Sightsong

自縄自縛日記

石原雄治+山崎阿弥@Bar Isshee

2018-03-23 00:40:20 | アヴァンギャルド・ジャズ

千駄木のBar Issheeにおいて、石原雄治+山崎阿弥(2018/3/22)。予定ではTUMOのゲスト・山崎さんだったが、竹下勇馬さんが高熱を出してしまったということで。

Yuji Ishihara 石原雄治 (ds)
Ami Yamasaki 山崎阿弥 (voice)

1時間を超えるパフォーマンスを1セット。

やはり山崎さんのヴォイスは驚異そのものだ。というのは、経験上決めてしまっている人の声の閾値をやすやすと超えてしまうからであり、何度も聴きながらいやこれはないと引いてしまうことがあった。

だが、それだけではない。「しち」「はち」といったことばを発展させてゆきつつ、音と意味との領域を互いに侵犯させてもいるのだった。また、ちあきなおみが降りてきてなめらかな歌声が流れ出てきたかと思えば、そこからシームレスに獣に、また童女に変身してゆく。

これが延々と1時間以上も続くのであり、一刻も目を離せない。一方の石原さんは、摩擦を音に変えるテクニックを展開しつつも、ときにビートによってヴォイスとの共犯的なグルーヴを創り出した。

もし竹下さんが参加していたなら、山崎さんは電子音にも擬態していたのかもしれない。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●石原雄治
TUMO featuring 熊坂路得子@Bar Isshee(2017年)
窓 vol.2@祖師ヶ谷大蔵カフェムリウイ(2017年)
『《《》》 / Relay』(2015年)
『《《》》』(metsu)(2014年)

●山崎阿弥
岩川光+山崎阿弥@アートスペース.kiten(2018年)


Cool Meeting vol.1@cooljojo

2018-03-22 08:06:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

本八幡のcooljojoにおいて、「Cool Meeting vol.1」(2018/3/21)。

■ 鵺魂

Nuetama 鵺魂:
Tamayurahitode 玉響海星 (琵琶, voice, perc)
Tamayurakurage 玉響海月 (perc)
+
Lorena Izquierdo Aparicio (dance, voice)

鵺魂のおふたりに、ちょうど来日中のロレーナ・イスキエルド・アパリシオ(スペイン出身、ベルリン在住)さんがゲストで加わった。

真ん中に立ったロレーナさんは、海月さんが選びつつ放つパルス(打楽器も、ペットボトルや新聞紙も)に呼応して新聞紙を破り、海星さんの慄くようなヴォイスに呼応して声とも何ともわからぬ音を発した。このインタラクションが素晴らしいものだった。ロレーナさんは手の染料で顔の半分を黒く塗り、破った新聞紙を銜え、衣装の中に詰め込み、そして、黒いテープで両目を覆いつつよろよろと歩いた。皮膚の色も、塵で不自由になることも、またトルコのオジャランを想起させるような拷問も、あとで振り返ってみれば直接的であり示唆的だ。しかし、観ている間はそのようなことを考えられないほどの迫りくる力を持っていた。

■ 新井麻木

Maki Arai 新井麻木 (g, noise)

ラジオのような音を流しながらギターを弾く。一音ごとのピッキングが突き抜けており、独特なサウンドを形成した。やがてノイズが戻り、弦で弾きながら、音の奔流を創り出していった。

新井さんのプロフィールには高柳昌行ゼミ修了とある。

■ 高橋麻理絵+照内央晴

Marie Takahashi 高橋麻理絵 (viola)
Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
+
Lorena Izquierdo Aparicio (dance, voice)

はじめは高橋・照内デュオ。高橋さんもベルリン在住。  

高橋さんのヴィオラをはじめて聴くのだが、硬い石を擦るような感覚、その上で滑り触手を拡げる音がとても印象的だった。温度が伝わってくる音というべきか。照内さんはその音と衝突するというよりも、櫛の歯を互いに差し込むようにプレイ繰り広げ、終盤に、大きな展開の変化をはかった。それに対する高橋さんの飛翔もまた良かった。

いったんは終わり、そして、ロレーナさんを加えてもう1セット。何を思ってか、透明のテープを片手に巻き続け、皆がそれを注視する。巻き終わり、ロレーナさんは塊を噛んで終了した。やはり示唆的でありながらこちらの思考を独立させない驚きのパフォーマンスだった。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●鵺魂
宙響舞@楽道庵(2017年)

●照内央晴
Wavebender、照内央晴+松本ちはや@なってるハウス(2018年)
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)
照内央晴・松本ちはや《哀しみさえも星となりて》 CD発売記念コンサートツアー Final(JazzTokyo)(2017年)
照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)


ドン・プーレンのピアノトリオとシンディ・ブラックマン

2018-03-21 14:00:42 | アヴァンギャルド・ジャズ

新生ブルーノートにはヘンなものもあったけれど、一方では鮮烈な作品もあった。トニー・ウィリアムスの諸作もそうだったし、ドン・プーレン『New Beginnings』(Blue Note、1988年)も好きだった。

