Sightsong

自縄自縛日記

日暮里の初音小路の沖縄料理

2016-06-19 08:46:17 | 沖縄

何気なく「上野経済新聞」を読んでいたら、日暮里に「あさと」という沖縄料理店があるとの記事(>> リンク)。さっそく沖縄オルタナティブメディアのNさんと行くことにした。

ここは、谷中銀座から階段「夕焼けだんだん」を昇って、ちょっと右側に入った横丁「初音小路」にある。わたしも割と近くに4年以上住んでいたことがあるのに、横丁の存在にまったく気がつかなかった。何でも、かつては谷中銀座が栄えたためにマーケットとなっていた場所のようで、まさにそのような作り。裏寂れた感じなのだろうという予断は裏切られ、「あさと」のような古い料理屋も、新しいバーもあって、かなりの活気があった。

「あさと」は開店24年だということで、毎日人が座っていた場所ならではの居心地のよさがある。角煮(東京の沖縄料理なので敢えて「ラフテー」などとは呼ばないのだ)は泡盛と黒砂糖をきかせてあってとても旨い。もずくと玉ねぎが入ったひらやーちーも、生姜が効いた豚の中身汁も旨い。

石垣島出身の店主の安里さんによれば、ちょっと外れてはいてもやはり「谷根千」、ガイドブックを持ったヨーロッパの観光客がしばしば来るそうだ。この日は、三線を習っていてもうすぐ「度胸試し」で沖縄の大会に出るのだという人が、店の三線を借りて、「安波節」や「安里屋ユンタ」を歌った。

Nさんは、ジェームス・ブラウンのドキュメンタリー映画『ミスター・ダイナマイト』のお面をかぶって、JBがいかに画期的であったかという話。映画もずいぶん面白そうなので(てっきり劇映画だと思い込んでいた)、わたしも早く行くことにする。話は津島佑子、カーソン・マッカラーズ、ウィリアム・サローヤン、『白鯨』、ポール・オースター、コリン・ウィルソン、マーク・トウェインなどの小説から、豊里友行、石川真生、石川竜一と沖縄写真の方へ。

とくに、石川真生『大琉球写真絵巻』である。この、コスプレによって沖縄の抑圧された歴史を語りなおす作品の「ためにする」側面をどう視るか。多くの者がまおさんの写真にあってほしいと思うに違いない姿は、米兵や労働者を撮ったリアリズム写真家としてのそれである。しかしそれはそれとして、大傑作『日の丸を視る目』も、かつて沖縄芝居の仲田幸子を撮った作品群も、コスプレであり、歴史の語り直しではなかったのか。それ以上に、まおさんは、観る者が引いてしまうような表現を続けてきた写真家ではなかったのか。そして「ためにする」写真という側面で、豊里友行さんの写真をどう視るか。そんな話。

ところで、夕焼けだんだんの上には、パクチー山盛りの「深圳」の斜向かいに角打ちの「大島酒店」があって、窓には、紀藤ヒロシという歌手の歌う「夕焼けだんだん」のポスターが貼られている。どんな歌なのか興味津々。

誰かに死ぬまでだましてほしい

iphone 6s

●参照
たくさんのミントとたくさんのパクチー
飽きもせずに蒲田の東屋慶名
「東京の沖縄料理店」と蒲田の「和鉄」
『けーし風』読者の集い(26) 辺野古クロニクル/沖縄の労働問題(秋葉原の「今帰仁」)
坂手洋二『8分間』@座・高円寺(高円寺の「抱瓶」)
灰谷健次郎と浦山桐郎の『太陽の子』(神戸の沖縄料理店)
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』(新宿の「海森」)
山之口貘のドキュメンタリー(池袋の「おもろ」)


かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール

2016-06-18 08:03:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

明大前のキッド・アイラック・アート・ホールに足を運び、かみむら泰一・齋藤徹デュオ(2016/6/17)。このふたりによるCD『Choros & Improvisations Live』の発売記念ライヴでもあった。

Taiichi Kamimura かみむら泰一 (ts, ss)
Tetsu Saito 齋藤徹 (b)

