MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『SPINNING KITE』

2020-07-16 00:57:10 | goo映画レビュー

原題:『SPINNING KITE』
監督:加瀬聡
脚本:加瀬聡
撮影:袴田竜太郎/横山公亮
出演:中村倫也/内野謙太/伊藤友樹/醍醐直弘/藤間宇宙/三村恭代/田中隆三/山中崇
2011年/日本

誰にも理解されない「孤独」について

 主人公は中学二年生の時に転校してきて千葉県木更津市に住む古籐ジュン(純)で、1996年当時は予備校に通いながらバンド活動をしている浪人生である。中学生からの友人である小川ブンジ(文次=ふみつぐ)、キド(城戸)、マキ(真木)たちとラフィン・ノーズのカヴァーをしながら、出来る事ならプロとしてデビューしようという密かな夢を持っているのだが、最後のライブにキドは来なかった。キドは暴走族の連中と乱闘騒ぎを起こして警察に捕まってしまったのである。
 ところがストーリーは意外な展開を見せる。そのキドが少年院で知り合った仲間たちと「ELBOW」という名前のバンドを組んでメジャーデビューすることになったのであるが、凱旋公演目前に「自滅」してしまう。
 この作品の見所は登場人物たちに何かが起こることではなく、主人公のジュンに何も起こらないことにある。例えば、ジュンは家族と一緒に住んでいるのだが、母親が喫煙者であることを知らなかったし、カップラーメンを食べている父親を見た時に、ドアにはめ込まれているガラスが割れている原因も知らないのである。
 家族のことも知らなければ、バンド仲間たちのことも知らない。キドがバンドを組んでいたこともジュンだけ知らなかったが、マキの母親が倒れ、マキが相談した相手は医師の兄を持つブンジで、ジュンは何も知らされないのである。ジュンが転校生で完全な幼なじみではなかったということは多少は影響しているのかもしれないが、この寂寥感を一軒家のアンテナに糸が絡まり「一人」でスピンしている凧にダブらせているのである。
 このようなほとんど誰にも理解されない「孤独」を描いたことは監督の慧眼と言っても良いと思うが、9年後のブンジの結婚式にバンドを再結成して演奏して祝福することでハッピーエンドになるこの作品を観たからといってこの種の「孤独」が解消されるわけではない。


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