Don Pullen (p)
Gary Peacock (b)
Tony Williams (ds)

とは言え思い出して改めて聴いてみると、綺麗に小ぢんまりとまとまっている感もあって、せっかくのドン、せっかくのトニーなのだからもっと暴れて欲しかったところである。録音のせいもあるのかな。

最近、ドン・プーレンの同時期のピアノトリオ盤が手元に来た。『Jazzfestival Saalfelden 1990』(Jazz Time、1990年)と『Live at Queen Elizabeth Hall 1992』(Jazz Time、1992年)の2枚、両方ともドラムスがトニーではなくシンディ・ブラックマン。

Don Pullen (p)
James Genus (b)
Cindy Blackman (ds)

Don Pullen (p)
Hilliard Green (b)
Cindy Blackman (ds)

『Jazzfestival Saalfelden 1990』でも、『New Beginnings』と同じく名曲「Warriors」を演奏しているのだが、比べるとこっちのほうが勢いがあって面白い。それに貢献しているのはシンディ・ブラックマンであり、独特な推進力を持つジェームス・ジーナス(今となっては古くさい?)。一方、既にトニー・ウィリアムスが自分自身の再生産に入っていたような気もする。プーレンも缶詰の中ではない楽しさがある。同時期のアルバム曲の「Random Thoughts」などプーレンらしき破裂旋律を惜しみなく披露する。

『Live at Queen Elizabeth Hall 1992』はもっと上品な演奏であり、最初はピアノソロで攻めてゆき、途中からベースとドラムスとが参入する形。冒頭の「Richard's Tune」はムハール・リチャード・エイブラムスに捧げられている。

この時期のシンディ・ブラックマンのピアノトリオと言えば、彼女のリーダー作『Autumn Leaves』(Ninety-One、1989年)がある。ピアノはマーク・コーエンであり、破天荒鳴門渦潮のプーレンと比較してはならないのだが、これもまた十分に聴き応えがある。チャーネット・モフェットのベースは既にハイテクを駆使しているし、ブラックマン自身がエネルギーを発散しているということもある。ブラックマンはもともとトニー・フリークだったはずで、バスドラの強力な使い方なんて確かにトニーの影響かなと思えたりもするのだが、単なるフォロワーではない。いちどメルボルンでプレイを観たときには、トニーとは全然異なるダークパワーに圧倒された記憶がある。

Cindy Blackman (ds)
Marc Cohen (p)
Charnett Moffett (b)

●ドン・プーレン
サム・リヴァースをしのんで ルーツ『Salute to the Saxophone』、『Portrait』(1992年、1995年)
ジョージ・アダムスの甘甘作品(1979-84年、1988年)

●シンディ・ブラックマン
メルボルンでシンディ・ブラックマンを聴いた(2008年)
シンディ・ブラックマン『A Lil' Somethin', Somethin'』(1980年代後半~90年代前半) 


「失望」の『Lavaman』

2018-03-20 00:11:13 | アヴァンギャルド・ジャズ

「失望」(Die Enttäuschung)の新作『Lavaman』(Intakt、2017年)が出た。

Axel Dörner (tp)
Rudi Mahall (bcl, cl)
Jan Roder (b)
Michael Griener (ds)
Christof Thewes (tb)

ドラムスが交代して、さらにトロンボーンが参加した。このことがサウンドと精神の爛熟(腐乱?)ぶりに拍車をかけたのだろうか。

もちろんアクセル・ドゥナーのトランペットは完璧であるし、ルディ・マハールのバスクラはこれまでと同じくユニークでうねうねしている。しかしそれはそれとして、何なのだろう。音楽を前に進めるつもりがあるのだろうか。自分自身を含めて戯画のように振る舞い、ルールは笑い飛ばすように無視。変態め!聴いていると頭がどろんとして意識を失いそうになってくる。最高である。

あらためてディスコグラフィーを眺めると、聴いていない作品がいくつもある。なかでもアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハと失望とが組んだ『Monk's Casino』が未聴、これではいけない。

なんにしても、ドゥナーの4月の再来日が楽しみである。

●失望
「失望」の『Vier Halbe』(2012年)
『失望』の新作(1995、2004年)

●ルディ・マハール
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『Jazz Now! - Live at Theater Gütersloh』(2015年)
アンサンブル・ゾネ『飛ぶ教室は 今』(2015年)
「失望」の『Vier Halbe』(2012年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
『失望』の新作(2007年)
高瀬アキ『St. Louis Blues』(2001年)

●アクセル・ドゥナー
アクセル・ドゥナー+村山政二朗@Ftarri(2018年)
PIP、アクセル・ドゥナー+アンドレアス・ロイサム@ausland(2018年)
「失望」の『Vier Halbe』(2012年)
アクセル・ドゥナー+オッキュン・リー+アキム・カウフマン『Precipitates』(2011、-13年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbestandige Zeit』(2008年)
『失望』の新作(2006年) 