ビシンギーニャの「カリニョーゾ」をはじめとしたショーロの曲の数々に加え、オーネット・コールマンの「Lonely Woman」や、自由即興に近い演奏もあった。

ショーロが含み持つ持つ人情、泣き笑い、人いきれ。そういった音楽の体臭が、この天井の高いハコの中で見事にあらわれた。つまりここでの主役は、演奏者のふたりに加えてこの空間なのでもあった。

かみむらさんのサックスは、かすれ、こすれ、響きのそれぞれが異なる色を持つようなものだった。考えてみれば、サックスだってリードによって空気を擦っているわけである。そしてテツさんが弦を震わせて、リズムも音色も、音を出そうとする意図そのものも、大きな裁量を委ねられているような時空間。そこでは、音自体が空間を伝わることをひそやかに許してもらい、また共存を許してもらっているような感覚があった。ちょうど人いきれのように。

音は電気的に増幅されていない。もとよりサックスにもコントラバスにも増幅器が備わっている。さらにこのハコという大きな共鳴器がある。中心の「美味しい音」を電気的に増幅することは、音を出そうとする意図、音を出さないという選択、ためらいといった仕草を切り捨てることなのかもしれない。ここにはそれらがあった。音に隠れた音が記憶をまさぐり、雑踏のざわめきをも表出させた。

CD『Choros & Improvisations Live』に関して、サックス奏者の森順治さんが前に語っていた。キッド・アイラック・アート・ホールでの収録時に聴いていたが、音が本当に素晴らしかった、と。この場所は今年限りでその活動をやめてしまうという。あまりにも勿体ない。

Nikon P7800

●参照
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)


豊里友行『オキナワンブルー』

2016-06-16 22:50:29 | 沖縄

豊里友行『オキナワンブルー 抗う海と集魂の唄』(未來社、2015年)。この写真集を逡巡した結果買ったのだが、やはり素晴らしい作品に仕上がっている。

なぜ逡巡したかと言えば、それは氏の写真を立派な印刷と製本により鑑賞すべきなのかどうか、いまだに判断できないからである。皮肉などではない。

辺野古において行使されている暴力、基地というものが入り込んだ日常、路地で遊ぶ子どもたち、やむにやまれず権力への抵抗を続ける人たち、夜の街の米兵たち、このナマの姿は、常に、視えない沖縄に身を置き続けている氏でなければ、決して撮ることができなかった写真に違いない。

一方で、2014年末に、廉価にて運動の場において売られていた小さい写真集『辺野古』。廉価とは言っても、かつて土門拳が筑豊で撮って敢えて安い印刷製本で売ったものとは違い、かなりいい印刷であることは確かである。そして、今回の『オキナワンブルー』とも重なる写真が少なくない。決定的な特徴は、各頁の写真の下に、短い解説が書かれていることだ。運動のためであり、とても写真の意味するものが解る形である。しかしそのことが、解説以外の写真の観方を制約している。結果的に、「ためにする」写真でもある。

以前の写真集『沖縄1999-2010』は、判型が途中で大きくなったことによって、写真の見ごたえが明らかに増した。今回の『辺野古』と『オキナワンブルー』との違いはそれ以上のものである。

北井一夫さんは、かつて宴席で豊里さんの写真について触れ、写真芸術が政治に依拠する時代は終わったと言った。

わたしなどには結論が出せないし出すべきでもないのだと思う。なんにせよ、『オキナワンブルー』は素晴らしい写真集である。

●参照
『越境広場』1号(2015年)(豊里友行氏と石川竜一氏との対談)
『LP』の豊里友行特集(2012年)
豊里友行『沖縄1999-2010 改訂増版』(2010年)
豊里友行『沖縄1999-2010』、比嘉康雄、東松照明(2010年)
豊里友行『彫刻家 金城実の世界』、『ちゃーすが!? 沖縄』(2010年)


山際康之『兵隊になった沢村栄治』

2016-06-15 07:48:54 | スポーツ

山際康之『兵隊になった沢村栄治―戦時下職業野球連盟の偽装工作』(ちくま新書、2016年)を読む。

戦前の大エース・沢村栄治は、1934年の日米野球において、ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグを擁するアメリカチームを、ゲーリッグのホームラン1点に抑えた。この快投はいまや何度も語られた伝説であり、それに対してアメリカチームが逆光でボールが見えにくかったと反論したことも、おそらく言い訳に過ぎないのだろう。現在と違って、逆立ちしても勝てないほどの実力差があった時代のことである。

