原題:『The Front Runner』
監督:ジェイソン・ライトマン
脚本:ジェイソン・ライトマン/マット・バイ/ェイ・カーソン
撮影:エリック・スティールバーグ
出演:ヒュー・ジャックマン/ヴェラ・ファーミガ/J・K・シモンズ/アルフレッド・モリーナ
2018年/アメリカ
自らハードルを上げたアメリカ大統領候補について
1988年のアメリカ大統領選挙の民主党候補予備選挙において最有力候補(フロントランナー)だったゲイリー・ハートがドナ・ライス・ヒューズとの密会が暴露されたことをきっかけに失脚したという物語を、もはやアメリカ大統領でさえジョン・F・ケネディの頃のように浮気を大目に見てもらえる時代ではなくなったと捉えることは確かに間違ってはいないのだが、ジェイソン・ライトマン監督はその経緯をもう少し丁寧に描いていると思う。
ハートが失脚した原因として2つポイントがあると思う。一つはハートが立候補の時に挙げたキャッチフレーズで「経済・教育・環境(Economy・Education・Enviroment)」の「3E」に加えて、ハートは「倫理(Ethics)」の「4E」だと豪語してしまう。二つ目はワシントン・ポスト紙の若い黒人記者のA・J・パーカーの、ハートと妻のオレイサ・“リー”・ハートが別居していることと絡めて浮気を疑う質問に対してハートが「俺を付け回してみればいい(Follow me around)」と啖呵をきってしまい、その記事を真に受けた別の新聞社であるマイアミ・ヘラルド紙の記者たちがハートの相手とされるドナ・ライスを追跡した結果、証拠が出てしまうのである。
以上の流れを見ていくと、何となくそれまでタブーとして「忖度」されていたアメリカ大統領の女性問題をハート自ら新聞記者たちに破らせたように見えるのである。ラストにおいてゲイリーとリーが離婚することなく今も一緒に暮らしているという字幕を見ると一抹の悲しみを催す。
このような微妙な話を描かせたらジェイソン・ライトマン監督の右に出る映画監督はいないと思うのだが、観客のみならず映画批評家にもあまり理解されていないように感じる。