岩川光+山崎阿弥@アートスペース.kiten

2018-03-18 23:15:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

山崎阿弥さんがNYから一時帰国中で、急遽、ライヴが組まれた。SNSとは凄いものだ。1本目は岩川光さんとのデュオ(2018/3/16)。2本目は、2018/3/22、Bar Issheeにて、TUMOとの共演。そして3本目は、3/23、黒田京子さんとの共演(!)だそうである。

Hikaru Iwakawa 岩川光 (笛)
Ami Yamasaki 山崎阿弥 (voice)

岩川光さんはずっと気になる人ではあったのだけれど、ナマで演奏を観る機会ははじめてだ。

また、わたしが昨年9月にケヴィン・シェイと歩いてNY・クイーンズのTrans PecosにPulverize the Soundを観に行ったところ、山崎さんもピーター・エヴァンスに興味があるのだと言って来ておられて、またシェイとも旧知の仲のようで、無知なわたしはそこで山崎さんの存在を知ることとなった。その後、白石民夫さんや外山明さんとの共演の映像や、R2D2の声をやりたいというアピールの映像をネットで観て仰天し、ぜひその声を体感したいと思っていた。最近ではカール・ストーン、ネッド・ローゼンバーグと共演もしているようで興味津々。

会場のアートスペース.kitenは東陽町のマンションの一室だった。探し当てるまでに右往左往してしまった。靴を脱いで中に入ると、床に岩川さんの使う楽器が所せましと並べられていて、ふたりが愉しそうに談笑している。しかしパフォーマンスの時間が近くなると緊張感が張り詰めてくるのがわかる。

大きな羽根を手に、岩川さんは何ごとかを呟いている。「パチャママ」と聴こえたことからも、アンデスの大いなるものへの呼びかけでもあったのだろうか。やがて葉っぱのついた枝を振り、筒の片方に鼓が張られ、そこからバネが垂れ下がっているために雷の音がする「thunder drum」を鳴らす。一方の山崎さんはいきなり激しく首を横に振り物理的に震える声を発し、喉も鳴らしはじめた。

そこからのふたりの変化は落ち着いていながらも実に多彩なものだった。

小さな縦笛が何本も連なった、サンポーニャのようなパンパイプ。大きく身体を動かしながらの足踏み。生物をかたどった焼き物の笛には水が少し注がれており、傾けても吹いても古くからの音がする。太く大きな竹の横笛。長い縦笛の2本吹き。紐に結わえられて風を切る重し。倍音を出す喉笛。金属の大きな器を使った残響。ラオスの竹製の口琴。オカリーナ。マラカス。親指ピアノ。北米チェロキー族のものだという大きく平らな笛。羽根。大きな貝。

一方の山崎さん。鳥の声が電子音に化ける。指で喉を、拳で胸を突くことによる衝撃。狼と犬の遠吠え。シャーマンの呟き。龍ののたうちを思わせる長い声。口笛。蝋燭との遊び。2本の指が人間に擬態しての歩行。戦慄してしまうような囁き。こだま。絞り。うなり。コップに水を注ぐ。

こういった音楽とパフォーマンスの要素が、狭くも広くもある空間において、独立して勝手に遊び、あるいは互いに接近した(どちらかと言えば、山崎さんからのちょっかいが多かった)。ときに接近がグルーヴを生み出した。超絶技巧と言えば簡単だが、実際に目の当たりにするとたいへんなものだ。それが次々に開陳され、まるで何かの風景を視ているかのような心地にさせられた。

終わってから懇親会。岩川さんの語りは演奏の続きのようでとても面白い。山崎さんはこの5月までNYにいて、そのあとフィリピンに渡り、コラボレーションというものを追究するということである。観に来た方々も主催者もみんな興味深い話、いい時間だった。(そのせいで飲み過ぎてしまい翌日二日酔いで苦しむことになった。)

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4


トリオ・ウィリディタス『waxwebwind@ebroadway』

2018-03-18 22:48:55 | アヴァンギャルド・ジャズ

トリオ・ウィリディタス『waxwebwind@ebroadway』(clean feed、2000年)を聴く。

Trio Viriditas:
Alfred Harth (sax, cl)
Wilber Morris (b, voice)
Kevin Norton (ds, vib, perc)

アルフレート・ハルト(ここでは真ん中のマジックワード「23」を付けていない)は、ドイツでの長い活動のあと、いちどはNYを拠点にした。そのとき組んだグループが「トリオ・ウィリディタス」であり、2000-02年に活動し、本盤ともう1枚のアルバムを吹き込んでいる。

ウィルバー・モリスと言えばやはり印象深いのはデイヴィッド・マレイとの共演なんかであり、多彩な顔を持つハルトが「ジャズ」をやっているとどうも奇妙な感じがする。いや意外なほど「ジャズ」であり、もちろん面白いのだ。この路線を続けていたらどうなっていただろう。