しかし、軍に召集されるたびに、沢村の身体は野球人のそれから兵士のそれに変貌してゆき、戻ってきても良い数字を残すことができなくなっていった。身体だけではない。手榴弾投げを率先して行うなど、精神的にも軍に順応せざるを得なくなったことが、本書を読むと痛いほど伝わってくる。そして3度目の召集で、沢村は戦死した。

よく知られていることだが、戦時中には、野球用語は日本風のものに変更させられた(ストライクを「ヨシ」、アウトを「引ケ」とするなど)。それは野球という活動を軍に潰されないための苦渋の選択でもあった。そのことは念頭に置くべきだとしても、スタルヒンを「須田博」と改名させるなど人権侵害以外のなにものでもなかった。「須田」は、日露戦争の軍神・廣瀬武夫の銅像があった須田町から、「博」は「廣瀬」の「廣」としようとしたが、俳優・藤原釜足が藤原鎌足をもじって国民的尊厳を軽視しているとして藤原鶏太に改名させられたことを鑑みて、読みだけ同じにしたのだという。

チーム名も変えることになった(タイガースを阪神軍に、イーグルスを黒鷲軍に)。怖ろしいことに、それは上からの圧力とばかりは言えなかった(もっとも、すべてが自発的な判断としてなされるよう仕向けられたとしても)。名古屋軍の「名」のマークはナチスの鉤十字に似せられた。また、セネタースの東京翼軍は一般公募ではあるが、その「翼」とは、大政翼賛会から思いついたものであったという。いまでもあちこちで見られる、権力と風潮への行き過ぎた同調である。

軍は、勝負が決したあとの9回裏を行わないことや、「引き分け」を、精神的によくないものとして、やめさせようとした。実にばかげたことではあるが、高校野球に残る精神主義はこの名残なのかもしれない。

職業野球連盟は野球人たちを戦地に行かせぬよう、大学に入れたり、別の形で軍に協力するなど、本書でいうところの「偽装工作」に努めた。しかし、それは何にもならなかった。


吉増剛造『我が詩的自伝』

2016-06-13 22:23:18 | 思想・文学

吉増剛造『我が詩的自伝 素手で焔をつかみとれ!』(講談社現代新書、2016年)を読む。

最初から最後まで「種明かしの見せ消し」のようなこの人の詩は、昔からさほど好きにはなれない。編集者なのである、ただしそれはあまりにも異常な。そのことが本書に付き合っていくと嫌というほどわかる。作業自体が、敏感な神経を触っては叫び、それを形にしていくような感覚もある。

このヤバさは、伊藤憲『島ノ唄』、ジョナス・メカス『富士山への道すがら、わたしが見たものは……』、小口詩子『メカス1991年夏』といった本人が登場する映画を観ても、また実際に朗読する姿を目の当たりにしても(吉増剛造「盲いた黄金の庭」、「まず、木浦Cineをみながら、韓の国とCheju-doのこと」)、恐怖感とともに伝わってくるものだ。

そのことと関係があるのかどうか、吉増剛造ファンには、彼の詩よりも佇まい(キャラともいう)が好きな人が少なくないのではないか。


白石民夫@新宿西口カリヨン橋 その4

2016-06-13 07:01:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

先週に続き、新宿西口カリヨン橋において白石民夫さんの路上パフォーマンス(2016/6/12)。

演奏の30分ほど前、21時半ころに着くと、まだ白石さんしかいなかった。いきなり、普通の勤め人に見えるねと微笑んで言われてしまったのだが、わたしは普通の勤め人である。クリス・ピッツィオコスの話などを伺っているうちに(ふたりはNYのDowntown Music Galleryで同じ日に吹いている)、やがて20人ほどが集まってきた。他称映像作家のYさんも、これを企画したゴールデン街・裏窓のマスターも、Gaiamamooという即興ユニットの二人組も現れた。

曇り空に突き刺さる鋭い高音の断片群。先週とはまた違い、より聴く者の心をダイレクトに抉るものだった。そしてヴァイオリンの後飯塚僚さんも加わり、背後で、微分的で独立的な音を発した。その作用なのか、白石さんも自ら痙攣するようにして、30分もの間、新宿を裂いた。

