寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

「す」が入った豆腐

2007年10月31日 | 食材

これほど不味いものはなかろう。母は湯豆腐を作る際に、時間短縮をはかろうといつもグラグラ炊いて、ボコボコの木綿豆腐を家族に食べさせていた。業を煮やした私は「二度と作るな」と酷い事を言った。

それ以来湯豆腐は自分で作るようになった。微沸騰の手前で火を止め、豆腐をしばらく放っておく。風呂につけるという表現が適当だろう。温かくなった豆腐を加減醤油で食べるのがこれから冬にかけての楽しみだ。

鍋に関しても同様のことが言えるので、加熱し過ぎには注意が必要である。ただし、ふぐ鍋に関しては「必ずしもそうとは言えない」と指摘する料理人がいる。もと漁師の魚見吉晴さんは自著の中で『…このだしの不思議は豆腐。いくら煮ても「す」が入らんのよ。食べ残しの一個までぷるぷるやけん…』と述べている。

面白いことを言う人がいるもんだと思って、安物の豆腐を使って、ふぐだしを沸騰させてみた。もちろんアホみたいに長時間突沸させはしなかったが、通常の鍋では「す」が入るはずのものが、かなりまともな状態を保っていたので仰天したのだった。

私の中で「通説」はもろくも崩れ去った。料理を実験と考えて、いろいろ試してみると知恵がつくものである。「固定概念ほど怪しいものはない」という証明だった(笑)

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食べもの探訪記 / 吉本隆明(光芒社)

2007年10月31日 | 書籍
庶民の食べ物について吉本さんが筆をとった企画。美食とは程遠い、幼い頃彼が口にした駄菓子や家庭料理の話が出てきて面白い。

最後に道場六三郎さんとの対談(食の原点に還って)が載っている。後半の辛辣な表現にふき出した。

懐石料理の限界
●道場 …こないだもえらい反感を買ったんですよ。京都の連中、懐石の中で生きている連中は僕のところに来てもかなわないよって言って。それはまあ、三百年、四百年の歴史を持った連中にはカチンと来たんでしょう。だけど僕はそう言うのよ。素材がいいときには、持味を生かして、ほんとに茹でるだけ、昆布出汁で炊いてお醤油かけて食べるだけで十分うまいのよ…だけど、どうにもならないひからびたかぶが出たり白菜が出たら、そのままやったら食べられませんよ。じゃ、きざんで胡麻油で炒めて、それからどうしようかと、そこで知恵が発達してくるんであって…だから、料理人は、悪いものを使う勉強をしていない。だから、僕が貧乏人の倅で苦労した人間だとしたら、今の料理人は、ええとこのぼんで、甘く育ってるって言うんです。昔ながらの、古人の知恵でね、たいがいうまくできる。だけど、現代、いろんな国から、外国から入ってくる、同じ海老でも冷凍の海老が入ってくる、そういった時にはじめて、これはどうしたらいいんだろうという思いが生まれる。

◆吉本 いい話ですね。反省材料になります。太宰治という作家が、おれの文章はおいしい料理を出そうとしているんだといっているのがそれです。

子どものころの味の記憶
◆吉本 お前は食べもので何が好きかっていうふうに言われると、結局、最後にはカレーライスとかつ丼だというふうに、なっちゃうんです。僕は東京の下町なんですけど、仲間のガキどもは、訊かれたら、きっとそういう答えになるんじゃないかというくらい多い気がするんですけどね。それはいったい何なんでしょう。

●道場 やっぱりね、子どもの時に非常に憧れがあったんです。僕なんかも、いまだに、金沢の山中に帰ると、まず駅降りてね、うどん屋でうどんを食べると落ち着くんですよ。当時五銭かそこらのうどんなんだけどね。出汁がうまいんだな。きざみねぎとはべん(蒲鉾)が載っかってて、ほうれん草みたいのがちょっとついているだけのもんですけどね、それがうまかったな。だからそういう思いがある。それから、カレーだなんていったら大変なご馳走だから。そういう時のことを思うと、すぐそういったところに直結するんじゃないですかね…

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