しかし2001年9月11日に同時多発テロ事件があり、2002年にはモリスが他界し、ハルトは、もうNYに残る意味が見いだせなかったのだとあるインタビューで語っている。そしてかれは韓国人のパートナーとともに韓国に移り住み、現在に至る。

●アルフレート・23・ハルト
二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+アルフレート・23・ハルト+竹下勇馬@Bar Isshee(2017年)
大城真+永井千恵、アルフレート・23・ハルト、二コラ・ハイン+ヨシュア・ヴァイツェル+中村としまる@Ftarri(2017年)
アルフレート・23・ハルト『Pollock』(1997年)

●ウィルバー・モリス
アンドリュー・ラム『Portrait in the Mist』(1994年)
ビリー・バング『Rainbow Gladiator』(1981年)

●ケヴィン・ノートン
ケヴィン・ノートン『Intuitive Structures』
(2002年)


クリスペル+ドレッサー+ヘミングウェイ『Play Braxton』

2018-03-18 17:06:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

クリスペル+ドレッサー+ヘミングウェイ『Play Braxton』(Tzadik、2010年)を聴く。

Marilyn Crispell (p)
Mark Dresser (b)
Gerry Hemingway (ds)

タイトル通り、この傑出した3人によるピアノトリオで、アンソニー・ブラクストンの曲を演奏するというアルバムである。

ブラクストンの音楽の面白さはいろいろあると思うのだけれど、抑揚のない微分的・記号的なサックス演奏だけでなく、グルーヴやスイングや目の前の熱さを敢えて排した幾何学的な作曲も、そのひとつに違いない。クリスペルは80年代から90年代にブラクストンと行動を共にしていたわけであり、ピアノであれば、ブラクストン自身を除けばクリスペルが適任である。

狂ったように奇妙な曲に沿って執拗に攻めるところなど面白くはある。しかし、この盤が面白いかと言えばちょっと微妙なのだ。ブラクストン要素はもはやブラクストンではないのかもしれない。

●マリリン・クリスペル
マリリン・クリスペル+ルーカス・リゲティ+ミシェル・マカースキー@The Stone(2015年)
「ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記」(2015年)
ガイ+クリスペル+リットン『Deep Memory』(2015年)
プール+クリスペル+ピーコック『In Motion』(2014年)
ゲイリー・ピーコック+マリリン・クリスペル『Azure』(2011年)
ルイス・モホロ+マリリン・クリスペル『Sibanye (We Are One)』(2007年)
マリリン・クリスペル『Storyteller』(2003年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)
ペーター・ブロッツマン
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
映像『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)

●マーク・ドレッサー
マーク・ドレッサー7@The Stone(2017年)
マーク・ドレッサー7『Sedimental You』(2015-16年)
マーク・ドレッサー『Unveil』、『Nourishments』(2003-04年、-2013年)
『苦悩の人々』再演
(2011年)
スティーヴ・リーマン『Interface』(2003年)
藤井郷子『Kitsune-Bi』、『Bell The Cat!』(1998年、2001年)
ジェリー・ヘミングウェイ『Down to the Wire』(1991年)
ジョン・ゾーン『Spy vs. Spy』(1988年)

●ジェリー・ヘミングウェイ
WHOトリオ@新宿ピットイン(2015年)
レジー・ワークマン『Summit Conference』、『Cerebral Caverns』(1993年、1995年)
マリリン・クリスペル+バリー・ガイ+ジェリー・ヘミングウェイ『Cascades』(1993年)
ジェリー・ヘミングウェイ『Down to the Wire』(1991年)


橋本孝之+内田静男『UH』

2018-03-18 10:42:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

橋本孝之+内田静男『UH』(An'archives、-2018年)を聴く。

Takayuki Hashimoto 橋本孝之 (as, harmonica)
Shizuo Uchida 内田静男 (b)

An'archivesはフランスのレーベルである。CDながらジャケットは美しいシルクスクリーンの7インチ。ポストカードが挿入されており、とても凝っている。250枚限定。

内田さんのベースは和楽器のようでもあり、暗闇を暗闇として引き立たせている。そこに、生きているのだぞと叫ぶように斬り込んでゆく橋本孝之のアルト。しかし何度斬り込んでも闇は闇、ブロウが大きな意思の中に吸収されるのみ。

橋本さんはハーモニカに持ち替え、闇に斬り込んで生存証明を図るのではなく、闇の中に溶け込んで大いなる意思と一体化してゆく。隣を歩く内田静男のベースとともに発散する、いたたまれない哀しさがある。

またアルトに持ち替えて、生きるも死ぬもない、叫ぶしかない怖さをまた創り出す。

●橋本孝之
Psychedelic Speed Freaks/生悦住英夫氏追悼ライヴ@スーパーデラックス(2017年)
第三回天下一Buzz音会 -披露”演”- @大久保ひかりのうま(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)
橋本孝之『ASIA』(JazzTokyo)(2016年)
グンジョーガクレヨン、INCAPACITANTS、.es@スーパーデラックス(2016年)
.es『曖昧の海』(2015年)
鳥の会議#4~riunione dell'uccello~@西麻布BULLET'S(2015年)
橋本孝之『Colourful』、.es『Senses Complex』、sara+『Tinctura』(2013-15年)