白石民夫 (as)
後飯塚僚 (vl)

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●参照
白石民夫@新宿西口カリヨン橋 その3(2016年)
白石民夫@新宿西口カリヨン橋 その2(2015年)
白石民夫@新宿西口カリヨン橋(2015年)


吉野弘志+中牟礼貞則+廣木光一@本八幡Cooljojo

2016-06-13 00:53:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のCooljojoにて、「along with jojo」という企画でのライヴを観る(2016/6/12)。

Hiroshi Yoshino 吉野弘志 (b)
Sadanori Nakamure 中牟礼貞則 (g)
Koichi Hiroki 廣木光一 (g)

何しろウルトラレジェンド・中牟礼貞則である。『銀巴里セッション』だぞ。

最初は中牟礼さんと吉野さんとのデュオで、ジム・ホールの「Something Special」、ミシェル・ペトルチアーニの「Morning Blues」(これも『Power of Three』においてジム・ホールがギターを弾いている)など。廣木さんが加わり、高柳昌行らしく、レニー・トリスターノ「317 East 32nd Street」とリー・コニッツの「Dream Stepper」。セカンドセットは、中牟礼・廣木デュオで廣木さんの「Sleeping Jojo」などのあと、トリオで、ホールの「Running Out of Gas」、中牟礼さんのオリジナル「In A Stream」、スタンダード「All The Things You Are」、そしてアンコールでハーブ・エリスらの「Detour Ahead」。

手探りのように弾き始めた中牟礼さんは、やがてノッてきていい音を出した。太くクリアであり、和音は丁寧にぶつからず、しかし、じゃーんとキメる。この味わいといったらまさに妙なるもので、そこには日本ジャズの歴史が濃厚な出汁となって溶け込んでいるのだった。これに、やはり吉野さんの丁寧なベースと、モランディの静物画を思わせる静謐感のある廣木さんのギターが絡んでいくと、しばしば至福で頬が動いてしまう。

中牟礼さんは高柳昌行、渡辺貞夫と同学年で(1932年度)、なんと、高柳と目黒のアパートで一緒に住んでいたことがあるのだという(正確には、毎日のように高柳が泊りがけで来ていた)。曰く、高柳は音楽的にたいへん大きな足跡を残した人であり、アメリカでも比肩するような人はいなかった、ギタリストの範疇を超えた音楽家であった、と。また、このような響きのいいハコができてよかった、と。

音楽とは人であるということを実感させてくれるライヴだった。

「もう40年くらい前のCDじゃない?」と、とんでもないことを。(本当は20年ちょっと前)

●参照
宮野裕司+中牟礼貞則+山崎弘一+本多滋世@小岩フルハウス(2013年)
内田修ジャズコレクション『宮沢昭』(1976-87年)(中牟礼貞則参加)
『銀巴里セッション 1963年6月26日深夜』(1963年)(中牟礼貞則参加)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)(吉野弘志参加)
廣木光一+渋谷毅@本八幡Cooljojo(2016年)
Cooljojo Open記念Live~HIT(廣木光一トリオ)(JazzTokyo)(2016年)
廣木光一(HIT)@本八幡cooljojo(2016年)


三社『無線/伊豆』

2016-06-12 11:01:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

三社『無線/伊豆』(P.S.F Records、2006年)を聴く。

Kan Mikami 三上寛 (vo, g)
Masayoshi Urabe 浦邊雅祥 (as, etc.)
Toshiaki Ishizuka 石塚俊明 (perc)

いつ、三上寛の叫びとつぶやきと、喉を膨らませての籠った音を聴いても、底知れない恐ろしさの感情が攻めてくる。地獄のような暗い井戸を無理やり覗き込まされるようでもあり、しかしそれは腹筋が痙攣する笑いと表裏一体でもあり。

