週刊朝日』(2007/6/22号)でも紹介している。やはり情報の出所は水産庁と(財)日本鯨類研究所だ。調べてみると、マイワシの激減には、乱獲や、よくある長期的・地球規模の変動も理由として挙げられているようだ(例えば、東大海洋研究所『激減したマイワシ資源』参照)。

ちょっとこのあたりは、強引に過ぎるのではないか。鯨の食文化を守ろうとする意義はよくわかるだけに残念に思える。

小松氏は、東京湾の魚介類は食べても問題ないことを示そうとして、グラムあたりのダイオキシン類の等量を、東京湾の魚介類と地中海のクロマグロとを比較している。それによると、東京湾の魚貝は概ね1~2 pgTEQ/g未満、脂肪の多いアナゴ(ダイオキシンは脂肪に蓄積しやすい)で3.5 pgTEQ/g程度。それに対して地中海のクロマグロは10 pgTEQ/gを超えている。

ただ、これもちょっと調べればわかることだが、実際の測定値は東京湾の魚介類でも10 pgTEQ/gを超えていることはあるし、マグロでも10 pgTEQ/g未満の場合もある。つまり、概ねの傾向としては間違っていないが、示し方と示すデータが明らかに恣意的なのである。

おそらく東京湾の底泥に蓄積されたダイオキシン類は無視し得えず、また、日本の他の地域に比べれば概ね数値的には高いのだろう。しかし、この物質は長期的に人間に影響を与えるものであり、その許容量を元に魚介類に含まれても問題が小さいダイオキシン量が定められている。つまり、毎日江戸前のアナゴを食べ続けたり、毎日マグロの刺身を食べ続けたりすると、ひょっとすると閾値を超えて発癌などのリスクが無視できない程度になってくるかもしれない。そもそも、食事はバランスよく食べないと、ダイオキシン云々ではなくおかしなことになるのだ。

私も、近くで獲れたものを食べるということには賛成であり、現在の水準であれば問題ないと考えている。それどころか豊かな自然が、実はそこにある。それだけに、無理に説得力を持たせようとした図表の示し方が、ここでも残念に感じられる。

折角、羽田沖の埋め立てなどが底泥を巻き上げ、そこに蓄積されていたダイオキシンが新たな汚染源となる可能性についても指摘されているのに・・・。

問題点を挙げたが、この本で紹介されている「東京湾の豊かさ」は、本当にわくわくするようなものが多い。実はおすすめの本である(笑)。

現在東京湾で養殖されている海苔はスサビノリ(海の条件変動に強く、パリッとしてコンビニのおにぎりなどに向く)だが、昔ながらのアサクサノリを再生しようとする取り組みがあることを知った。私も早速問い合わせてみたが、なかなか売るというところは難しく、できるとしても来年のお楽しみのようだ。三番瀬の海苔の天日干しも、本格的にやっておられた船橋の方(中村征夫『全・東京湾』でも紹介している)が引退された今、本当の稀少品となっている。ああ、手に入れて炙って食べてみたい。

うちの近く、浦安の当代島稲荷神社には、江戸時代に、東京湾に迷い込んできた鯨を捕えてあぶく銭を得た漁師が、最後に寄進したのを記念した碑もあるそうだ。今度散歩のついでに見つけてみよう。



須田一政と石元泰博

2007-06-10 23:25:45 | 写真
説明を要しない両巨匠の写真展を梯子するという贅沢(笑)。
ただ、白黒フィルムの扱いは随分違う。

須田一政の写真展『千代田の松』(6/1-23、PAST RAYS)(→リンク)では、皇居脇の松の箱庭で匍匐前進し、権力、あるいは形骸化しながらなお東京の中心にある装置(ロラン・バルト)、の化物性をあぶり出している。松は接写すると鱗を持つ怪獣のように見える。それがごつごつヌルヌルと変な形をとる様は、安部公房の『デンドロカカリヤ』を思い出させもする。

