Sightsong

自縄自縛日記

デイヴィッド・マレイのグレイトフル・デッド集

2009-02-08 11:09:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴィッド・マレイのオクテット(8人)といえば、ヘンリー・スレッギルのアルトサックスの存在感が際立っている『Ming』(Black Saint、1980年)『Home』(Black Saint、1981年)『Murray's Steps』(Black Saint、1982年)がとても好きで良く聴いていたのだが、最近、この『Dark Star [The Music of the Greatful Dead]』(astor place TCD、1996年)がわりと気になって何度も聴いている。グレイトフル・デッドのカバー集である。

スレッギル入りの3作が、不穏で怪しいムードのなかエネルギーに満ちた音楽だったとすれば、これは原曲がロックであるためか、ひたすら楽しく聴くことができる。マレイの変なサックスは登場するたびに待ってましたというところだ。ちょっと外れた音でこぶしをきかせまくるし、高音のフラジオもいつも通り過剰。去年はいけなかったが、またかぶりつきで聴きたいものである。全体をひっぱるドラムスと、グルーヴィーな雰囲気を醸すオルガンがまた良い。

とは言いながら、グレイトフル・デッドのことは、ギタリストのジェリー・ガルシアがオーネット・コールマン『Virgin Beauty』(Sony、1987年)に参加したということしか知らない(ジャズファンとしてのみの一面的な知識)ので、図書館で2枚借りてきた。

マレイ盤に入っている曲のうち、「Shakedown Street」は同名のアルバム『Shakedown Street』に、「Estimated Prophet」と「Samson & Delilah」は『Terrapin Station』に収録されている。1977年、78年に録音されたものだ。もっとやかましくノイジーなものを期待していたが、一聴(というか何度聴いても)、昔のロックは上品だったのだなという印象しか抱かない。このあたりは、そのうち誰か詳しい人に教えてもらおう。他にもグレイトフル・デッドをとりあげたジャズはあるのかな。

このあと、マレイのオクテットは、コルトレーン曲をとりあげた『Octet Plays Trane』(Justin Time、2000年)を発表する。やはりマレイの入っているワールド・サキソフォン・カルテットのマイルス・デイヴィス集ほど衝撃的ではなかったが、こういう企画なら、一昔前の日本制作の変な商売ネタCDとは違って、大歓迎なのだった。

オクテットの記録は、スレッギル参加作、このデッド集、それからコルトレーン集のほかに幾つかある。そのうちのひとつが、日本盤も出てスイングジャーナル誌でもてはやされた『PICASSO』(DIW)だ。いつだかに四谷のジャズ喫茶「いーぐる」でマレイをリクエストしたところ、探したけどこれしかないと言われ、(いろいろな意味で)がっかりしたたことを思い出した。

●参照 マル・ウォルドロン最後の録音 デイヴィッド・マレイとのデュオ『Silence』


泡瀬干潟の埋立に関する報道

2009-02-06 23:08:24 | 環境・自然

先日の辺野古新基地に関する勉強会の際、「泡瀬干潟大好きクラブ」の水野隆夫さんも来られていた(しばらく東京に滞在とのこと)。昨年2008年11月に那覇地裁が泡瀬干潟埋立の公金支出差し止めを命じた判決以降、今年2009年1月からの埋立強行前後に、TBS「NEWS 23」やテレビ朝日「スーパーモーニング」で、この蛮行が何度か報道された。水野さんは、それらの映像をDVDにまとめて配布していた。

やはり、サンゴや絶滅危惧種を含む多くの生き物が棲む青い海に、鼠色の土砂(隣の使うかどうかわからない港湾用に浚渫された)がどしゃどしゃと投入されていく様は、あまりにも痛々しい。息子は、映像を泣きそうな顔でじっと見て、「こんなひどいことして駄目じゃないか。」「誰か偉い人に言って止めてもらえないのか。」と繰り返していた。感覚的にあまりにも衝撃的な犯罪なのだ。

報道の映像では、先述の水野さんや、「泡瀬干潟を守る連絡会」の前川盛治さん、「沖縄リーフチェック研究会」の安部真理子さんたちが、如何にこの泡瀬干潟が多様な生態系の宝庫であり、埋め立てたり人為的にサンゴを移植したりすることが後戻りできない暴挙であるかを説明している。

また、司法が駄目だという判決を下したにも関わらず、内閣府は、沖縄県(仲井真知事)や沖縄市(東門市長)が控訴したから行政は推進するということだという無茶な解釈を語って(騙って?)いた。沖縄県の役人などは、司法の判決を「行政の介入」と表現していた。

もちろん司法と行政は独立しているから、「介入」論は無理解以外のなにものでもない。名古屋高裁がイラク派遣について下した違憲との判決(2008年)に対し、当時の田母神空幕長は「そんなの関係ねえ」と公的に発言し、福田首相も傍流の判決だとして無視を公言した。そしてこの那覇地裁判決は、控訴されているからという理由で無視されている。一方では、最高裁は政府の意向に沿う傾向がある。この状況を、司法の死と言わずして何と表現すべきか。五十嵐敬喜・法大教授は、憲法に定められた三権分立をなし崩しにするものだと厳しく批判した。