この1分ほどの続けざまの絶叫。何がなにやら、どうすればいいのだろう。

「コップの下に紙ひくな/お高くとまった夢見るな/十時のホテルで夢見るな/月夜の晩では夢見るな/月夜の晩では死んでいる/太陽の真ん中に五臓六腑が積み上がる」

「お前の夢は百姓の/春の田んぼの畦道だ」

それにしても浦邊雅祥のサックスと笛は驚くほど美しいというのか、まるで暗闇の中で踊る獣のようだ。三上寛のさらけ出す内臓と、自身も周囲も壊さんとしている石塚俊明のパーカッションとも相まって、耳を傾けていると無性に狂いそうになってくるのだった。

三上寛とサックス奏者とが共演した盤は、林栄一との四人幇『オレたちの事情』(off note、2001年)、川下直広との『air borne』(off note、2002年)をよく聴いてきた。全員がまったく違うキャラを発散していて面白い。

●参照
三上寛『YAMAMOTO』(2013年)
どん底とか三上寛とか、新宿三丁目とか二丁目とか
中央線ジャズ
三上寛+スズキコージ+18禁 『世界で一番美しい夜』(2007年)
浦邊雅祥@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)


「街の記憶・建物の記憶」@檜画廊

2016-06-11 08:47:52 | 写真

神保町の檜画廊で、「街の記憶・建物の記憶」と題したグループ写真展が開かれている。毎日のように歩くすずらん通りなのに、赤城耕一さんのツイートを読むまで気が付かなかった。

グループ展とは言っても、飯田鉄、中藤毅彦、なぎら健壱とキャラが屹立した人たちの作品である。実に見ごたえがあった。

飯田鉄さんの、ちょっと距離を置いて渋く優しく撮る写真は結構好きで、ここでは、昔の浅草がとらえられている。大きな印画紙の中央部に焼かれた佇まいはとても魅力的。焼き込みも丁寧で素晴らしい。

中藤毅彦さんが印画紙に黒々と焼き付ける風景は、これまでの作品とはまた違う様子で異化された東京。かつて根津にあった曙ハウスはそれ自体が古い医療器具のような不思議な存在感をもって迫ってくる。建て直される前の上野聚楽はまるで底冷えのするヨーロッパだ。まるで灯台のような高輪消防署は、以前に飯田鉄さんもタクマーの標準レンズで撮っていたと記憶しているが、ぜんぜん違うモノのように見える。

なぎら健壱さんの写真群は、やはりというべきか、裏道の飲み屋街に身体から入っていく感覚。北千住の大橋眼科を撮った写真は周辺がぼけまくっているが、これはベス単レンズででもあろうか。

石川栄二さん、森田剛一さんの作品を凝視していると、まるで古い自分の記憶をまさぐられるようで、それは東京ではなく山口の片田舎なのだが、それでもこの感覚は面白いような切ないような。

●参照
飯田鉄『レンズ汎神論』と、『名機の肖像』のライカM型特集
飯田鉄、北井一夫、榎本敏雄、清水哲朗
コムラーの24mm
中藤毅彦『Berlin 1999+2014』
中藤毅彦『STREET RAMBLER』
中藤毅彦『Paris 1996』
中里和人『光ノ気圏』、中藤毅彦『ストリート・ランブラー』、八尋伸、星玄人、瀬戸正人、小松透、安掛正仁
須田一政『凪の片』、『写真のエステ』、牛腸茂雄『こども』、『SAVE THE FILM』
中藤毅彦、森山大道、村上修一と王子直紀のトカラ、金村修、ジョン・ルーリー


西嶋真治『抗いの記 記録作家 林えいだい』

2016-06-09 23:01:35 | 韓国・朝鮮

日比谷図書館にて、西嶋真治『抗いの記 記録作家 林えいだい』の試写会(2016/6/9)。

林えいだいという、筑豊の記録作家がいる。現在は癌を患っているが、副作用で作家活動に支障をきたすため、抗癌剤の服用を止めている。もう手が自由に動かないため、手に万年筆をセロテープで固定して書き続ける凄さがある。それというのも、林さんには、書いておかねばならぬという強い原動力があるからだ。

筑豊の炭鉱には地獄谷と呼ばれるところがいくつもあり、そこには必ず貧しい朝鮮人と、地図には載っていない「アリラン峠」があった。故郷に帰りたくても帰れない、脱走するには道なき山道をゆかねばならない。そして脱走を図った朝鮮人労働者を殴り殺した、炭鉱の労務係もいた。