ギャラリーの方とお話した。まるで芝が雪のようで(2・26?)、靄がかかったような幾つもの作品は、赤外フィルムを使ったものとのこと。また、粒子が目立つプリントなので、表面がざらざらの印画紙はやめ、フォルテの光沢のもの(最近、製造中止になったが・・・)を使っているということだ。いつものように、いくつもの技術を繰り出していて(赤外フィルム、反射望遠レンズ、ブレボケなど)、それがそれぞれに効果を上げている。

やはり期待通り、魑魅魍魎を皇居に出現させた。見る人が見たらどういう感想を抱くのだろう。



それから、田町で石元泰博の写真展『シブヤ、シブヤ』(6/4-30、フォト・ギャラリー・インターナショナル)(→リンク)。

赤城耕一氏のエッセイによると、キヤノンEOS-1Vを腰に構え、ノーファインダーで渋谷の交差点を徘徊していたということ、その成果がこの作品群ということなのだろうか。

ほとんどは、道行く人のTシャツなどの背中を被写体としている。凶悪なもの、全学連、意味のない英語、リキテンスタインなど様々だ。だが、とても心が温まるようなものではない・・・プリントは目に優しい素晴らしいものだったが。一点、女性の背中に撮影者たる石元氏の顔の影がはっきりと写っている。この控えめさと執拗な攻撃、きっと自分の悪意をも淡々と眺めつつ、時にはそれを敢えて発露しつつ、続けたのだろう。

今回の『シブヤ、シブヤ』ではない大判写真のシリーズもあった。渋谷や新宿の建物や交差点待ちの人々を、精細に記録したものだ。35ミリの作品と併せて観ると、本当に眼が悦ぶのがわかる。

駅から遠いが足を運ぶ価値は大いにある。



沖縄の海も山もクニ(日本)のものかッ!!

2007-06-10 00:43:27 | 沖縄
辺野古で直接反対の行動をされている方々の発言があるので参加してきた(2007/6/9)。

沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック主催、イーストステージいけぶくろ。椅子はたぶん200席くらいあったが、立ち見が出たので通路やステージ上で多くの人が体育座り。



実際には、朝から急に、那覇防衛施設局が機器設置を再開するというので、平良夏芽さん、安次富浩さんの両名は辺野古にとどまらざるを得ず、電話を通じての発言となった。

また、急遽、本永貴子さん(なはブロッコリー)がお話をされた。

●5月以降の辺野古の記録映像(『辺野古の闘いの記録』)
海上保安庁の面々に対して、平良夏芽さんが「キャンプシュワブから飛び立った飛行機がイラクの子どもたちの命を奪った」「人の命を守りたいから保安官になったのではないのか」「国は国民の命のことなど考えていない。国のための行動というのは理由にならない」と直接言葉をぶつけているのに動かされた。また、防衛省内部資料が示され、この事前調査の開始が当然のように明記されていることの理不尽さがアピールされた。

●今朝(2007/6/9)からの現地の写真とともに、安次富浩さん、平良夏芽さんの電話を通じた発言
今日の事前調査のための行動はほとんど止めたが、今後も続くことが報告された。自衛隊が住民抑圧・環境破壊・戦争推進に一方的に加担していること、これは新たな「琉球処分」であることがアピールされた。また、ゴムボート購入など活動のためのカンパが必要であること、7月の参議院選挙で比例区枠に山内徳信さん(元、読谷村長)を送り込むことが必要との発言があった。なお、会場でのカンパは26万円以上になったそうだ。

●本永貴子さん(なはブロッコリー)による、やんばるのヘリパッド増設問題に関する報告
現在の北部訓練場でのキャパ(米軍のグリーンベレー)は150人×2週間程度だが、ヘリパッド増設により、1000人×1ヶ月規模にまで増えうるとのこと。高江などの住民にとっては、道端に兵士が突然現れうる(森に境界はない)ので、女性や子どもに特に脅威であること、無灯火のヘリが訓練をしており精神的にも実際も危険であること、また、ここでもヘリパッド増設に関わるアセスが杜撰極まるものだったことが示された。
生活に基づく実態であるため、説得力がある。



