Sightsong

自縄自縛日記

アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』

2016-10-23 23:48:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(Freedom、1970年)を聴く。

Band A:
Paul Bley (syn, p)
Annette Peacock (b, vo)
Han Bennink (ds)

Band B:
Paul Bley (syn)
Annette Peacock (p)
Han Bennink (ds)

Band C:
Paul Bley (syn, p)
Annette Peacock (p, vo)
Mario Pavone (b)
Laurence Cook (ds)

何だか視てはならない禁断の園のようなのだが(カーラ・ブレイとスティーヴ・スワロウのように)、そんな下世話なことは置いておいても、音楽でもやはりアツアツである。ふたりでモーグのシンセサイザーを使って、たぶんあれこれと効果を試して、盛り上がっていたのだろうね。一聴してサイケデリックでもあるが、そんなウキウキ感も伝わってくる。

1曲目と2曲目ではハン・ベニンクが参加し、後ろでたいへんな勢いで叩きまくっている。しかし愛のシンセを前にしてはかれも脇役になってしまう。(アネットのベースは何だかよくわからないのだが。)

信頼感たっぷりで、未来志向的で、楽園的で、良いサウンド。

●参照
マリリン・クリスペル+ルーカス・リゲティ+ミシェル・マカースキー@The Stone(2015年)
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』(2001年)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
チェット・ベイカー+ポール・ブレイ『Diane』(1985年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(1962-63年)


北井一夫×HMT『過激派 AGITATORS』

2016-10-23 12:11:35 | アート・映画

以前から、北井一夫さんの写真をスライド上映しながらHMT(広瀬淳二、望月芳哲、IronFist辰嶋)がプレイするというライヴをやっていた(少なくとも2回?)。残念ながらいちども足を運ぶことができなかったのだが、最近そのDVDが出た。2015年だろうか、新宿ウルガでのライヴである。

すっかり忘れていて、北井さんの写真展に置いてあって思い出し、めでたく入手した。

Kazuo Kitai 北井一夫 (写真)
Junji Hirose 広瀬淳二 (sax)
Yoshinori Mochizuki 望月芳哲 (b)
IRONFIST Tatsushima IRONFIST辰嶋 (ds)
Masashi Noda 野田昌志 (撮影)
Tsunehito Eda 江田恒仁 (監督)

北井さんの写真は1960年代から70年代。最初の「風景」では、『村へ』あたりの作品が中心となっており、過激さとは表面的にほど遠い写真世界に、望月さんのベースが轟音で突き刺さる。次の『神戸港湾労働者』において、辰嶋さんのドラムソロ、やがて望月さんが加わり、開始から25分くらい経ったころに広瀬さんが入ってくる。

そして「抵抗/過激派/バリケード」。人間が物理的に過激となる瞬間はこの作品群においてとらえられているのだが、写真と音楽との関係性のようなものは驚くほどその前と変わらない。それも写真が写真として確固として存立しているからであり、これがなにものかを利用する写真であったなら、このときには利用されていたに違いない。

それにしても轟音1時間。広瀬さんのサックスは高音域で淡々と暴れ、辰嶋さんのドラムスもまた淡々として激しいパルスを叩きこんでいる。ベースを弾く望月さんは対照的に恍惚の表情を浮かべ、その影が常にスライドの右側にある。ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺のオペラ』における影と同様に、互いがなんであろうと揺るがない印象を抱く。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『津軽 下北』(1970-73年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)

●広瀬淳二
『HMT』(2016年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
広瀬淳二『SSI-5』(2014年)
広瀬淳二+大沼志朗@七針(2012年)
広瀬淳二『the elements』(2009-10年)


北井一夫『津軽 下北』

2016-10-23 09:33:49 | 東北・中部

六本木のZen Foto Galleryに足を運び、北井一夫『津軽 下北』を観る。

1970-73年に津軽・下北において撮られた写真群の、ヴィンテージプリントである。ちょうど『村へ』『流れ雲旅』『湯治場』の時期にあたる。

どこを切ってもそうなのだが、これらもやはり北井写真の髄、子どもや老人の佇まい、道や雪や橋や建物の佇まいが、震えてしまうほど良い(未見の方には全力で推薦したい)。

北井さんによれば、すべてキヤノンの25mmを使ったそうであり、そのために、このレンズの特徴とも言える光芒が見える作品もある。フィルムはTri-X、ISOは400か1600に増感。柔らかい露出も、ハイコントラストなものもある。北井さんは、暗いところで400にしたり、雪景色で1600にして粒子が荒れたりして、まあばらばらだねと苦笑している。経年変化もばらばらで、黄ばんでいるものは下で蒸れたり定着液の具合だったりじゃないか、とのこと。