豊州炭鉱では水没事故(1960年)で67人が生き埋めになり、遺体の発掘は翌年の国の勧告で断念された。炭鉱労働者はそのように扱われ、エネルギー政策の転換とともに流民となった。なかでも朝鮮人労働者に対する扱いは凄惨を極め、空腹を訴えると、出征している兵士よりも恵まれているとして殴られた。これは日本の植民地支配とエネルギー政策が作り上げた、人為的な地獄であった。

朝鮮人労働者たちは、死んでもなお尊厳を与えられなかった。古河大峰炭鉱跡付近にある日向墓地には、身寄りも引き取り手もない死者が、ボタ石を墓として葬られているという。

こういった理不尽を追い続ける林さんの父親は、神社の神主であった。逃げてきた朝鮮人労働者をかくまった咎で憲兵隊に拷問され、やがて亡くなっている。この無念さを原動力のひとつとする林さんは、自らを「国賊・非国民の子」だと称する。これが想像力の源泉となっていることが、如何に残酷なことか。大学のときに荒畑寒村『谷中村滅亡記』に影響された林さんは、北九州市に勤めながら公害の実相を撮影し、37歳にして記録作家に転身する。否定しようもなく見出した構図は、「国家は企業のためなら国民を犠牲にしてもよいと考える」というものだった。このことが現在と地続きであることが林さんの原動力であり続けるのだとすれば、悲しく怒るべきことである。

林さんはいま、自己の集大成として、特攻隊の記録をまとめている。大刀洗町は大陸侵略の拠点たる飛行場が建設されたところであり、そこには、機密の特攻機・さくら弾機があった。それは3トン弾を搭載し、もはや操縦などできない片道切符の棺桶だった。しかし、出撃直前の1945年5月に、さくら弾機はおそらく放火されてしまう。憲兵隊は、証拠を集めることなく、朝鮮人であった「山本伍長」を犯人だと決めつけ、拷問によって自白させ、敗戦直前に銃殺刑に処した。仲間たちが「かれではない、なぜ自分に訊かなかったのか」と口を揃えるほどの冤罪であった。植民地主義が生んだ差別構造のひとつの結末である。

麻生吉隈炭鉱の跡には現在公園があり、大きな桜の樹があり、その下には500体もの遺体が眠っているという。主に身寄りも引き取り手もない朝鮮人労働者である。林さんはかれらの想いを想像し、「こんな無念なことはないですよ。悔しいですよ」と語った。

上映後、監督の西嶋真治さんと、もとTBSの金平茂紀さんとのトークがあった。

金平さんは言った。

本来はこのようなテーマこそマスメディアが扱わなければならないのだが、いまでは一番扱わないテーマとなってしまった。九州は日本の近代化のための植民地であったが、そのような地域に足をおろした記録作家には凄みがあった(石牟礼道子、渡辺京二、松下竜一、森崎和江)。東京にも迫力のある人がいた(竹中労、平岡正明、高杉晋吾)。ところが現在では、そのような個人よりも資金力も人員もあるはずのメディアが、ベッキーや清原を追っかけている有様。

オバマ大統領が広島に来たことは画期的なことではあるが、単なる歓迎に終わらせることは、声を上げることなく死んでいった人たちへの冒涜である。いま広島に生きる者たちが声を上げる権利をさえ、予め抑えようとするとはどういうことなのか。歴史への想像力が、もの凄い勢いで無くなっているのではないか。そして自由にものが言えない、他と違うことを言うと滅多打ちにされてしまう社会になっている―――と。

ここに登場する林さんの個としての姿は、決して突出した個なのではなく(結果的にそのようになっているが)、このみっともない社会において各々が取り戻すべき姿であるだろう。

●参照
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
上野英信『追われゆく坑夫たち』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』


鵜塚健『イランの野望』

2016-06-09 06:47:39 | 中東・アフリカ

鵜塚健『イランの野望 浮上する「シーア派大国」』(集英社新書、2016年)を読む。記者のDさんにも推薦されていた本。

イランの核開発問題に関する合意により、経済制裁が部分的に解除された。本書は、もとよりイランをめぐる国際的な枠組みが不公平極まりないものであり、アメリカを中心とした国によるイランの扱いには批判されてしかるべきものがあったことを、明確に述べている。もちろんそこには歴史の積み重ねというものがあって、イラン・イスラム革命によって親米のパフラヴィー朝が倒れたこと、イラン・イラク戦争においてアメリカがイラクに肩入れし化学兵器の使用を許してしまったこと、イランのシリアへの支援、サウジアラビアとの確執など、最近のことだけをとってみても、非常に複雑であることがわかる。