●山内徳信さん(元読谷村長、今年参院選に出馬)
本土の「変なヤツ」たちが、ゴーマンに勝手なことを進めていることへの憤りとともに、命こそが大事(命どぅ宝)であり戦争のための基地などは要らないこと、「島ぐるみ」ではなく「国民ぐるみ」「国際ぐるみ」の運動こそが大事だとのアピールがなされた。
実際、東京の集会でも、集まっている人々が「沖縄の人々」であることを前提としているのか?と思わせられたことがある。東京であれどこであれ、この問題意識に共鳴しうる人々の声を拾うためには、まずは閉鎖性があることの意識が必要ではないかと思う(部外者の勝手な言い分だが、部外者の声を集めないといけない)。



●その他、WWFの花輪さんなど何人もの方の発言

花輪さんの、「環境を守ることは、すなわち人権を守ることであり、また平和を守ることだ」との発言に共感を覚えた。



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今号の『週刊金曜日』によると、ジュゴン保護に向けた署名、1432筆が5月28日に那覇防衛施設局に提出されたとのこと(浦島悦子氏報告)。それに対し、施設局は「2014年までに建設するためにできることをやっている」と応対したそうだ。しかし、署名は力を持つに違いない。

→ 『ジュゴンを守るための環境アセスを!』

※2007/6/10 0:40現在、1664名にまで増えている。
今後もたまり次第提出するということだ。
英語だが名前をローマ字で入れて(匿名希望ならAnonymousにチェック)、次のページで必須項目(required)に記入するのみ。名前(または匿名)とメッセージのみ公表される。画像も可。

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NHKスペシャルで沖縄 よみがえる戦場 ~読谷村民2500人が語る地上戦~が放送される。2005年の再放送のようだ(見ていない)。
2007年6月23日(土)午後1時~1時52分 NHKのBSハイビジョン 。
地上戦の様子、「集団自決」の説明など注目したい。本放送から2年も経つと、言葉の使い方や説明に違和感を覚えるかもしれないが。

クセノンで撮る旧江戸川と境川

2007-06-09 08:08:15 | 関東

シュナイダーの代表的な標準レンズ、Xenon 50mm/f1.9

アルパにも供給されていたようで、大竹省二氏が『レンズ観相学』でも採り上げている。曰く、f4でシャープとなり、f5.6で完璧な解像力を示す。

これはそのアルパ用と同じものと考えられるM42マウントレンズであり、エディクサ用の標準レンズとなっていた。そのため、アルパ用はALPA-XENON、エディクサ用はEDIXA-XENONと刻印されている。M42マウントのものは、珍品と言うほどではないが、ツァイスイエナ製のレンズなどと比べると、市場に出回る量はたいへん少ない。

使ってみると実際にシャープであり、色のりも良いため気に入っている。


旧江戸川 Voigtlander Bessaflex、Edixa 50mm/f1.9、PLフィルタ、Velvia 100、ダイレクトプリント


土手 Voigtlander Bessaflex、Edixa 50mm/f1.9、PLフィルタ、Velvia 100、ダイレクトプリント


釣り船屋 Voigtlander Bessaflex、Edixa 50mm/f1.9、PLフィルタ、Velvia 100、ダイレクトプリント


境川 Voigtlander Bessaflex、Edixa 50mm/f1.9、PLフィルタ、Velvia 100、ダイレクトプリント


旧江戸川 Voigtlander Bessaflex、Edixa 50mm/f1.9、PLフィルタ、Velvia 100、ダイレクトプリント


旧江戸川 Voigtlander Bessaflex、Edixa 50mm/f1.9、PLフィルタ、Velvia 100、ダイレクトプリント


交通事故多発

2007-06-08 08:27:33 | 政治

2007年6月7日早朝、市川市相之川3丁目の交差点で事故があった。
県道を右折しようとしたバイクと、自動車との衝突、さらに歩道に乗り上げて歩行者に突っ込んだらしい。
今回は誰も亡くならなかったが、この県道では、今年に入ってからもう2件の死亡事故がおきている