●内田静男
むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる(Albedo Gravitas、Kみかる みこ÷川島誠)@大久保ひかりのうま(2017年)
Psychedelic Speed Freaks/生悦住英夫氏追悼ライヴ@スーパーデラックス(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年)


齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会

2018-03-18 09:28:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

板橋大山教会にて、齋藤徹・喜多直毅デュオ(2018/3/17)。

Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Naoki Kita 喜多直毅 (vln)

このふたりのデュオは、昨年の6月に巣鴨レソノサウンドで観て以来である。そのときはまだテツさんの手術前でもあり、また、雨が降っていて、昔の病院ならではの独特の雰囲気もあって、なんだか秘められたようなサウンドだった印象がある。この日は春の光が射しこむ板張りの教会において、より開かれて明るいサウンドのように思えた。音は適度に吸収されて、雰囲気のままの柔らかいものだった。

ファーストセット。ふたりは弦を優しく慰撫するように音を出し始めた。チューニングや音合わせが、シームレスに音楽となる過程だった。旋律が対位しつつ、激しさを増し、破綻のマージナルなところとの間を行き来する。やや静かになって、テツさんが弓から弦へ、また弓へと、そのたびに音風景が変わるのだが、面白いことに、喜多さんのヴァイオリンはその変化を惜しみ前の風景を残すように弾く。そして中東的な旋律も、(驚くべきことに)笛のような音も発する。以前に喜多さんが「他のものの真似をするのが好き」だと冗談めかして言った記憶があるのだが、この憑依は真似ではない。

ここに来てふたりの音がシンクロし、豊かな倍音を創り、デュオであることの必然性があらわになった。喜多さんは薄目を開けてテツさんの様子を窺う、しかしそれは挙動ではなく音そのものを見ているに違いなかった。寒く孤独な風景が見える。かすれ、軋んで収束した。

セカンドセット。よりリラックスして打ち解けたように、奇妙な音の遊びを展開する。またしても驚いたことに、喜多さんは弦に金具をいくつか付け、振動の長さを短くすることによって、親指ピアノ的な音を出し始めた。この遊びがしばらく続いたのだが、テツさんがサウンドに介入することを待っていたようであり、「はやく、はやく」と呟き、場内爆笑。テツさんは苦笑いしながらコマを弦に噛ませ、棒で撥音を出し始めた。ふたりは周波数をつぎつぎにシフトし、その都度、響きをシンクロさせた。また、まるで空中に何度も弧を描きあうときもあった。

このセットでの旋律は、喜多さんの主導によるものか、中国や韓国の匂いが漂うものだった。テツさんの曲の旋律もあった。トゥヴァの民謡を思わせる瞬間もあった。蓄積と広がり、実に豊かな音楽の結実であるに違いない。倍音はうねり移動し、そして最後は、コントラバスとヴァイオリンそれぞれの弦の強度、はじくということの強度、震えるということの強度を提示して終わった。

ところで、2018年10月18日に、横濱エアジンにおいて、ロジャー・ターナーを加えたトリオで演奏する予定とのこと。

Fuji X-E2、XF35mmF1.4、XF60mmF2.4

●齋藤徹
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 

●喜多直毅
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
喜多直毅+マクイーン時田深山@松本弦楽器(2017年)
黒田京子+喜多直毅@中野Sweet Rain(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
喜多直毅クアルテット@求道会館(2017年)
ハインツ・ガイザー+ゲリーノ・マッツォーラ+喜多直毅@渋谷公園通りクラシックス(2017年)
喜多直毅クアルテット@幡ヶ谷アスピアホール(JazzTokyo)(2017年)
喜多直毅・西嶋徹デュオ@代々木・松本弦楽器(2017年)
喜多直毅+田中信正『Contigo en La Distancia』(2016年)
喜多直毅 Violin Monologue @代々木・松本弦楽器(2016年)
喜多直毅+黒田京子@雑司が谷エル・チョクロ(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年)
http://www.jazztokyo.com/best_cd_2015a/best_live_2015_local_06.html(「JazzTokyo」での2015年ベスト)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
喜多直毅+黒田京子『愛の讃歌』(2014年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)


西島芳アンサンブル・シッポリィ『Very Shippolly』

2018-03-15 08:05:17 | アヴァンギャルド・ジャズ

西島芳アンサンブル・シッポリィ『Very Shippolly』(NITECO STUDIO & MUSIC ARTS、2017年)を聴く。

Kaori Nishijima 西島 芳 (p, voice)
Tsutomu Takei 武井 努 (ts, ss, cl, fl)
Yuki Nakayama 中山雄貴 (tb)
Rabito Arimoto 有本羅人 (tp, flh, bcl)