水野さんが今回の事情や考えについて、『読売新聞』の「論点」に寄稿している(2009/2/4)。それによると、大規模な開発による自然破壊をストップさせた典型が2つあるという。1つは1971年、尾瀬の車道建設を環境庁(当時)が中止させたこと、もう1つは知床の観光開発を77年からのナショナルトラスト運動が奏功し2005年に世界遺産に登録されたことだ。両方とも地域の活性化につながっており、これがもし道路や妙なリゾートだったらどうだったか。名古屋の藤前干潟、浦安・市川・船橋の三番瀬についても埋立中止は高く評価できるだろう。それに、泡瀬干潟も、世界遺産に相応しい自然環境に違いないのだ。

水野さんによると、今週末か来週頭に、また「NEWS23」でとりあげられるかもしれないということだ。まずはこの蛮行を、多くの人が脳裏に焼き付けなければならない。

※と書いたら、行き違いにトラックバックをいただいた。「NEWS23」の放送は2/10(火)とのこと。

●泡瀬干潟のこと
泡瀬干潟の埋め立てを止めさせるための署名
泡瀬干潟における犯罪的な蛮行は続く 小屋敷琢己『<干潟の思想>という可能性』を読む
またここでも公然の暴力が・・・泡瀬干潟が土で埋められる
救え沖縄・泡瀬干潟とサンゴ礁の海 小橋川共男写真展

●憲法の三権分立
浦部法穂『世界史の中の憲法』を読む

●三番瀬のこと
○三番瀬


7・18 沖縄県議会決議を尊重し、辺野古新基地建設の断念を求める国会請願署名提出2・3報告集会

2009-02-05 00:53:42 | 沖縄

2月3日、「7・18 沖縄県議会決議を尊重し、辺野古新基地建設の断念を求める国会請願署名提出2・3報告集会」(文京区民センター、辺野古への基地建設を許さない実行委員会・主催)に参加してきた。ぎりぎりに到着すると、かなり出席者が多い状況だったが、実際にはその前の昼間に行われた院内集会のほうにはもっと人が集まったらしい(約130名)。

昨年7月18日の沖縄県議会決議とは、辺野古新基地に対する反対決議のことだ。いまでは野党が大勢を占めている状況ゆえ可能になったのである。これを根拠に辺野古基地建設への反対署名が集められ(48,316筆+団体分612筆と非常に多い)、それが国会への請願として提出された。

集会では、まず昼間の様子の映像が流された。千葉景子(民主党・参議院)、那谷屋正義(民主党・参議院)、山内徳信(社民党・参議院)、重野安正(社民党・衆議院)、喜納昌吉(民主党・参議院)、今野東(民主党・参議院)、近藤昭一(民主党・衆議院)、仁比聡平(共産党・参議院)、辻元清美(社民党・衆議院)、川田龍平(無所属・参議院)らの国会議員、渡嘉敷喜代子・沖縄県議らが出席していた。沖縄県議会と同様、参議院でも反対決議を目指そうとの意見、それから沖縄県の環境条例に、米軍による汚染に対する立ち入りを認めるよう盛り込むべきとの意見が出されたようだ。

次に、安次富浩さん(ヘリ基地反対協議会)による講演があった。以下にその要点をかいつまんで紹介する。

●仲井真知事は、県議会決議以降、プレッシャーを感じているようであり、スタンスの違いを示している。嘉手納以南の返還や海兵隊のグアム移転を、沖縄の負担軽減のあかしとしてアピールしたい意向だが、実質は辺野古新基地とのパッケージであり評価できない。そんななか訪米したが成果はない。取材団はシャットアウトされたので、情報公開を求める動きが進んでいる。
●高江の座り込みに対して、沖縄防衛局が、通行妨害との理由で仮処分申請を那覇地裁に行った。この中には8歳の女の子が含まれ(のちに自ら却下)、また、たまたま差し入れをした人や既にヤマトゥに帰った人が含まれるなど、杜撰な弾圧と言うことができる。これに対し、32名の熱意のある弁護団が組成された。
●高江区長がヘリパット受け入れに妥協したとの報道があったが、実際には例え話程度であり、記事は誇張であった。
●海兵隊のグアム移転については、終末を迎えつつある現政権のうちに、日米での条約を制定してしまおうという動きがある。焦りとも言うことができる。
●国防は国の専管事項であるという理由で口を挟まないのが、これまでのマスコミの前提だった。しかしその結果、住民に負担を強いている。今後は、国策に「NO」を言うことが重要だ。国家予算が赤字にも関わらず、予算計上はすでになされてきている。これがヤマトゥで報道されず、審議されていない。
●厚木から岩国への兵力移転が両者の強化に過ぎなかったように、辺野古の新基地は追加的なタッチ&ゴーの訓練施設になりかねない。
●日米地位協定がひどいものであることは明らかで、実はイラクの地位協定のほうがまだ良いものである。これは沖縄では報道されており、新報とタイムスの2紙が、生活者の視点による報道のスタンスや、権力に対するチェック機能を持ち続けていることを示すものだ。
●中曽根外相が辺野古のキャンプ・シュワブを視察した際、マスコミは防衛省がチャーターしたバスで取材した。こんなお膳立てで何がわかるのか。
●辺野古の環境アセスについては、「方法書」の段階は終わり、次は「準備書」が示される予定。これに対し、「方法書」と同様、意見をぶつけていかなければならない。
●アセスに関しては、沖縄防衛局が昨年10月に追加調査の公告を出し、当初の計画と随分異なってきている。また、滑走路建設に伴う水路変更の設計の入札公示が1月に出された。まだアセスが終わっていないのに、それを前提とした工事の設計を行うとはどういうことか。
●IUCNが辺野古のジュゴン保護に関して3度もの勧告を決議した。これは国際的にも恥ずべきことだ。
●2010年末には沖縄県知事選挙が予定されている。「方法書」のように「準備書」についても意見を出すことで検討を延ばさせる場合、これが知事選の争点となりうる。
●参議院での辺野古基地の反対決議ができないかと思っている。また、今後野党政権が成立すれば、米軍再編の新しい形を模索できるかもしれない。
●在外米軍の存在に伴う人権問題、公害、平和を巡って、国際的な連帯の輪を築きたい。
●ゴアを辺野古に案内する、ワシントンD.C.でデモを行うなどにより、米国市民と結びついていけないか。
●「思いやり予算」は30年を迎えている。加えて、辺野古の新基地、グアムへの移転、アフガン対策への拠出など、どれだけ米国の軍事戦略にオカネを払えばいいのか。それよりは、主権者として、「国民にカネを使え」と言うべきだ。