千葉県警察のウェブサイトから、交通事故の大きな地図を作ってみたので参照していただきたい。
たしかに県道沿いの事故は多い。

私は以前から、相之川の大きな交差点と、当代島の三叉路は「歩車分離信号」にしてほしいこと、さらに島尻の三叉路には信号を設置してほしいことを、千葉県警察のウェブサイト、メール、電話を通じて何度となく要望を出してきた。
反応は、まあ、ここには書きたくないような腹立たしいこともあった。

歩車分離信号にするだけでは良いということでは、もちろんないと思う。
警察のいうように、渋滞が起きてしまうことがあるだろう。また、渋滞の結果、他の道路に自動車があふれ、他の場所での事故を誘発することもあるかもしれない。

しかし、クルマと歩行者は、どこを押してどこを引くという問題ではないのである。
どの場所でも歩行者=弱者の安全を最優先する、そのために、歩車分離信号も、安全な歩道も、それから自転車道も、設置すべきだと思うのだ。

その意味では、クルマ社会を押し戻すということになる。ただ、クルマにとっても当然交通事故を起こさないような交通体系になっているほうがよいし、自分が歩行者になったときには安心して歩ける街づくりが必要なはずだ。

ましてや、市内にクルマが溢れるから新たな幹線道路が必要、という土建論理は、本末転倒である(事例はいろいろ思い浮かぶはず)。クルマを増やすための拡大再生産ではなく、クルマと歩行者との両者が共存できる構造作りが必要だと思う。交通マナーの徹底など「気持ち」「モラル」への期待は、当然ではあるが、限界がある。


東京新聞、2007/6/8


市川浦安の交通事故地図(千葉県警察のウェブサイトより作成) 赤印は死亡事故

警察への要請方法やハザードマップなどについては → これまでの記事

国土交通省がアンケートを実施している → 「道路整備の中期計画の作成に向けてのアンケート調査の実施について


ハン・ベニンク キヤノン50mm/f1.8

2007-06-07 23:34:24 | アヴァンギャルド・ジャズ
ハン・ベニンク

もう60代半ばのはずだが、先日ICPオーケストラとしてミシャ・メンゲルベルクトリスタン・ホンジンガーらと来日したときにも、漲るエネルギーを惜しげもなく放出させていた。アナーキーでユーモラス、エネルギッシュ。

初めて実際の演奏を目にしたのは、1998年だった。いまは大泉学園にあるライブハウス「in "F"」が保谷にあった頃、観にいったのだと思う。店のマスターが、「凄いものをみてしまった・・・」と呟いていたのを覚えている。

その後、浅川マキ・山内テツとの共演(2002年)や、渋谷毅・井野信義との共演(何年だっけ?)などがあった。マキさんとの共演は、さっき、過去の写真を見ていたら久しぶりに見つかった。

これを撮ったキヤノンIVSb改は、ライカIIIfを超えたという評判通り今でも良いカメラだが、シャッターの精度が調整してもすぐ落ちてきてしまうので、結局手放してしまった。伊藤宏氏の設計による名レンズ、キヤノン50mm/f1.8は手元に残して、M型ライカに付けて使っている。ボケが少し汚いような気がするし、さすがに古いので開放では渦を巻く。しかし、ピントは開放からシャープで、いまだに実用的なのはレンズの年齢(50歳以上)を考えると驚くべきだと思う。もっとも、ハンよりは若いが。


ハン・ベニンク、2002年 浅川マキが闇に潜んでいる Canon IVSb改、Canon 50mm/f1.8、スペリア1600、同時プリント


1番に予約したらしい(笑)