著者は、イランの反米を卵の殻に例えている。しかし卵の中身には欧米への憧れや親しみという黄身が入っているのであって、黄身の肥大によって殻にひびが入ることさえもあるのだという。バフマン・ゴバディ『ペルシャ猫を誰も知らない』(2009年)はまさにその動きをとらえたドキュメンタリーだった。(テヘラン市内にはマクドナルドそっくりの「マシュドナルド」や、本物そっくりのKFCがあるということは知らなかった・・・。)

テヘランを歩いてみると実感できることだが、驚くほど豊かで、長い経済制裁を受けていた国という印象は希薄である。それは基本的には自国で何でも作ることができるためでもあるし、制裁の影響がイラン南部の貧困なほうにこそ出ているためでもある。また一方では、性能の良い技術を外部から導入できず、老朽化したもの(たとえば飛行機)を更新できないことによる悪影響もある。そして、核問題合意の直後から、欧州勢のイラン詣でがはじまった。

歴史を踏まえて現在のイランを俯瞰するための良書。

●参照
桜井啓子編『イスラーム圏で働く』、岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』
2016年2月、テヘラン
2015年12月、テヘラン
イランの空
スーパーマーケットのダレイオス1世
テヘランの軍事博物館と緑の宮殿
旨いテヘラン
旨いテヘラン その2


齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』

2016-06-08 07:18:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(JABARA、1999年)を聴く。

Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Chon Chul-Gi (changgo)
Michel Doneda (ss)
Noriko Tsuboi 坪井紀子 (17strings koto/ching)
Zai Kuning (voice/harmonium)

いつものことだが、まずは齋藤徹さんのコントラバスの音に驚く。旋律よりも撥音が主役となったような演奏であり、パーカッションそのものだ。

「越境」ということばが「国境」の存在を前提としたものだとすれば、ここで実現している音楽は最初から「越境」などではなく、「広がり」が夢想されたものだ。それが例えば、テツさんがキーワードとして使ってきた「黒潮」であったり、「ユーラシア」であったりということなのかも知れない。

それにしても、「ユーラシアンエコーズ」というプロジェクト=試みでも垣間見させてくれた、さまざまな背景を持った音楽家たちが持ち寄り重ね合わされる色合いに魅了される。チョン・チュルギのチャンゴは朝鮮半島の精神世界と糸がつながっているようだし、坪井紀子さんの十七絃箏は決して「私たち」ではなく皆と並列の世界を提示する。ミシェル・ドネダのソプラノサックスは、まるで金石出の笛のようでもあり、これこそが国籍でのみ語ることの無意味さを証明しているようだ。

そして最後の2曲において、ザイ・クーニンがハルモニウムを弾き、震え絞り出すような声で歌う。この静寂感と寂しさと佇まいは、内臓の奥に沁みこんでくるようだ。先日の六本木での個展(『オンバ・ヒタム』)で話した氏は、どこか遥か遠くを視ているようで、過剰に人間的と思えるほどの親しみを提供してくださって、また、明らかにとても知的で自覚的な人だった。来年のヴェネチア・ビエンナーレでは、数十メートルものあばら舟を展示するそうであり、おそらく行くことはできないが体感してみたいと思うのだった。

●参照
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミッシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミッシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ザイ・クーニン『オンバ・ヒタム』@オオタファインアーツ(2016年)
ミシェル・ドネダ『Everybody Digs Michel Doneda』(2013年)
ロル・コクスヒル+ミシェル・ドネダ『Sitting on Your Stairs』(2011年)
ミシェル・ドネダ『OGOOUE-OGOWAY』(1994年)