2013年のモダンプリント(バライタ紙)も箱の中から1枚ずつ観ることができた。どれもやはり笑ってしまうほど良いのだが、中でも、駅かバス停かの待合室の写真に魅かれた。『湯治場』と同様に、外から光が差し込む暗がりの様子が印画紙に写しこまれていて、息を潜めてしまうのだ。バス停の外で子どもたちを撮った写真(上記のDM)は、面白いことに、モダンプリントでは皆の視線が若干違っている。北井さんは、あれ隣のコマと間違えたかなとまた苦笑。

沖縄の写真界についてひとしきりお話をしたのだが、やはり、北井さんの見解は、写真に政治を持ち込むべきではない、革命でも起きるなら別だが、政治に従属する写真は写真としては終わりだ、というものだった。わたしはどちらについてもそれなりに納得してしまう。しかし、北井さんの写真のおそるべき強度はそのスタンスと切り離せないように思える。

この12月に、「週刊読書人」での北井さんの連載が日本カメラからまとまった形で刊行されることを機に、南青山のビリケンギャラリーにおいて次の写真展を開くのだという。前回『流れ雲旅』のときに、東通村で撮られた写真を購入してしまい、ちょうど受け取って持ち帰ってきたところである。本も写真展も楽しみだ。

最近はというと、やはりソニーのαにエルマー50mmF3.5を装着して撮っており、作品としてまとめるのは来年後半かな、と。

●北井一夫
『COLOR いつか見た風景』
『いつか見た風景』
『道』(2014年)
『Walking with Leica 3』(2012年)
『Walking with Leica 2』(2010年)
『Walking with Leica』(2009年)
『北京―1990年代―』(1990年代)
『80年代フナバシストーリー』(1989年/2006年)
『フナバシストーリー』(1989年)
『英雄伝説アントニオ猪木』(1982年)
『新世界物語』(1981年)
『ドイツ表現派1920年代の旅』(1979年)
『境川の人々』(1978年)
『西班牙の夜』(1978年)
『ロザムンデ』(1978年)
『遍路宿』(1976年)
『1973 中国』(1973年)
『流れ雲旅』(1971年)
『湯治場』(1970年代)
『村へ』(1970年代)
『過激派』(1965-68年)
『神戸港湾労働者』(1965年)
大津幸四郎・代島治彦『三里塚に生きる』(2014年)(北井一夫出演)


アル・ヘイグ『A Portrait of Bud Powell』

2016-10-23 08:35:11 | アヴァンギャルド・ジャズ

アル・ヘイグ『A Portrait of Bud Powell』(DIW、1977年)を聴く。

Al Haig (p)
Jamil Nassar (b)
Frank Gant (ds)

レコ屋の中古棚を見ていて少し驚く。いかにも日本製作盤のピアノ・トリオ、しかもジャズ・ジャイアントへのオマージュ。それにしても、こんなに違うタイプのピアニストを連れてくるとは。

アル・ヘイグは言うまでもなくビバップ創成期からのピアニストであり、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーとも共演している。とは言え、激しくエネルギーを爆発させるような人ではなく、上品端正にバッキングしていた印象。『Today!』なんかのリーダー作では軽やかなピアノを弾いていた。

そんなわけで、血肉のようなバド・パウエルの音楽が、ヘイグによってどのように変わったのか。ここでは「Bouncing with Bud」「Strictly Confidential」「Dance of Infidels」などのパウエル曲を取り上げているのだが、聴いてみると、まったく無理してパウエル的なものを創りあげるでもなく、あくまでヘイグは、外に激情を露出させるでもなく、端正にピアノを弾いている。「I'll Keeping Loving You」だけはオリジナルを尊重してかソロだが、腐乱臭などまったく漂ってこない。これはこれで、ヘイグのピアノ・トリオ作として好きになりそうである。

●参照
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(1960年代)
「3人のボス」のバド・パウエル(1961年)
穐吉敏子@Mezzrow(2015年)
サシャ・ペリー『eretik』(2005年)