いやこれは素敵な作品である(名前も含めて)。3管とピアノのアンサンブルは凝っていて、「Summertime」なんて聴き入ってしまった。がーんとお互いに衝突することはないが静かに面白くしっとりしっぽり。この気持ちよさには西島さんのヴォイスも貢献していて素晴らしい。水蒸気の多い空気に包まれている感覚。得も言われぬユーモアもあり、忍び笑いしているようである。

前作のピアノトリオ作品『White in Dark』(DIW THE GRACE、2013年)もやはりしっぽりしっとり、ときにエスペランサや矢野顕子を彷彿とさせるが独創的。

そのうちライヴを観に行こう。

Kaori Nishijima 西島芳 (p, voice)
Yasuhito Mori 森泰人 (b)
Anders Kjellberg (ds)


千野秀一+山内桂@Ftarri

2018-03-14 23:09:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarriにて、千野秀一・山内桂デュオ(2018/3/12)。

Shuichi Chino 千野秀一 (p, zither)
katsura Yamauchi 山内桂 (as, sopranino sax)

千野秀一さんのプレイを観るのはたぶん20年ぶりくらいで、そのときの印象は、ぴりぴりと怒気のようにも感じさせる緊張感が漂っていることだった。怖ろしい人だと覚えていた。この日、失礼ながら穏やかな雰囲気をまとっていた。

とは言え、プレイはやはり飛んでいる。ピアノにおいては、旋律のなぞりに堕すことがまるで無く、分散型そのものだ。ペダルと鍵盤を動かすことを打楽器的に扱う時間もあった。そしてツィターの音量を巧みにペダルで操作しつつも、ウレタンフォームや弦の下に挟んだスティックやビリヤードのボールを使って、常に探索的な音を発した。パフォーマティヴでもあった。

山内桂さんは、ファーストセットではアルトを吹いた。マウスピースを浅く銜え、共鳴するかせぬかのマージン、音が震えるか震えないかのマージンを撫で続けた。はじめてナマで目の当たりにしたが、想像した以上に独特だ。セカンドセットでは、アルト、ソプラニーノ、アルトと持ち替えた。ソプラニーノは、アルトとはまったく世界が異なり、音が出る底のほうから明のほうへと直線距離を走り出てくるように感じた。アルトが水平的ならばソプラニーノは垂直的という感覚だろうか。

途中で山内さんの足元に金具が落ちていて何だろうと思っていたのだが、山内さん自身が気付いた。リガチャーを止めるネジなのだった。終わってから尋ねると、いつも口から遠いほうのネジはゆるくしているからよく落ちるのだ、とのこと。そのことが音に貢献もしているに違いない。また、ソプラニーノのほうが倍音が共演者の楽器と親和的だとの発言もあったのだが、私は、アルトのかそけき音のほうでこそ倍音の立ち上がりが刺すように感じられるのではないかと思った。

●千野秀一
ジャスト・オフ『The House of Wasps』(-2015年)
A-Musik『e ku iroju』(1983年)
『風の歌を聴け』の小説と映画

●山内桂
山内桂+中村としまる『浴湯人』(2012年)
山内桂+マーティン・ヴォウンスン『Spanien』(2010年)


滝田ゆう展@弥生美術館

2018-03-11 21:23:29 | 関東

久しぶりに根津から弥生美術館まで歩いて、滝田ゆう展。

『寺島町奇譚』などにおいて、滝田ゆうは玉の井を描いた。戦前から存在した私娼街(公娼ではない)であり、1945年3月10日の東京大空襲でほとんどが焼けたのちは、1957年の売春禁止法施行までの間、赤線の街であった。「ぬけられます」なのにぬけられない、「ちかみち」なのに近くはない街。滝田ゆうはこの街の様子を実に味わい深く描いており、原画にはまた印刷物と違う良さがある。

どれも凝視してしまうのだけれど、『怨歌橋百景』での「柳橋幻夜」というカラー画がとてもいい。柳橋は永代橋を小さくしたような鉄の橋なんだな。もちろん柳橋は花街であって(柳はそのように使われる)、橋を渡るお姐さんの頭からは鈴が付けられた小さい鋏。

この絵は安倍夜郎(『深夜食堂』の)によるセレクションのひとつ。他にも、『滝田ゆう歌謡劇場』での「ゲイシャワルツ」の最後の絵が絶賛されていて確かに沁みる。暖簾越しに燗酒を飲む芸者さんの姿が影絵のように描かれているのだが、小指が立っている芸の細やかさ。

滝田ゆうはつげ義春に影響を受けたというが、画風はずいぶん異なる。しかし、『泥鰌庵閑話』には「やはり今夜はテッテ的に飲むムードです」というセリフがあって、「テッテ的」に傍点が振ってある。これはやはりつげ義春への意識だろうね。

驚き、また、しばらく目を離せなかった作品は、「沖縄情話'71 東に星が流れるとき」。『朝日ジャーナル』1971年3月の掲載である。沖縄戦、夜、崖の横のガマ。人びとが泣き血だらけになりながら、近い者を刃物や石で殺し、あるいは手榴弾で爆死している。いわゆる「集団自決」を描いたものだ。これは丸木夫妻の「沖縄戦の図」と並べて展示する機会があって欲しいと思った。


藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』

2018-03-11 09:55:55 | 関東

藤木TDC『東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く』(実業之日本社、2016年)を読む。

「ヤミ市」とは、ここでは、敗戦直後から数年の間全国各地に生じた青空市場・自由市場を指している。業態は多様であり、物品の調達ルートも違法なものを含め多様であり、土地の権利も曖昧であり、上からの統制は効かなかった。しかし1949年、東京都、警視庁、消防庁などが合同で撤去方針を出す。その結果、1950年前後に、当局が代替地をあてがい、多くは狭くて不便な横丁などに店舗を開いた。

その名残が、現在、渋い飲み屋街や街並みとなっている。自分が惹かれるところもそんな場であり、なるほどなと納得することも多い。

谷中銀座から夕焼けだんだんをのぼったあたりにある初音小路は、それが綺麗に残された形かもしれない。沖縄料理の「あさと」は最高だったが、近くに新しいバーなんかもできて盛り上がっていて、また行こうと思っている。

高架下に発展した横丁は、それと比較すると、どうしても暗闇の雰囲気が付きまとう。アメ横はもちろん好きだが、スケールが大きすぎてためらってしまい、あまり落ち着けない(万双の鞄か財布がいつか欲しい)。神田も職場から近いのにまだまだ通り過ぎるばかり。神田小路には近々立ち寄ってみようと思っているが、一方の今川小路はつい先日潰されてしまった。間に合わなかった。

横丁だけではない。新橋では代替地がビルの中でもあった。ニュー新橋ビルも、新橋駅前ビルふたつもそうであり、入ると時代を飛び越えてくらくらする。新橋駅前ビル2号館の店舗のコマ割りはヤミ市時代そのものだという。東銀座の三原橋もそのカテゴリーに入るかもしれない。シネパトスが閉館してもう5年になろうとしている(結局最後に観たのは、大島渚『戦場のメリークリスマス』だった)。

大きなビルではなく細長い長屋タイプに押し込められたタイプもある。バングラデシュ人が経営している「アジアカレーハウス」、よく見ると、そんなニュー錦糸町ビルの一部ではないか。飯田橋の千代田ビル街には、うまいワンタンメンを出している「たかはし」(四谷の「こうや」からの暖簾分け)が入っていて、雰囲気も変わっているが、ここもそうなのだった。

愛しの蒲田川崎についても言及されている(大森区と蒲田区だから大田区なのか!)。蒲田では西口のマーケットが、西口商店街やバーボンロードへと発展していった。川崎の東口を出て北に少し歩くと、朝8時半からおっちゃんたちが酒を飲んでいる最高の丸大ホールがあり、その先に「どぶろく横丁」がある(新宿の「思い出横丁」などとは異なり、そんな看板などはなく寂れている)。先日「三好苑」で安くてうまいランチを食べたばかりだが、やはり、そのようにして出来た一角なのであり、在日コリアンの人々を押し込める差別政策でもあったようだ(三好苑の方への聞き書きがあった)。

渋谷であればやはり道玄坂のあたりである。やくざと結託した警察と在日台湾人との間で起きた衝突の渋谷事件(1946年)(>> 『旗、越境者と無法地帯』@トーキョーワンダーサイト本郷)があったのだが、本書には、その前後の経緯が書かれている。これは、ニュー新橋ビルのあった新生マーケットでの両者の対立を引き継いで起きたものであった。また、外国籍の勢力が弱体化したあとに伸長した勢力が、学生やくざ時代の安藤昇(!)だったという。

それから最近よく足を運ぶ板橋。駅前には細い路地がかなり残っており、古い居酒屋も新しいいいお店もある。さらに赤羽、十条、船橋、森下・・・。これでは身体がいくつあっても足りない。


リー・コニッツ『Jazz Festival Saarbrücken 2017』

2018-03-09 08:11:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

リー・コニッツ『Jazz Festival Saarbrücken 2017』(Jazz Time、2017年)を聴く。

Lee Konitz (as, vo)
Florian Weber (p)
Jeremy Stratton (b)
George Schuller (ds)

2017年の9月にNYのJazz Galleryでリー・コニッツを観た。コニッツはボケたりギャグをかましたり悪態を吐いたりして、もちろんアルトも健在だった。そして驚いたことに、スキャットでまるでアルトのコニッツ節を聴かせてくれたのだった。

本盤はその翌月の10月、ザールブリュッケンのジャズフェスに登場したときの記録。フローリアン・ウェーバーのピアノトリオとの共演である。ウェーバーのピアノは、タッチがとても柔らかく、上品にためたバッキングを行う。

ここでも、コニッツらしさが存分に発揮されている。かれのアルトは、ごく若いときには引き締まった機敏なインプロであり、その後に次第にエアを含んでふくよかなものとなっていった。最近は、そのふくよかさからさらに肩の力が抜けて、気配を悟られずに猫のようにそこに来たり消えたりするような按配になってきた。もはや枯淡の境地である。