『越境広場』1号

2016-06-07 22:40:18 | 沖縄

崎山多美氏らが主導した『越境広場』誌は、準備号たる第0号を経て、創刊第1号が2015年末に発行された。随分と待っただけに、半年も積んでしまった。

ことばは大事にしなければならない。ここに寄せられた多数のことばをひとつひとつ、反芻してみたい。それにより、善意のパターナリズムは行き場を失うことだろう。

1995年という結節点があった。それを、沖縄の米兵による少女暴行事件、地下鉄サリン事件、阪神大震災というたまたま同じ時期に起きて何かを見出すことができるために、同じ場で論じることが既に暴力となっている。しかしそれはそれとして、中江裕司『ナビィの恋』(1999年)が沖縄において自己同一性の強化のために使われたとする指摘と、同時期の高嶺剛『夢幻琉球・つるヘンリー』(1998年)がそのイメージを壊していったとの比較には驚かされてしまう。中江映画は必ずしも外部からの視線による欺瞞と断ずることはできないということである。

真喜志勉(TOM MAX)というアーティストの存在。その、あっけらかんとして、「アメリカ」をわがものとした者の佇まいが、追悼文から浮かび上がってくる。「アメリカ」にシビアに向いあい、あるいは拒否を表現し、あるいは斜に構えるという(わたしの)ステレオタイプとは異なる存在である。かれが残した記憶から、沖縄と「アメリカ」との関係に、別の光が当たるようでもある。

そして、沖縄オルタナティブメディアの西脇さんが、ぜひ読むべきだと薦めていた、写真家の石川竜一氏と豊里友行氏との対談。このすれ違いは確かに面白い。沖縄「を」撮るのか、沖縄「で」撮るのか。「沖縄」を意識するのか、しないのか。自覚するのか、しないのか。政治社会のコンテキストはどのようにとらえるのか。シニカルに視るべきではなく、このずれをこそとらえるべきだと思える。そして、紛れもなく、このずれは、豊里氏の執拗な問いかけによって垣間見えてきたものでもあるだろう。

●参照
『越境広場』創刊0号


トゥーツ・シールマンス+エリス・レジーナ『Aquarela do Brazil』

2016-06-06 23:17:35 | 中南米

トゥーツ・シールマンス+エリス・レジーナ『Aquarela do Brazil』(Fontana、1969年)を聴く。

Toots Thielemans (g, harm)
Elis Regina (vo)
Antonio Adolfo (p)
Roberto Menescal (g)
Wilson das Neves (perc)

たまにこんなものを聴くと身体の力を抜くことができて、うっとりもする。エリス・レジーナがちょっと余裕をもって呟くような瞬間もいいし、「哀愁」そのもののトゥーツ・シールマンスのハーモニカも大好きである。最初の「Wave」から気持ちが浮き立ってきて、終わりころの鼻歌のような「Honeysuckle Rose」に至ってニコニコ、そして最後の「Volta」でのレジーナの震える声にはやけに感傷的になってしまう。生きていることも悪くないねと大袈裟に思ってしまうのもふたりの力か。


本多滋世@阿佐ヶ谷天

2016-06-06 07:22:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

阿佐ヶ谷の天で、本多滋世さんのフリージャズトリオを観る。

Shigeyo Honda 本多滋世 (ds)
Junji Mori 森順治 (as, fl, bcl)
Yutaka Kaido カイドーユタカ (b)
Hiroshi Kumakiri 熊切寛 (as)

前に本多さんのプレイを観たのはもう3年も前だった。そのときはブラッシュワークがいいなと思っていたのだが、今回、フリーということもあってかパワーアップしていた。リズムの風に加えて、ブラシを激しく叩いてべちべちと異音がするなんて、聴いていて覚醒するようでさらに素晴らしかった。

森順治さんのアルトは、M.A.S.H.のときとは随分また違っていて、メロディーにも惹かれる感覚で、ドラマチックでもあった。これにカイドーユタカさんのイイ音のピチカートが時間を刻んでゆく。さらに後半、アルトの熊切さんが飛び入り参加して、森さんとは対照的なシームレスな音で興奮度を増していった。

滅多に来なかったけれど、阿佐ヶ谷でなければ聴けないものがあるということである。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4

●参照
宮野裕司+中牟礼貞則+山崎弘一+本多滋世@小岩フルハウス(2013年)
M.A.S.H.@七針(2016年)
森順治+橋本英樹@Ftarri(2016年)
M.A.S.H.@七針(2015年)