その後、ジュゴン保護キャンペーンセンターの蜷川さんや、泡瀬干潟大好きクラブの水野さん(2/4読売朝刊の「論点」に登場!)らによるスピーチがあった。終わったあと、誘われて飲み会へ。

これも終わって帰宅途中、最寄の駅近くでこの問題にも詳しい友人に遭遇し、また飲みに行ってしまった(笑)。帰宅2時。


なんばB級グルメ(与太話)

2009-02-04 07:43:46 | 関西

与太話。大阪に所用で行ったついでに、なんばをうろうろした。

以前に雑誌で読んで気になっていた「千とせ」では、みんなが注文する「肉吸」(肉うどんの、うどん抜き)と「大玉」(卵かけご飯の普通サイズ)を食べた。想像するとおりの味だが、それでいいのだ。最近では、卵かけご飯のことを「TKG」と呼ぶらしい(笑)。みうらじゅんは「どうかしてる」を「DS」と呼んでいた。下らなすぎる。

夜は友人と会い、「わなか」でたこ焼き。12個入りを食べたら満腹になってしまった。

ところでB級グルメという言葉、誰が使い出したんだろう。


魯迅『朝花夕拾』、イワン・ポポフ『こねこ』

2009-02-01 23:11:12 | 中国・台湾

週末、ひとの結婚式に出席したのだが、荷物を持ちたくないので、薄い文庫本、魯迅『朝花夕拾』(岩波文庫)をコートのポケットに入れた。ずいぶん前、吉祥寺で人待ちをしていたとき、古本屋で見つけた。

表紙には「無恥で卑劣で残忍な「正人君子」、小ざかしく口先きばかり上手な欧米帰りのハイカラ野郎どもの仮面をはぎ取る」といったふうに、魯迅の意図を書いている。なるほど、歪んだ儒教道徳や既得権なんてものを糞味噌に批判している。ただ、もともと思いつくまま書いたような雰囲気がある作品だということもあって、辛辣な批判も含め、魯迅の語り口を味わう程度に読んだ。

日本留学中の思い出を書いた『藤野先生』が整然とまとまっていて良い作品だ。ただ、妙に腹をくすぐられる傑作は、『犬・猫・鼠』である。魯迅が猫を敵視するようになったのは、彼が幼少時に飼っていた鼠を食ったからだという。それは実は誤解で、実際には使用人が殺したことがわかるのだが、それでも魯迅は猫を敵視する。理由は、猫は雀や鼠を意地悪く弄んでから殺すこと、それから媚態を見せること、だそうだ。屈折していながら妙に素直な語りであり、これも魯迅であると感じる。ただ何かのアナロジーかもしれず、素直に読むだけではいけないのかも知れない。

自分もわりに最近まで、猫をいやらしく卑劣な動物だと決め付けていたにも関わらず、いまでは道端で猫を見つけると嬉しくて仕方ない。優雅に歩いたり走ったりしている姿もいいし、じっとこちらを見る表情もいい。媚態だといえば元も子もない。あるいは、猫又、または「ねこま」の妖術にかかっているのかもしれない。

というのも、久しぶりに、イワン・ポポフ『こねこ』という映画を録画して観ていると、2歳児が異常なほど興奮し、猫が登場するたびに画面を指差して「ニャンニャ、ニャンニャ!」と叫び続けたからだ。これはもう、妖術としかおもえない。

参照
魯迅の家(1) 北京魯迅博物館
魯迅の家(2) 虎の尾
魯迅グッズ
丸山昇『魯迅』
久高島の猫小(マヤーグヮ)