もちろんコニッツ節のスキャットも披露している。そういえば90年代の『Dig Dug Dog』にも妙なスキャットのタイトル曲があった。そこから20年をかけてここまで持ってきたのかと思うと感動さえ覚える。

毒も相変わらず持っていて、ステージの合間にしょうもないことを呟いている(それを打ち切るようにジェレミー・ストラットンがベースを弾き始め会場爆笑)。喰えない爺、最高。

●リー・コニッツ
リー・コニッツ+ダン・テファー@The Jazz Gallery(2017年)
リー・コニッツ『Frescalalto』(2015年)
リー・コニッツ+ケニー・ホイーラー『Olden Times - Live at Birdland Neuburg』(1999年)
今井和雄トリオ@なってるハウス、徹の部屋@ポレポレ坐(リー・コニッツ『無伴奏ライヴ・イン・ヨコハマ』、1999年)
ケニー・ホイーラー+リー・コニッツ+デイヴ・ホランド+ビル・フリゼール『Angel Song』(1996年) 
リー・コニッツ+ルディ・マハール『俳句』(1995年)
アルバート・マンゲルスドルフ『A Jazz Tune I Hope』、リー・コニッツとの『Art of the Duo』 (1978、83年) 
アート・ファーマー+リー・コニッツ『Live in Genoa 1981』(1981年)
ギル・エヴァンス+リー・コニッツ『Heroes & Anti-Heroes』(1980年) 
リー・コニッツ『Spirits』(1971年)
リー・コニッツ『Jazz at Storyville』、『In Harvard Square』(1954、55年)

●フローリアン・ウェーバー
フローリアン・ウェーバー『Criss Cross』
(2014年)


A-Musik『e ku iroju』

2018-03-07 23:55:36 | アヴァンギャルド・ジャズ

時間が取れず国会前に行けなかった日。帰宅して、A-Musik『e ku iroju』(Zeitgenössische Musik Disk、1983年)のLPを聴く。

1. 不屈の民
竹田賢一(大正琴)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵(ds)、時岡秀雄(as)、工藤冬里(p)

2a. 前進
竹田賢一(fl)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、篠田昌已(as)、高橋鮎生(vo)

2b. 統一戦線の歌
竹田賢一(fl)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、篠田昌已、時岡秀雄、オニオン釜ケ崎(as, ts)

2c. プリパ
竹田賢一(大正琴)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、千野秀一(Moog liberation syn)、篠田昌已、時岡秀雄、オニオン釜ケ崎(as, ts)

3. 自殺について
竹田賢一(大正琴)、小山哲人(b)、石渡明廣(ds)、久下恵生(ds)、時岡秀雄(as)、工藤冬里(p, syn)、高橋文子(vo)

4. There Will Never Be Another You
竹田賢一(fl)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、時岡秀雄(as)、工藤冬里(p, syn)、三浦燎子(vo)

5. I Dance
竹田賢一(大正琴)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、時岡秀雄(as)、工藤冬里(org)、坂本龍一(p)

6. 反日ラップ
竹田賢一(vo)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、千野秀一(Moog liberation syn)、篠田昌已、時岡秀雄、オニオン釜ケ崎(as, ts)、河野優彦(tb)、Rorie、勝田由美、大熊亘、中村峰子、田正彦(back-up voices)

7. El Vito
竹田賢一(大正琴)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、工藤冬里(p)、時岡秀雄(as)、Rorie(vo)

8. ぬかるみの兵士たち
竹田賢一(vo, 大正琴)、小山哲人(b)、石渡明廣(g)、久下恵生(ds)、工藤冬里(p, org)、John Duncan (whispering)

9. 二ルリリヤ
竹田賢一(harmonium)、篠田昌已(ss, ts)、佐藤春樹(tb)、山本譲(cello)、箕輪攻機(tabla)、カムラ(vo)

ライナーノートにおける竹田賢一さんの発言によれば、A-MusikのAは、ドイツのE-Musik(純音楽)でもU-Musik(大衆音楽)でもないものとして、インスピレーションで付けられたようなものだった。アナーキーのA、アンチのA、アーティフィシャルのA、間のA。

グループでは曲を演奏する。チリのビクトル・ハラ、ジャズスタンダード、韓国の民謡、スペインの民謡など幅広いが、Aの色であるとともに、普遍的な色も持っているように聴こえる。それはチャーリー・ヘイデンのリベレ―ション・ミュージック・オーケストラと同じであって(「統一戦線の歌」は両方で演奏)、聴き込んでいくと、多様さと普遍さがあるために自分の音楽になる。

それにしてもこのメンバーの凄いことである。かれらがAを演奏し、それは、コンポステラやストラーダや中央線ジャズやソウル・フラワー・ユニオンだけでなくあちこちでの種となって有象無象となっているに違いない。

いちどはナマで観たいものだなあ。去年ラストワルツでのライヴに誘われたのだが、つい別のところに行ってしまって少し後悔した。