98年来日時に、ICPオーケストラ『プレイズ・ニコルズ&モンク』にサインを貰った

東京湾は人間が関与した豊かな世界

2007-06-06 00:21:02 | 環境・自然
NHKで放送された『大都会の海 知られざる東京湾』を観た。

スズキやアイナメ、さらには食物連鎖の最初のほうに位置するプランクトンや小さい甲殻類などの姿が記録されている。われわれの食べている魚介類にも、東京湾で獲れたものは多い。また、これが東京湾なのかと眼を見開いてしまうような色とりどりのサンゴもいる。

面白いのは、内湾と外湾との境界として、はっきりと識別できる色の違いがあり、温度や塩分濃度の違いによる「熱塩フロント」を形成していることだ。内湾は、工場の温排水のためプランクトンが豊富に生育し、外湾からの温かい海流とぶつかるフロントでは生態系にとって恵まれた条件になっている。

さらには、外敵が少ないため、マイワシやスズキがよく育っている。これは養殖ではないし、多くの人間が関与した生態系を作り上げているとみるべきなのだろう。もはや、死の海と言われたかつての面影はない。われわれの生活と海とが遠くなっているから気が付かないのだ。

ただ、変に穴ぼこを掘ってしまったために青潮はまだ発生している。栄養塩のバランスが崩れる結果の赤潮もなくなっていない。干潟やヨシが極めて少なくなってしまった結果、ハマグリは姿を消した。番組では、横浜でアマモの再生に取り組んでいる方々を紹介しているし、三番瀬でもこれは取り組まれていることだ。

その意味では、人間が関与することを前提とした自然の回復にはまだ時間も多くの努力も必要だということなのだろう。

ただ、東京湾には豊かでわれわれも連鎖の中に入った生態系があることには、あらためて凄いことだと感じる。水中写真の中村征夫が木村伊兵衛賞を受けた『全・東京湾』(情報センター出版局)には、知らないで判断することが如何に自然やそこで働く漁師などの方々への敬意を欠く結果になるかを示すエピソードがある。南葛西の主婦は、東京湾で魚が獲れることを聞かされて、「まあ、東京湾で漁してるなんて、そんなの食べたくないわ」と言ってしまう。多分、私を含め、多くの人の感覚はそれに近いものだろう。

しかし、有害物質も、有機物も、かなり少ないものとなっている。ただ、汚染ゼロはありえないが、それはわれわれの経済活動に起因する。外洋もイメージしにくいだけで汚染はゼロではない。自分も生態系の一部であること、そこから逃れる安全なエリアはないこと、さらには自分の排出に責任を持つことは胸に刻んでおいてよいことだと思う。

『全・東京湾』には、豊穣で多様でいじらしい生物の数々と、そこで生活する方々が記録されている。生物と人々との間には境界があえて設定されていないように感じさせる。もう20年近く前の本ではあるが、まだまだ驚きを孕んでいる。

それにしても、三番瀬で養殖し、天日干しで作られた海苔を食べてみたいものだ。まだあるのだろうか。この本には、干していると海苔がピシッと鳴くこと、大企業の海苔は見栄えをよくするために変に厚くしていること、などが紹介されている。

番組は、6/6深夜に再放送されるようだ。見逃した方には一見をおすすめしたい。



自分の境界の裏と表

2007-06-05 00:05:20 | 思想・文学

結局行かなかったが、竹橋の国立近代美術館で「リアルのためのフィクション」と銘打って、ソフィ・カルの展覧がされていたのを機に、本棚にあった『本当の話』(ソフィ・カル、平凡社)を読んだ。

ソフィは、たまたま尾行した男と話したときに、その男がヴェネチアに旅に行くことを知る。そして、男には告げず、金髪のかつらを被り、ヴェネチアで男を探し、ただ尾行を続ける。また、別のプロジェクトでは、ソフィは、私立探偵に自分を尾行して報告書を提出するよう依頼する。もちろん、私立探偵はそのことを知らない。

犯罪的のひとことで片付けられる行動であり(本当に行ったのかどうかわからない!)、ストーカー行為として捕まってもおかしくはない。しかし、自分というバウンダリを敢えて裏返したり戻したりして、そのバウンダリの姿を指で辿るような方法には、不思議と奇妙さを覚えない。むしろ、機会さえあれば自分もやってみたいと思わせもする。

