Sightsong

自縄自縛日記

安富祖貴子@Parker's Mood jazz club

2016-10-17 09:49:52 | アヴァンギャルド・ジャズ

那覇・久茂地のParker's Mood jazz clubに足を運び、安富祖貴子のライヴ(2016/10/16)。

Takako Afuso 安富祖貴子 (vo, p)
Yoshiya Chinen 知念嘉哉 (g)
Hitomi Uratani 浦谷仁美 (b)

これまでCDを聴いて想像していた姿とは異なり、安富祖さんは激しくスピーディーに歌った。また、久しぶりで緊張すると言いながら、ピアノを弾きながら歌いもしたのだが、それがまたとてもブルージーで感じ入るものだった。曲想からもコール&レスポンスの形からも、もとはジャズではなかったのではないかと思ってしまうのだがどうだろう。

途中で「All Blues」を歌った。ディー・ディー・ブリッジウォーターを思い出して聴いていたところ、やはり、ディー・ディーが好きだとステージで話していた。この先、歌が爛熟してディー・ディーのような存在となることを期待。

ギターの知念さんのプレイは音がくっきりして確信的なフレーズ、素晴らしかった。どこかに吹き込んでいないのだろうか。

ところでハコのノリは東京とずいぶん違っていて(場所によると思うが、一般論)、「どんどん撮って、上げて、楽しんでくださいね~」なんて言ったりして、また客も思い思いの手拍子。私はリラックスして好きである。しかし、カウンターのスツールがアメリカ人向けかと思ってしまうほど高すぎてちょっと疲れた。

Fuji X-E2、XF60mmF2.4、XF35mmF1.4


平敷兼七×嘉納辰彦二人展『OKINAWA ランドスケープ』@平敷兼七ギャラリー

2016-10-17 09:08:37 | 沖縄

浦添の「平敷兼七ギャラリー」に足を運び、平敷兼七×嘉納辰彦二人展『OKINAWA ランドスケープ』を観る。このギャラリーは、2009年に亡くなった平敷兼七の娘さんが開いた場であり、「日曜美術館」の平敷兼七特集でも紹介されていた。

ギャラリーの手前には嘉納辰彦、奥には平敷兼七。どちらも1960年代や70年代の古い沖縄を中心とした写真群である。

やはり平敷兼七の写真は素晴らしい。プリントはわりに濃い目である。何が絶妙なのか説明できないもどかしさがある。とにかく人との距離感がとても良いのだ。2008年にニコンサロンで開かれた個展『山羊の肺』には感動を覚えてしまったのだが、そのときと同様に、会場を何周もしてしまう。(ところで、映画館の写真が妙に多いのはなぜだろう。)

休憩スペースには、若い時の平敷が南大東島を訪れたときの手記のコピーが置いてあった。貧窮し、他者との関係に思い悩みながら、写真とは何かについて、誠実極まりない文章が記されている。

嘉納辰彦の写真は、街のお店の人たちのポートレートが中心である。プリントも目線も優しい印象だった。

平敷兼七が南大東島を訪れたときの手記(1970年)

大判カメラ

●平敷兼七
「日曜美術館」の平敷兼七特集(2016年)
仲里効『フォトネシア』(2009年)
『LP』の「写真家 平敷兼七 追悼」特集(2009年)
平敷兼七、東松照明+比嘉康雄、大友真志(2008年)
沖縄・プリズム1872-2008(2008年) 


石川竜一『CAMP』@tomari

2016-10-17 08:46:17 | 写真

那覇のtomariに足を運び、石川竜一『CAMP』。沖縄ではなく、最小限の設備で本州の山に身を置き、撮った作品群である。

石川竜一のこれまでの作品には、ヒトの生々しさが慄然とさせられるほどのヤバさで焼き付けられていた。どう考えてもタダモノではない写真家なのだった。

この作品群からも、(以前の衝撃の余震かもしれないのだが)ヤバさらしきものが届いてくる。つまりバランス感とか調整とかいったものを力でねじ伏せるか暴力的に目を瞑るかによって葬り去り、なにか視てはならないものを顕示させられてしまったような感覚である。プリントを凝視していると、自然の中で、音が聴こえること、皮膚が感じること、自分の身体がそこにあることなどを、敢えて剥ぎ取って写真というものにしたのだという声が聴こえてくるようだ。在廊されていた石川さんとはそんな話はしていないのだけれど、どうなのだろう。

●参照
「日曜美術館」の平敷兼七特集(2016年)(石川竜一氏インタビュー)
『越境広場』1号(2015年)(豊里友行氏と石川竜一氏との対談)
松下初美、川島小鳥、石川竜一、サクガワサトル(2015年)


比嘉良治&北島角子『砂浜にのこり、歌にきざまれた人びとの夢・沖縄』出版祝賀会

2016-10-17 08:00:31 | 沖縄

作品を創ったおふたりのカチャーシー

『けーし風』編集長の岡本由希子さんにお誘いいただいて、比嘉良治&北島角子『砂浜にのこり、歌にきざまれた人びとの夢・沖縄』の出版祝賀会(那覇セントラルホテル)に行ってきた。(ありがとうございます。)

この作品は、写真家の比嘉良治さんが撮ったサンゴ礁の接写のひとつひとつに、沖縄芝居役者の北島角子さんが命名するという実にユニークなもの。サンゴ礁は人格を持っているようでもあり、また命名されたことばも何かそれ以上を言いたくてうずうずしているようでもあり。作品展が今沖縄で開催されているから鑑賞に行こうと思っている。

比嘉良治(ヨシ比嘉)さんの写真については、以前に『海と岩の語りを読む・琉球列島』を観て、琉球石灰岩のマチエールや皮膚感の強調が印象的だった。また、抽象的な写真作品やニューヨーク生活の本があることも知っていた。本当に独特な世界観なのだとあらためて思った。

会場では、写真家の國吉和夫さんがわたしのカメラに目をつけて、おおっそりゃなんだと話しかけてきてくださった。國吉さんはいまはデジタル中心だが(キヤノンのデジタル一眼を下げていた)、以前はライカM3にズミクロン50mm、ライカIIIfになにか28mmを付けていて、コザ暴動の車が燃える写真は前者で撮ったのだという(「コザ暴動プロジェクト in 東京」で展示)。

写真家の比嘉豊光さんからは、いまの沖縄写真を巡る議論について伺った。迂闊にも知らなかったのだが、『越境広場』の第2号で、東松照明についての論考が特集されている。その中で、新里義和「東松照明×森山大道」において、東松照明がかつての自身の発言を否定していたとのくだりがあった。ちょっとこれは個人的には大きな驚きであり、確かめてみなければならない。

また、活動を勝手に敬愛する建築家の真喜志好一さんや、宮城晴美さん、佐喜眞美術館の上間かな恵さんともお話をさせていただいた。良い時間だった。

撮影する國吉和夫さん

真喜志好一さんと比嘉良治さんとのハグ

比嘉豊光さん手持ちの、東松照明の発言否定についての箇所

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●参照
比嘉良治『海と岩の語りを読む・琉球列島』