実際、自分の行動を他人の目で確認したがるのは本能的ではある。それに、和辻哲郎や折口信夫といった「無関係」な人間の足跡を辿ることは、多くの人がしていることではないか。さらに、ガイドブックで誰かの経験を追体験することは、ほとんどの人がやっていることだ。これが、「無関係」な人の尾行と本質的に何の違いがあるか

ポール・オースターも、『リヴァイアサン』(新潮社)において、ソフィ・カルをモデルに、マリアという奇妙な女性を登場させている。
マリアは、次のようなプロジェクトを行う。

●「色彩ダイエット」 曜日に応じて、決まった色の食べ物だけを食べる。
●「L氏の服を選ぶ長期プロジェクト」 毎年クリスマスに、L氏に服を贈り続ける。マリアは他人として時々服装を褒めるが、L氏はマリアが贈り主だと最後まで気付かない。
●他人を尾行して写真を撮り、ときには架空の伝記をつくる。
●私立探偵に自分を尾行させ、スリルを感じる。
●ホテルで働き、部屋に残された断片から宿泊者の人生を捏造する。
●拾ったアドレス帳に書かれている人に順番に会う。
など

完璧に自分のためのプロジェクト、自己満足の徹底。
こうした自分の境界を、皮膚を、裏返したり這ったりする行為は、自分の持つ何かの治療だと思えば、必要なこととさえ言えるだろう。

奇妙な生き物こそ人間だと感じさせる本ではある。もちろん、私は、尾行されていると知ったら平静ではいられないが。


私の家は山の向こう(2)

2007-06-02 23:56:23 | ポップス

テレビ朝日で今日(2007/6/2)放送された、『テレサ・テン物語~私の家は山の向こう』を観た。

日本人俳優ばかりで違和感ありまくり。せめてテレサが歌うところくらい、本人の映像にしてほしかったというのが正直なところだ。

しかし、ドラマを記念して出たCD『ドラマティック・ベストセレクション』(このタイトルも凄い)では、中国の民主化を訴えるコンサートでテレサが歌った、「我的家在山的那一辺(私の家は山の向こう)」の録音を聴くことができた。最後に、感極まったテレサが叫ぶ声も収録されている。

時の流れに身をまかせ」は大好きなのだが、他の日本でのヒットソング(愛人ソング)はどうもいまいち好きになれない。ただ、「私の家は山の向こう」や「何日君再来」を聴くだけでも、このCDの価値があると思う。

それにしても、中国の古典詩を歌にした『淡淡幽情』は何度聴いても感動する。

→ 以前の記事参照(私の家は山の向こう)


浦安魚市場(7) わかさぎ、鰯、あさり

2007-06-02 19:12:48 | 関東

浦安魚市場には、先日、地井武男が「ちい散歩」(テレビ朝日)の取材に来ていたらしい。私はその日有給休暇を取って買い物に行ったが、撮影は終わった後だったらしい。いつ放送するのだろう。(どうでもいいが。)

今日は、「えびの桑田」で、鰯と、わかさぎ。わかさぎは旬でないから冷凍だろうか。少しまけてもらった。

それから、「堀千代」で、東京湾のあさり。容器の中のあさりがあちこちで水を吹きまくっていたので、買わずには帰れないのだった。三番瀬では、今年、あさりがとても少ないそうだ。これはどこで掘ったものだろう。

わかさぎは、昨日呑み残したビール(自家製・・・おっとっと)を使ってフリッターのような天ぷら。
鰯は、手で開いて片栗粉を付け、オリーブ油でソテー。
あさりは、あさり汁。三つ葉とあさりは合うことを発見。あさりバターに浅葱の代わりに入れてもよさそうだ。


わかさぎの天ぷら


鰯のソテー(蒲焼風)


あさり汁 砂を吐かせておいて蓋を開けると凄い生命力のあさりが一斉に水を・・・。